序章 はい、よろこんで 後編
翌々日。
成田空港はいつも通り、秒単位で各国の旅客機が離着陸する。
ビジネスマンに旅行者、キャビンアテンダントなどがせわしなく行き来する。
緒方副総監の命を受けた猪口は、国内旅行をする老人のふりをして玄関口でMr.Nの到着を待っていた。
トイレで用を足すふりをして空港内を見て驚いた。
一般客に紛れて、公安課の人間が潜んでいた。
ロビーでコーヒーを飲みつつ、お土産物屋で無邪気にはしゃぎつつ、そんな演技を自然にこなしながら、彼ら・彼女らは何かを待っていた。
トイレに入り、小便器に立つと横に誰かが立った。
「間島か?」
部下の名前を呼んだ。
「はい。今、清掃中の看板出しているんで、ここにいるのは俺と部長だけです」
「…… 元だけどな」
間島がくすくす笑った。
もっとも、間島の服も旅行者のようにラフなものだ。
「なんで、部長がいるんです?」
「逆に何でお前がここにいる?」
お互い、黙る。
黙って手洗い場で手を洗う。
「…… アデリナ皇太子って知っています?」
口を開いたのは間島であった。
「ああ、北欧にある小国の王子様だろ?」
「彼が日本に自国に眠る天然資源の取引を持ち掛けているんです。近年まで鎖国状態。親父である国王は保守的なんで王子自ら自国の売り込みです」
「…… 早い話、その王子様のお迎えと……」
口に咥えていたハンカチで手を拭く猪口。
「そう言うことです ……で、猪口さんは何でいるんです?」
間島の問いに猪口は嘘をついた。
「その、お前らの御守りだよ」
夕刻になり、マスコミなども集まり始めた。
空を見れば、ドローンや報道ヘリが飛んでいる。
猪口は、友人と待ち合わせている体でバス停にいた。
その前をマスコミの記者たちが金髪のスーツを着た若者を囲いつつ移動してきた。
間島の言っていた『王子様』らしい。
その数メートル後を自分より年上の老人が杖を突いてやってきた。
話しかけようとした、まさにその瞬間だった。
老人が不自然に横に飛んだ。
そのまま地面に横に倒れ、赤い液体がコンクリートを染める。
「…… え?」
あまりのことに百戦錬磨の猪口でさえ、ただ、茫然としていた。
だが、偶然、その近くにいた女性が口に手を当て悲鳴を上げた。
その瞬間、猪口の中に眠っていた『公安の超特急エース』としての本能が叫んだ。
「伏せろ!」
その命令に、王子もマスコミも全員、地面に伏した。
いくつか街灯が弾け、道路が穿つ。
ほんの一分にも満たない時間。
現場は惨状と化し混乱を極めた。
それまで鳴りを潜めていた公安たちが警察手帳を出し、マスコミや王子を安全な場所まで誘導する。
泣く者、スマートフォンで現場を撮影しようとするもの、パニックになるもの……
平穏だった空港の日常は一変した。
空港に逃げようとするもの、逆に現場から去るもの、王子を護衛するもの……
悲鳴と混乱の中、猪口は人々の間を何とか通って、Mr.Nの脈を取る。
--死んでいる
改めて、現実を受け入れる。
猪口は知っている。
悔いは禍根を残す。
禍根は現実から逃避してしまう口実になる。
ならば、どうするか?
答えは実に簡単である。
『犯人を捕まえる』
他の刑事も合流して救急車が来るまで遺体を保護した。
警察病院。
普段は警察の福利厚生病院であるが、遺体の解剖もする。
地下の解剖室の前。
猪口は目の前の虚空を睨み、ベンチに座っていた。
「銃弾を取り出したぞ」
解剖室から、手術着を着た顔馴染みの解剖医が膿盆を持ってきて出てきた。
「俺もあんたも長い間、いろんな遺体を見てきたが今回のはちょいと訳が違う」
猪口は立ち上がり、膿盆の中を見た。
そこには血まみれの薬莢と、血と脳がこびりついた極小の矢じりのようなものがあった。
「最近、俺たちの解剖医界隈で噂になっている代物でさ、T.F.S.-9(Tungsten Flechette Spiral)弾って呼ばれている」
「なんだい、そりゃ?」
「防弾ベストも貫通する最強の弾丸だ。ただ、高額で扱いが難しいから、俺も含めほとんどの解剖医が『机上の空論』『想像上のもの』と笑っていた…… それが、まさか……」
解剖医が悔しそうに唇を噛んだ。
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