出穂村_麓編

序章

「今年の奉稲祭ほうとうさいも、無事終わったけんね」


村外れの小さな墓の前で、がくは膝をつき、手を合わせていた。墓碑には、十二年前に子を残して早世した息子〈嶺(りょう)〉の名が刻まれている。


「嶺よ……毎年お前の父親は容赦なく投げ飛ばしよるわ」


隣で土地神の葦津あしつがぼやく。


「はははっ、葦津様はほんに忖度がお上手ですわ。来年も、よしなに頼みます」


岳が笑うと、葦津は呆れたように肩をすくめた。


「じいちゃーん! 見て見て! おれ、めっちゃ速く走れるよ!」


村のほうから全力で駆けてきたのは、ろく――六歳になったばかりの、岳の孫だ。けんけん、ジャンプ、からの側転、とできる技をすべて繰り出し、芝生の上を跳ね回る。


「麓は……なんというか、アホ可愛いの」


葦津が目を細めて笑う。


「頼もしい体力ですわ。父親が早くに逝って……次の稲守は、あの子への継承になりますから」


「……それまでには、米の格を三位くらいまでに上げたいなぁ……ね、葦津」


葦津の隣で小町がしゃがみ込み、頬杖をついた。

十六、七ほどの少女の姿。白衣に淡紅の紐を結い、赤い袴の裾には稲の刺繍がそよぐ。

長い髪が秋風にふわりと揺れ、陽の光を透かしてきらめいていた。

その瞳の奥には、夢見るような優しさと、何度も季節を見送ってきた者だけが宿す静かな寂しさが滲んでいた。


「……米の評価は、天つ神の判断じゃからな。まあ、気負わず、こつこつ続けていくのが良いのではないか」


「うーん……」


(格が上がれば、天つ神の加護がつく。そうすれば……風土病で命を落とす人も、少しは減るかもしれない)


小町はそっと指先を握りしめた。


「葦津ーー! 相撲しよ! おれが勝つ!」


「嫌じゃ……」


「なんで! 相撲しよう、相撲、相撲……!」


麓に手を引っ張られ、げんなりした顔で引きずられていく葦津。その様子を愉快そうに眺めていた小町が、ふと岳に尋ねる。


「……麓って、なんで葦津のことが見えるんだろうね?」


「勘が強いんかもしれんですね。わしなんぞ、小町さまと契約して初めてお目にかかりましたから。『うわっ! うちの土地神様、男前すぎ……?』って、驚きましたわ」


「男前かな……無骨なだけでは?」


麓に引かれながら、しぶしぶ歩いていく葦津の背を見つめ、岳と小町は思わず顔を見合わせて微笑み合った。


夕暮れの村で、黄金色の稲が波のように揺れていた。

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