鬼姫の日常 其の四

 ひゅっと息を吸って、下を向こうとして、だけど惹きつけられた目は言うことを聞かなくて。

 思わず後ずさると、後ろに座っていた子の爪先とぶつかってしまった。それでも謝ることすら思い浮かばずに、ステージの中心に進んだ転校生を見つめ続ける。

 実と呼ばれたその男の子は、ずらりと並んだ生徒を、切れ長の瞳でゆっくりと見回して。

 私の目と、彼の瞳が、バチッと衝突した。


――ヤバい!!

 バッと下を向いたけど、すでに遅かった。

 ダンッと、重い音が体育館に響く。

 すごく嫌な予感がして顔を上げると、予想通り壇上に転校生の姿はなく。

 すでに、ステージから飛び降りている。

 キッと顔をあげたその視線が、私を射抜いた。

「……っ!」

 また後ずさり、今度は後ろの子の上履きに乗り上げてしまう。

「え、輝千ちゃん?」

「っ、ごめん」

 振り向きをする余裕もなく早口でそれだけ返して、もうとにかく何も考えず、素早く、勢いよく両手を打った。

 パンッと、こすれるような乾いた鋭い音が鳴り響く。

 余裕のなかった実の瞳が、ハッと見開かれる。こっちに歩き出そうとした姿勢で固まる。

 お願い――祈るような気持ちでじいっとその目を見つめ続けると、実は数秒してからふっと力を抜いて、驚いた顔をしている校長先生に頭をさげた。

「すみません、そちらの女の子に蜂に似た虫が止まってて」

「えっ!」

 実の近くにいた女の子――この声、九条さんだ。九条さんが悲鳴をあげる。

 実は九条さんの方を振り向くと、絹糸のような艶やかな前髪を揺らし、瞳を細めて優しく笑った。

「びっくりさせちゃってごめんね。僕がステージから降りた音でびっくりしたみたいで、もういないから大丈夫だよ。それに蜂に似てたけど、見間違いだった」

 ほんとにごめんね、と花の蜜みたいに甘い声がとろけて、天使の顔がふわりと微笑む。

 女の子たちのものすごい歓声があがった。

 本当にすみません、ともう一度校長先生に向かって謝りながら、実が再び壇上に上がっていく。

 私は息を詰めたまま、まだ柏手の余韻が残る、じぃんと痛い両手のひらを見つめた。

 今の私の心臓に五十メートル走をさせたら、きっととんでもない記録を叩きだすに違いない。


 これは、本気で、ものすごく、ヤバいことになった。

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