第一章 できることならできることまで 後編
早朝の大浴場に裸になった小男と大男が入ってきた。
ほぼほぼ常連の、朝風呂目当ての老人ばかりのなかにタオルで股間を隠した小男とタオルを肩にかけ股間を隠さない大男は目立った。
彼らは老人たちから異端の目で見られていたが、最も年寄りである老人は思い出して彼らに近寄ってきた。
「あんた、
足を止め、反応したのは大男のほうだ。
大男は意外に丁寧に返した。
「ええ、秋水です」
老人は思わず、嗚咽を漏らした。
「ああ…… 帰ってきてくださったんだねぇ。死んだ春平さんも喜んでくださるだろうよ……」
泣いている老人から解放されて小男、警視庁元公安部部長の猪口直衛と平野平秋水はサウナ室にいた。
手には汗で出た塩分やミネラル補給などのために事前に用意したスポーツドリンクが握られている。
猪口は五百ミリリットル、秋水は二リットルのペットボトル。
「猪口さん、もう、三巡目ですけど大丈夫ですか?」
汗まみれの秋水が上の段で辛そうな猪口に聞く。
秋水の体は傷まみれだ。
切り傷から腹部には何かでえぐられたような痕がある。
それらが秋水と言う男が平穏な人生ではないことを雄弁に物語る。
猪口は、それには答えなかった。
答える気力がないのか。
一口、スポーツドリンクを飲んだ。
それから秋水の右肩の肩甲骨にある焼き爛れた痕があった。
「『羽根の痕』は痛むか?」
その言葉に秋水は苦く笑った。
「若い時に付けられた焼き印を親父が硝酸で消してくれた痕です。肉体はいいが、時々心が痛みますね」
その言葉に猪口は真顔になった。
「その焼き印をつけた国際的犯罪集団『十三人の使徒』にかかわることがある」
猪口の言葉に今までだらしなかった秋水も真顔になる。
「脱退した唯一の生き残りである俺を事情聴取しても無駄ですよ。脱退したのはだいぶ前…… メンバーも相当変わっているはずです」
「公安を舐めるな…… こちらも色々なルートで各メンバーの最新情報などは手に入れている」
「…… で、俺に何をしろと? 首魁、エイムズのことですか?」
秋水は半分以上あった、スポーツドリンクを一気に飲んだ。
「戦場を渡り歩き、元とはいえ裏社会で『世界一の傭兵』と称された君に現場検証をしてほしいんだよ」
猪口も最後のひと口を飲んだ。
「あの、俺は警察官ではないんですよ」
反論する秋水に猪口は背筋を伸ばし朗々と言葉を紡いだ。
「『我が猪口家は如何様な時代でも中央政界に入り込み、日本を変えるよう努力し必ず日本を変える』」
呼応するように秋水も背筋を伸ばし反応した。
「『我が平野平家は鬼となりて猪口家を守り、星ノ宮を守る』 ……何代前か分かりませんが俺たちも何だかんだで律儀に守っていますね」
諦め口調で秋水はサウナ室を出て、猪口も後を追った。
水風呂に入り、体を洗い、湯船に浸かり、脱衣所で体をタオルで拭いて館内着に着替える。
猪口のは余裕があるが、秋水のは少しでも筋肉に力を入れれば弾けそうなぐらい食い込んでいる。
二人は食堂に入り、いくつか注文した。
まだ、グランドメニューの近海で取れた刺身盛り合わせ定食『カメの定食』などはないが、軽食としてホットサンドを提供している。
表向きにはなかなかでないが専用の機械を使い表面がぱりぱりして具材も料理の端材などを使っているので美味しい。
価格もドリンク付きで最大八百円までなので気軽に頼める。
「で、何を現場検証しろというんですか?」
手についたデミグラスソースを舐めながら秋水が聞いた。
「あの、王子様襲撃事件さ」
また、秋水は表情を変えた。
「ああ、今話題の奴ですね…… ネットでも騒がれていますよ」
疲れた表情の上に苦虫を食んだような顔になる猪口。
ネット上は元よりテレビなどのメディアでも警察の失態として大々的に報道されている。
しかも、文字通り根も葉もない陰謀論まで発展しているので始末に負えない。
「…… 俺の公安としての最後の事件になるはずだったんだ……」
「それはご愁傷さまで」
秋水は飄々としている。
「必ず、犯人を捕まえる…… が、妙なんだ」
「妙?」
猪口は迷いながら、チーズとハムのホットサンドを頬張り咀嚼した。
それを紙コップに入ったアイスコーヒーと共に流し込んで口を開く。
「王子を狙ったにしては、メリットが少ないんだ」
秋水が少し前に身を乗り出した。
「事件後、俺は王子の国の内部事情などを調べた。国王が絶対君主の国において王子のような急進派は少数で…… だから、日本政府をバックに付けようと来日した。もっと言えば、君の弟子の石動君が連れ去った……」
猪口の解説に秋水が止めた。
「彼らは合意の元、日本に来たんです」
気まずいように猪口は咳ばらいをして再び話した。
「…… 現在でも国内でカリスマ的人気のあるシグリスさんからの言葉で民衆を動かそうとしていた」
秋水は聞き入っている。
「しかし、王に従う他の王子も多い…… 俺の経験による公式からどうも、ずれが生じる。そこで、X、つまり王子ではなく…… Yである殺されたMr.Nを最初から狙っていたと思う」
「で、その公式の証明をしろと?」
「正解」
そう言って、猪口は自前のタブレットを館内着を入れていたバックから出す。
「鑑識課などから遺体の写真などをダウンロードした」
「まぁた、危ない橋を渡るなあ…… できることならできることまで」
そう言いながら、受け取る秋水は慣れた手つきでタブレット内の白いアプリを叩いた。
すると、悲惨な現場写真や遺体の詳細な部分が映し出された。
「ふぅん」
と、一通り見て、タブレットを返す。
「どうだい?」
猪口は不安そうな顔で聞く。
「たぶん、猪口さんの推理は当たっています。下手な狙撃手の暴発にしては狙いが正確すぎる。むしろ、わざと王子を狙った風に偽装しているとみていいでしょう」
「そんなことができる狙撃手がいるのか?」
驚く猪口に秋水も紙コップに入ったコーラを飲んで真面目に答えた。
「俺たちの世界で『世界で唯一無二の狙撃手』と呼ばれた奴がいます…… 『
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