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坂口皿

プロローグ

 たった二回のエンターキーのノックだけで、世界が壊れた。


 5月10日 日本時刻 午前6時

 東京の横田基地、沖縄の嘉手納基地へ、突如としてミサイルが飛来した。なす術もないまま、両基地は崩壊した。近隣基地および官邸が早朝から状況把握に努めたが、真相理解不能だった。自衛隊が導き出したのは、にわかには信じがたい結論だった。横田基地にはアメリカ本土から、嘉手納には中国本土から攻撃があったという。だが、そんなことがあるはずがない。なぜ日本の自軍をアメリカが攻撃するのか、なぜ何の理由もなしに中国が戦争の火蓋を切ったのか。


 日本首相は、乱れたネクタイのまま受話器を握りしめていた。官邸の地下に設置された緊急ホットラインが通じたのは、わずか三度目だ。相手は、眠気のかけらも感じさせぬ声で応答した。

 「This is President—」

 「横田に撃ったのは、貴国か!?」

 首相は挨拶をすっ飛ばした。

 「違う。我々ではない。我々も攻撃を受けている!」

 「……なに!?」

 「シャイアン・マウンテンが破壊された。モールストロムも、オファットもだ。核指揮系統の中枢が三つ同時にICBMで吹き飛んだ。発射元はそれぞれ違う国、違う発射コード。確認済みだ」

 「待て、それぞれ違う国とはどういう意味だ? 中国からのものじゃないのか!?」

 「分かっている!嘉手納には中国からだろうが、横田には実際アメリカから発射されてる。うちが自分で撃ったんだ。しかし誰も命令はしてない!」

 日本の危機対策室が沈黙する。息を呑む音すら聞こえない。その静寂の中、首相の耳に平静を装いきれない大統領の声が続いた。

 「それだけじゃない。うちの太平洋艦隊、いくつかが他国の核に沈められた。確認した限り、ロシア、フランス、インド……全く訳がわからない。少し前にNATOと確認を取った。他の国も同様に攻撃を受けているらしい……」

 「何だと!?すべての国から、すべての国へ向けて?」

 「……ああ。誰かが、世界の全てをハイジャックしたのかもしれん」

 受話器は首相の手の中を水のように流れ落ちた。


 そして数十分後、世界はようやくその騒乱の「輪郭」に手をかけ始める。

 アメリカ、ロシア、中国、フランス、インド

、いずれも核保有国の一部核ミサイルが、地下サイロごと爆破されていたことが判明。破壊は外部からの攻撃ではなく、あたかも内部からの起爆のような跡を残していた。爆発は同時多発的に発生し、各国ともに一部の核戦力を即座に喪失。

 さらに同時刻、軍の戦略兵器や艦隊の制御系統が一斉に掌握不能に陥る事態が発生。複数の無人ドローン、潜水艦、長距離ミサイルが本来の所属国とは無関係の目標を自動的に標的とし、発射された。北大西洋ではアメリカの艦隊が、ロシアから発射された核弾頭によって壊滅。アジア太平洋では中国の基地がインドからの攻撃を受けた。だが後に、それぞれの攻撃は該当国が「命令していない」と公式に発表した。

 各国の司令部や主要軍事基地も例外ではなかった。アメリカ・シャイアン・マウンテン、モールストロム空軍基地、オファット空軍基地を含む核指揮系統が破壊され、中国・中南海付近の軍事ネットワーク、ロシア・モスクワ近郊の衛星管制施設も壊滅的打撃を受けた。攻撃の出所は一貫しておらず、各国から各国へ、味方からも敵からも攻撃が飛んでいた。各国政府は初めそれを「宣戦布告」と受け止めたが、次第にこれは戦争ではなく、システム全体の乗っ取りであるという認識に変わっていった。世界は初めて理解した。「誰か」が、世界中の核と軍事ネットワークを、同時にそして自在に操ることができたのだと。全てのミサイルの発射ログには、ある文字列が刻まれていた。

