○嵐の傍らで 1

「なぁ爺さん、俺達宿を探してんだ。雨風さえ凌げりゃ構わないんだけど……この村にあるか?」


 畑で突然声をかけられた老農夫は、先ずその若い男を訝しげに見上げ、次いで彼の仲間へと目をやった。


 フードから覗くのは短く切り詰めた金髪。青の強い碧眼から気の強さが滲む。

 少し離れたところには大きめの荷物を背負った馬が四頭。鞍上には彼同様、薄汚れたローブに身を包んだ三つの人影。


「……旅人かの」

「見ての通りさ」


 両手を広げてみせた若者に、農夫は渋い顔で首を横に振る。


「生憎、宿屋なんて気の利いたもんはないぞ。見た通りの寂れた村じゃからの」

「そうか……それは残念」


 ひとつ溜め息をついた若者は「ところで」と続ける。


「祭でもあんのかい」

「何故じゃ」

「いやなに、村の奥が騒がしい気がしてね。それに」


 強張った顔で応じた農夫とは対照的に、若者は薄く笑いながら地面を指す。


「小さな村にしちゃ轍と蹄の跡が多すぎる。しかもまだ新しい」

「……何もないわ」

「ま、そりゃ外部には話せないか」


 白々しい溜め息を吐いた後、若者は村の背にそびえる巨大な崖を見上げた。


「小さな噂や嘘みたいな話を掻き集めてさ……随分探したんだ、この村。まさかこんな辺鄙な村に正教会が財産を隠してるとは思わないよなぁ。定期的に運び込んでんだろ?」

「何を言うかと思えば……隠し財産など、そんなものがあると思うか」


 呻く様に応じた老農夫を、若者は口角を上げて見下ろす。


「こっちは王都から正教会あんたらの馬車をけてきてんだ。今更その言い逃れは苦しいって」

「旅人ではないな」

「だから最初に言ったでしょ」


 腰に佩いた短剣を静かに抜くと、若者は切っ先で農夫を指す。


のならず者だよ。奥に案内して貰えない?」

「帰れ」


 しかし眼前に切っ先を突きつけられた老農夫は、一切怯まず強い眼光を返す。


「もう一度言う。この村には正教会の隠し財産などない。わしの命に賭けても構わん。だがお前達は今すぐ此処を去るべきじゃ」

「随分簡単に言ってくれるね」


 予め分かっていた返答を耳にするが早いか、若者は老農夫の頬を強かに殴りつけた。

 乾いた音と共に小柄な身体がよろめき倒れ込む。


「いいかい爺さん。これは選択じゃない、強制なんだ。こっちだって出来れば穏便に済ませたいんだ、分かってくれよ」

「もう一度言う、帰るんじゃ」


 膝に手を付き、切れた口の端を拭いながら老人はそれでも譲らない。


「じきに陽が落ちる。お前達も深淵に出くわしたくはないじゃろ」

「ははっ!お気遣い、痛み入るね」


 茜色に染まり始めた景色をぐるりと見渡しながら、若者は老農夫の言葉を一笑に付す。


「深淵が怖くて押し入りが務まるかよ。こう見えてそれなりに腕は立つんでね」

「悪い事は言わん、早く立ち去るのじゃ」

「……分かんない爺さんだな」


 それも頑なに諫言する老農夫に、若者の表情が明らかな苛立ちを以て一変した。老人の喉元を掴んで乱暴に引き寄せる。


「このままじゃ、犠牲はあんただけじゃ済まなくなるって言ってんだよ」

「わしはお前達の為に言っておる」

「挙げ句にお説教か?あんまり笑わせんなよ……とっとと話しちまった方が」


 若者の恫喝は、しかしそこで途切れた。


 ずしんと大地の鳴る音がした次の瞬間、強烈な揺れが辺りを支配する。

 木々は大きく揺れ、小川が波立ち、鳥達が狂った様に鳴きながら夕暮れに散っていく。


「……っ、何だこれ……!!」


 立っている事すら敵わず、若者は無様に倒れ込む。彼の仲間達もまた、半狂乱で嘶いた馬の背から振り落とされ、同様に地面へと転がった。


「いかん」


 混乱の最中にあって老農夫だけが片膝を付き、揺れが収まるや村の奥へと駆け出す。


「ま……待てよ爺さん!皆も来い、追うぞ!」


 老人の鬼気迫る横顔に、思わず若者は立ち上がった。背後にいるだろう仲間へと声をかけ、小さな背を追って走る。




