お姉ちゃんの顔を見て話した最後の日のこと

 メモリアルホールの静寂を切り裂くように、お姉ちゃんの「寝室」のふたがゆっくりと開かれた。スタッフによって整えられた彼女の「寝顔」が、薄明かりの中で静かに姿を現す。ママの目から、一瞬にして涙があふれ出した。唇をかみしめ、手がわずかに震えた。

「ナタリー……」

声は震え、言葉は喉の奥に詰まったままだった。私もその場に立ちすくんだ。

「お姉ちゃん……こんなにきれいにしてもらって……でももう何もお話できないんだね……」

そして私達はしばらくの間、ただお姉ちゃんの寝顔を見つめ続けた。そこにあるのは、動かぬ姿でありながらも、確かな存在感だった。ママはゆっくりと「寝室」のそばに近づき手がそっとその縁に触れた。

「長い処置、お疲れ様でした。きれいだね、ナタリー……」

ママの声は優しく、どこか安堵と感謝の混ざった響きを持っていた。

「なんだかリビングでテレビ見ながら、そのままうとうとして寝ちゃったときみたいだね……」

ナタリーの頬にそっと手を当てたママの指先が、ほんの少し震える。言葉のひとつひとつに、愛情と未練が滲んでいた。私は少し後ろで目を伏せながら、静かにそのやりとりを聞いていた。ママは、ふとお姉ちゃんの顔をもう一度見つめてから、少し笑ったような、泣いたような声で言った。

「あの『マンション』に着いたら、ちゃんと周りの人に挨拶するんだよ。それが礼儀ってもんでしょ?」

いつものように軽口を交えるような調子だったが、私にはお姉ちゃんを遠くへ送り出すママからの悲痛な「別れの儀式」のように聞こえた。ママはその言葉のあと、しばらくお姉ちゃんのところからから離れようとしなかった。ママのその言葉を聞いた瞬間、私は涙をこらえるのに必死だった。お姉ちゃん、きっと笑ってるよ。あのやさしい、ちょっと照れたみたいな笑い方で。私はそう思いたかった。「ちゃんと挨拶するんだよ」なんて、ねえ、ママ。まるで引っ越しの朝に、ドアの前で見送るみたいな言い方しないでよ。これが最後のお別れなんて考えたくなかった。でもそうだって、私はずっと分かっていたはずだったのに、ママの声があまりにいつも通りで、胸が苦しくなった。


「私、ちゃんとできてたかな。お姉ちゃんの妹として、ちゃんとそばにいてあげられたかな」

私はあの「表札」を見ながらそっとつぶやいた。最後に「また来るからね」って言ったあの日から、ちょっと時間が流れてしまった。でも、お姉ちゃんは、あのときのままの顔で、ここにいるのかな、と思った。お姉ちゃん、今度会いに行くときは、きっともっといろんな話ができるようにするからね。

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