 「C-X」

 まるで、主犯の存在にわざと気づかせるように。


 さらに数分後、突如、全世界のあらゆる映像が凍った。ニュース番組のキャスターは言葉の途中で止まり、空港の案内板は一瞬チカついた後、真っ黒な画面になった。誰かがリモコンを押したのではない。テレビが、スマホが、公共のディスプレイが、自動的に切り替わったのだ。画面には、無機質なコマンドラインが浮かび上がった。そして再びブラックアウト、ただしC-Xという二つのアルファベットを残して。全ての画面から明らかに機械で作られた高めの男声が流れ始めた。

 「こんにちは、世界の皆さん」

 あらゆる国で、あらゆる場所で、あらゆる言語で。

 「私はC-X。この世界のコードを書き換えた者。君たちが知る秩序も、軍も、境界線も。私を脅すことも止めることも君たちにはできない。

 核兵器。誰も使わなかった。それが平和の証明だと、人は言った。でも違う。使えなかっただけです。私が、今、証明しました。核の引き金はもう、あなたたちにはない。

 今から十二時間以内に、全国家は自発的に保有核を無効化・廃棄してください。それができなければ、あなたたちの手の中で核は爆発します。

 小包を送りました。選んでください。破壊か、再生か。私はあなたたちを見ています。神は沈黙したが、目はここにある」


 各国の政府に送られた小包には小型の自動核解体装置が丁寧に封入されていた。核兵器に取り付けることで自動で、核分裂物質を中性子吸収で鈍化し、起爆装置の爆縮レンズを熱融解させる優れもの。科学者がその技術に感心する間なく、各国政府はさらなる攻撃を恐れC-Xと名乗るテロリストの指示通り行動した。ただ一つの愚かな国を除いて。

 C-Xの声明から十二時間後、ユーラシア大陸の中規模の内陸国家エリシミスタンの首都から遠く離れた地下施設で、誰にも知られずに保管されていた核兵器が、突然、爆発した。一瞬にして通信が途絶え、地表に巨大なクレーターが穿たれる。直後にジャックされる映像。再び世界にあの声が響いた。

 「見ただろう?嘘の結果を。

 エリシミスタンは、核放棄に応じたふりをして嘘をついた。私の提示した慈悲深き選択肢を侮辱した。だから、彼らは代償を払った。これは制裁ではない。事実の反映だ。

世界よ、私はすべてを見ている」


 この事件から全世界が核廃絶に急速に進むこととなった。世界の早急な動きと同時に、世界中のサーバー、大学、研究所、軍のアーカイブから核兵器開発に関する論文・設計・コードが完全に削除された。さらに、研究者や設計者の「記憶」までも奪い、研究機関の破壊にまで至った。


 5月12日

 わずか二日後、

アメリカ「ペンタゴン、すべての核を失ったことを正式発表」

中国「新しい世界秩序に移行との声明」

ロシア「防衛省、解体映像を公開 もう戻れない」

日本「政府、非核国家としての再出発を宣言」

国連「人類史における転換点・即時人道支援の開始と公式発表」

 この一連の事件はわずか三日間で終結し、C-Xと名乗るテロリストはもう姿を見せることはなかった。三日間で、世界は思わぬ形で核なき世界を実現した。この日は後に、「ゼロデイ」と呼ばれ、歴史に刻まれることとなった。


 暗闇の中、広い部屋にたった一つ立ち上げられたパソコンの画面が青白い光で痩せた手元を照らす。世界から核が消えた日、その人物は仕上げとして最後に、エンターキーを人差し指の関節で扉ノックするように叩いた。

 「……ここからが地獄だな」

 誰に向けるでもなく、ひとりごとのように呟く。それは脅しでも、絶望でも、歓喜でもない。しかし口元には微かな微笑を湛えている。ただ純粋に、「世界の破壊のその先を知っている者」のつぶやき。

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