 粗末な造りの家屋の隣を駆け抜け、広がる畑を踏み越えた頃には、若者にも村の異変が分かるまでになっていた。

 村の何処にも人が見当たらない。



「……何なんだよ……」


 胸に渦巻く不快なざわめきを振り払う様に、若者はひたすらに駆ける。

 前を走る老農夫に、この異常な光景の答えを吐かせたい一心で。


 必死に食らいつく若者の目に、やがて奇妙な風景が見えてきた。


 村の最奥、崖に埋め込まれる様に聖堂が建っている。

 およそ小村に不釣り合いなほど荘厳な建物は事実、手前半分のみが造られていた。内部の奥は岩盤の中だろう事が推察される。


 老農夫は脇目もふらず、聖堂の扉へと辿り着いた。閉じられた巨大な扉へと両手をかける。

 その背後から手を伸ばすと、若者も力を込める。


「くっそ……重……てぇ扉だな……!」

「帰れと言うたじゃろ!」

「ふざけんな、目の前にお宝があるってのに帰れるか!!……んだよこれ、中から閉めてんのか?!」

「手伝うぞトーリオ!」


 駆け付けた仲間達と共に、改めてトーリオは両手に力を込めた。

 だがその腕を、下から伸びた節榑立ふしくれだった手が掴む。


「悪い事は言わん、立ち去るんじゃ」

「爺さん、この期に及んでまだそんな事」

「頼む」


 哀願するかの様にトーリオへと向けられた、老いた双眸。齢を重ねた細い腕に力が入る。


「まだ若い命が失われるのは堪えられん」

「……爺さん……?」

「くそ……閂か!」


 扉の間に内側からのかんぬきを見定めた仲間の一人が、その巨躯を下へと沈めた。


「肩で押し上げる!なるべく扉を開いてくれ!」

「分かった、頼むぞアルバ!」

「よし、そのままだ!」


 こじ開けられた隙間から肩を入れ、アルバと呼ばれた若者は咆哮を上げた。革鎧の下で筋肉が大きく膨れ上がる。

 ひしゃげた閂がじわじわと上がり、やがて聖堂の内側で大きな音を立てて落下した。


「でかしたアルバ!」


 呆然とする農夫を尻目に、トーリオは大きく扉を開いて踊り込んだ。仲間達が続けて雪崩れ込む。




「な……何者だ、お前達」


 高い柱に据えられた蝋燭から、或いは聖職者達が手にするランタンから。

 ともされた幾つもの聖灯が、外観よりも広い聖堂内部を青白く照らし出す。


 老農夫の忠告は気がかりだった。

 だが運び込まれた財宝を――少なくともその痕跡程度は――期待していたトーリオの目に、想像とは全く違った光景が広がっていた。


 聖堂である以上、聖職者達はいる。だが目の前の彼等は二十人はくだらない。

 本来あるはずの祭壇がない。聖堂の最奥は岩肌が剥き出している。

 岩盤の中央にあるのは、頑強そうだが古びた一枚の扉。

 扉の表面には数多の紙片が貼られ、大きな柱が周辺を囲っていた。


「なんだよこりゃ……」


 トーリオは、多くの紙片が深淵の力を抑える護符である事も、柱を覆う様に記された文字が聖文字である事も当然知らない。

 ただ、たった一枚の扉を閉ざさんとする強い意志を目と肌で感じ、我知らず息を呑んだ。


「申し訳ありません大司教……制止しきれませなんだ」


 息を切らして項垂れる老農夫に、ひと際年老いた聖衣の男はかぶりを振る。


「わしらこそ、全ての民に謝らねばならぬ」

「と……仰いますと」

「王国は彼奴きゃつの力を見くびっておった。封じられていて尚、斯様かようなまでに魔力を残しておるとは思わなんだ」


 焼け焦げた護符と亀裂に覆われた柱を見やった後、大司教と呼ばれた老人は力なく微笑んでトーリオ達を見回す。


「どこのどなたかは存ぜぬが、今すぐ逃げなさい。なるべく遠くにだ」

「……はぁ?話がさっぱり」

く行かれよ!」


 有無を言わせぬ強い語気に反論を遮られ、トーリオは思わず後ずさる。


「な……なんだってんだよ、一体……」


 彼の疑問に答えるかの様に扉の外で陽が沈む。

 そして、朽ちかけた扉が重々しく開き始めた。

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