ママがやってきた日のこと
私の近くの部屋は長い間空いていたけど、とうとうパパが来てしまった。妹ちゃんの気持ちを考えると素直に喜べるものではなかった。最初の心不全のときはなんとかなったんだけど二度目の今回は……
「ナタリー……」
私はここに来たときのパパの第一声を今でもくっきりと思い出す。パパの声は震えていた。そして、その時どれだけたくさんのことをすぐに言いたかったか。でもここについた直後で、まだうまく言葉にできずにいるのが伝わってきて、胸が痛んだ。
それから何年もたってママがやってきた。妹ちゃん以外の家族が揃ってしまった。引越し作業が終わって周りが静かになった頃、ママの優しい声も聞こえた。
「ナタリー、長い間寂しかったでしょ。これからはいつも側にいるからね」
私は、隣の部屋から聞こえた声に、胸がぎゅっと締めつけられた。でも涙はもう出なかった。パパが来たときにも思ったけど、ママの言葉は、真っ暗な空間に差し込んだ小さな光のようで、心のどこかでずっと欲しかったぬくもりを思い出させた。でも、抱きしめるどころか、指先ひとつ触れられないことが本当に辛かった。
「マ、ママ、本当にありがとう……」
「またナタリーの声が聞けて嬉しいわ、それで体の調子はどう? エステの効果はあったかしら?」
「あのとき、「痛みに耐えた」おかげでカビとか虫食いとかもなくて快適に過ごせてる。最後にこのパーカーを着せられたときはちょっと驚いたけど、堅苦しいドレスやスーツよりも気持ちが楽だった」
「喜んでもらえて嬉しい」
「ええ、まぁ……」
「ヘイリーはね、大学を出たあと就職のためにコキットラムというあの山の向こうの西海岸の街に行ったの。そして結婚して子供もいるのよ」
「それはたまに妹ちゃんが来るから聞いてた。毎回飛行機に乗ってくるから大変だなって」
「そうよ。でも子供たちが『おばあちゃんに会いたい』と言ってきかないんだって」
「それで、どうしてママは今ここに来てしまったの?」
「六十歳くらいのときにがんが見つかってその時には早く処置したから良かったんだけどそれから三十年たってまた見つかったんだけどその時はもうね……」
「そうだったの……」
「結局その後はあなたみたいに『エステ』してもらったあと、ワンピースを着せてもらってこのきれいな銀色の『寝室』に寝かせてもらったのよ。そして、ヘイリー一家がホールにやってきてわたしのよそ行きの姿を見て枯れるくらいの大粒の涙を置いていってくれたの。それが終わったら彼女たちに見守られてここにやってきたの」
私はママと本当に久しぶりに会話ができて嬉しくて心の中で涙を流した。「これからはいつも側にいるからね」という言葉は、もう動けなくなってしまった私を守ってくれているように感じられた。触れられなくても、話すことができるなら、それでいいと思った。
「また明日、話そうね」
「ありがとう、ママ。おやすみなさい」
今の私にとってはママやパパとここで生きているような時間が続いていることが救いになっている。
それから少したって私はふと思った。もし今、誰かがこの「寝室」のふたを開けて私の姿を見たら、どう思うのかなって。一見してまるで時間が止まって何も変わらないように見えるけど、もう冷たく固まってどこも動かない体、それを実感させてしまった時、きっとさびしさ、悲しみや戸惑いを感じさせるかもしれない。
私は今でも、ママがもう着替えられないからって優しく選んでくれたパーカーに包まれている。そしてあの時の「エステシャン」たちが、丁寧に私を整えてくれたおかげで、今もきれいな姿でいられる。痛さを我慢したけど、作業中にやさしく撫でられたときはほんの少しだけ安心できた。今の私の表情は、あの人たちの技術で保たれたあの日のままの穏やかな寝顔。ほんの少しだけ、あの時のほほ笑みが残っているんだ。
そしてママはいつも私のことを考えてくれていた。悲しみの中でも、私のために最善を尽くしてくれた。ママの温かな気持ちが、今も私を包んでいる。
私はここにいる。動けなくても、声を出せなくても、確かにここにいる。私を愛してくれた人たちに、ありがとうを伝えたい。もし触れられるなら、そっと「ありがとう」と伝えたい。私の心は、ずっとあなたたちと繋がっているつもりだから。私になにか思うことがあったら遠慮なく来て。待ってるから。そう思いながら、今日も静かにここで過ごしている。
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