第8話 孤影

 さて、ここで京たちが行っている異世界について、少し解説しよう。

 京たちが異世界旅行の場としている街はデレスデンという名の街であり、サンデッセン王国の辺境領カスメー地方の田舎街である。サンデッセン王国には、人間の他にエルフをはじめとした亜人や獣人が住んではいるが、それぞれの種族はそれぞれの領地に住んでおり、種族間の交流は極めて限定的である。


 ***


 京は一人で、レイセムの森に来ていた。今回、亮とは別行動だ。

 レイセムの森は、カスメ―地方北西部に位置する広大で深い森である。デレスデンからは、徒歩でおよそ丸一日かかる。この森に危険なモンスターはおらず、動植物の楽園となっている。しかし、この森に訪れる人間はほとんどいない。

 そんなレイセムの森に京が来た理由は、ただ一つ――。それは『みんなのイメージに沿う異世界を創』るためだ。それが、どういうことかと言うと……。


 京はレイセムの森の奥深く、この森に棲む動物たちも行くのを避け、光があまり届かないある場所へとやってきていた。

「やあ、久しぶりだね。 【静けさの泉サイレント・ファウンテン】」

 京が、何者かに話しかける。ここには風すら届かない。

「『久しぶり』というには、少々、再会が早すぎるのではないかね?」

 【静けさの泉サイレント・ファウンテン】と呼ばれた長身瘦躯の男は、表情一つ変えずに京に答える。その男は草色のローブに、樫で出来たねじ曲がった杖を持つ。まだ若々しい見た目にそぐわない、威厳のある立ち居振る舞いをする彼には長く尖った耳がある。

「ハハハ。君たちエルフにとっては、まだ『久しぶり』というほど時間が経ってないか」

 京は笑いながら、軽口を叩く。遠くの方から、鳥の鳴き声がかすかに聞こえる。


 京が今来ているのは、レイセムの森の奥深くに住むエルフの集落だ。と言っても、人間の村や街のように開けた場所に家を建てているのではない。自然の木々に彼らは住んでおり、一見して、ここがエルフの集落だということは人間の目には分からない。地面は自然の土がむき出しで、当然、舗装された道はない。


 京とは、エルフの集落の中央にある『祭場』と呼ばれる光が差し込む少し開けた場所にいる。ここは、エルフたちにとって――ほとんど来ることのない――訪問客との接見の場になっている。そして、接見を行うのがエルフの長である【静けさの泉】だ。


「……して、たちの英雄よ。我らエルフに何用かな? 再び、世界は危機に瀕しているのか?」

【静けさの泉】は京を真っすぐに見て、疑問を口にする。警戒心を少し滲ませながら。

(相変わらず、警戒心が強いな……。まあ、エルフとはか)

 京は心の中で、そう呟く。森から出ず、外部との接触を固く拒むエルフたちは、当然のことながら人間に対して警戒心が強い。それでも、京がエルフと接触できるのには理由がある。

「やめてくれよ、ボクはもう勇者じゃないんだ。今日、ボクが来たのは、君たちエルフに協力して欲しいことがあるからなんだよ。ああ、もちろん、世界を救う手伝いをしろってことじゃない」

 京はそう言って、やれやれと首を振る。


 実は、この物語冒頭で異世界転移した京は、勇者として異世界を破滅から救っていた。その過程で、人間との接触が乏しいエルフ族とも親交を交わしていたのだった。


「……ふむ。では、我らエルフに何を望んでいる?」

【静けさの泉】は京の意図を測るかのように、京の目をじっと見つめる。

「……人間の街に住む気はないかい?」

 京は、そう言ってほんのわずか笑む。まるで、既にエルフが人間の街に住むことが決まっているかのように。

「………………!?」

 【静けさの泉】は、完全に言葉を失う。あまりにも突拍子のない頼みがゆえに。

「もちろん、全員とは言わないさ。森に住み続けたいエルフは、そのまま住み続ければいいよ。でも、若いエルフの中には森に住み続けることに退屈してる者もいる。……そうだよね?」

 京はそう言って、の木々を見渡す。



 それに応えるかのように、一つの木が揺れる。風で揺れているのとは違う、ガサガサと音がする揺れ。

「……ずっと我らの会話を盗み聞きしていたか。【纏わり付く草クリング・グラス】よ」

 【静けさの泉】はそう言って、その木へ視線をやる。しばらくの沈黙……。そして、木の葉の中から一人のエルフが現れた。

「族長……、人間の街に住めるのですか……?」

纏わり付く草クリング・グラス】と呼ばれた金髪碧眼の若いエルフは、静かに、しかし好奇心がにじんだ声で【静けさの泉】へと話しかける。

「…………黙っておれ」

【静けさの泉】は低い声でピシャリと言い放つ。言われた【纏わり付く草】は、気圧されたように少しの間沈黙する。

「……決まりだね」

 二人のエルフを交互に見やりながら、京はそう言ってニコリと笑う。

「勝手に話を決めないでくれたまえ。人間には人間の領域が。エルフにはエルフの領域がある。それを冒してまで……」

 ほんのわずか困惑の表情を浮かべた【静けさの泉】に、京は再びニコリと笑ってみせる。その笑顔が意味するのは、ということだ。

「族長、この穏やかさが永遠に続く森に生き続けるのも悪くありませんが、私たち若いエルフはひらけた生き方もしてみたいのです。どうか、ご理解を……」

【纏わり付く草】はそう言って、再び木の間へと消えていった。


「全く、最近の若い者ときたら……」

【静けさの泉】はそう呟いて、ため息を一つ吐いた。

(世代が違えば、価値観が違うのは人間もエルフも同じ、ってことか)

 京は心の中で苦笑いを噛み潰したのだった。



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異世界を喰らう 市川タケハル @takeharu_i

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