第50話:それは、時代を映すタペストリー


 宙を舞ったカンペの紙が本棚の下に滑り込もうとした瞬間、わたしと神代君は同時に床へダイブ。そして、手を伸ばす。


「待て! 動くな! ストップ! ウェイト!」

 まるでB級映画の字幕みたいなことを言う神代君。


「届いてわたしの思い!」

 まるで邦楽の歌詞か少女漫画のタイトルみたいなことを言うわたし。


 当然紙が言うことを聞くわけもなく、無情にも本棚の下へ入り込む。

 それを追いかけてわたしと神代君の手が本棚の下へ突っ込んで……


「つかんだ!」

「こっちも!」


 どうやら二人とも紙の端をつまむことができたらしい。

 だが——


「あれ、手が抜けない」

「わたしも抜けない」


 本棚と床の隙間に手首がはまってしまった。



「神代君、わたしが紙を取るから君は手を抜いて」

「いや、八巻さんこそ手を抜いてくれ。僕が責任を持って取る」


「何よその『僕が責任を持って』って。こんな時だけ部長風吹かせないで」

「八巻さんも『一人で何でも背負いこむ』悪い癖が出ているぞ」


 お互い意固地になって譲らない。

 まるで子供の喧嘩だった。いや子供だけど!

 それか、ビンの中にあるバナナを握ったせいで手が抜けない猿の話みたいな。


「じゃあ二人一緒に手を抜こうよ」

「そうだな。せーの」


 二人で力を入れて引っ張ると——


 ギギギ……


「ちょ、本棚が!」

 本棚がこっちに倒れてくる!

 

 ドサドサドサッ!

 本が雨のように降ってきて、わたしに当たる。 

 部誌の束が頭に、銀英伝やマリ見ての単行本が肩に、百科事典が——痛っ!


「うわっ」

 思わず身構えて、目を瞑ってしまう。


 ……本棚の下敷きになる……と思ったけど、いつまで経っても倒れてこない。

 

 恐る恐る目を開けると——

 倒れてきた本棚を神代君が両手で支えていた。

 腕がプルプル震えていて、顔は真っ赤。


「は、早く……避けて……筋肉が……崩壊する……」

「そんな大げさな——」

「マジで……限界……漫画の主人公じゃ……ないから……」


 彼は自称『石から出てきたダンゴムシ』で、漫画の主人公じゃない。

 その通りだ。


 わたしは慌てて本棚から離れ、神代君はゆっくりと本棚を床に倒した。

「ふぅ……生きた心地がしなかった……」


 額の汗を拭う神代君。

 今の、ちょっとカッコよかったかも。


 わたしの心のなかで、彼の評価はワラジムシにランクアップされた。

 あいつら油断すると、とんでもないスピードで逃げてびっくりするんだよね。


「あ、ちょっと見て!」

 倒れた本棚の奥に、もう一つ本棚が置かれていた。


 だがその本棚には全く本がなく、まるでその奥を隠そうとする意図で置かれているような……。


「なんだこりゃ。マトリョーシカ? 本棚in本棚?」


 カラになっている本棚の下をのぞくと、向こう側に壁でなく、扉があった。

 古い木製の扉。年季が入っていそうだ。


 そして、カンペの紙は、扉の下の隙間にほとんど入り込んでいた。

 紙の端っこだけが、かろうじて見えている。


「こんな扉があるなんて知らなかったわ……」

「僕も初耳だ」


 いや、とわたしは思い出す。

 

 誕生日会騒ぎの時に、何かあることは気がついていた。今まで忘れてたけど。

 そして、バレンタインデーに乙多見先輩が意味ありげに本棚の方を向いたことも。

 

 たぶんこれのことだったんだ。


「ともかくカンペを取らないと話にならないから、まずカラの本棚をどかしましょう」

「了解」


 二人でカラの本棚を動かす——思ったより軽い。



 ◇◇◇



 そして、扉が完全に姿を現した。



「——開けるぞ?」

「ど、どうぞ」


 ゴクリと生唾を飲み込み、神代君がノブに手をかける。ガチャリ。


 扉をギーッと開くと、中から少し風が吹く。

 長い間開かれなかったのだろう、積み重なった時代のようなにおいがする。


 そこへ窓から風が吹いてきて……。

 積み重なった重い風と外から入ってきた新しい風が混ざり合う。

 その風は過去と現在をつなぐように、わたしたちの髪を揺らした。



 扉を完全に開いた先には、奥行き数メートル程度の小部屋があった。

 だけど、薄暗くて中がよく見えない。


「電気のスイッチは……ないな」

「こんな時には文明の力、スマホがあるでしょう?」


 ああそうだったと、神代君は胸ポケットからスマホを出す。

 ライトをONにして、小部屋へ向けると——


「うわあ……」


 小部屋の奥には本棚があり、そこにはぎっしりと刊行物が並んでいた。


 古い部誌『翡翠』の山、山、山。

 部誌だけでなく、一部活動日誌もある。

 そして、何かわからないプリントやチラシのようなものまで。

 葉書もある。誰からだろう。


「これは……すごい」

 神代君の声が、少し震えている。


「今まで見つからなかった、発行年の古い物が並んでる。2000年代、1990年代……まだ古いのもある」


 興奮を隠せない神代君は、まるで宝物を見つけた子供みたいだった。

 庭でダンゴムシを見つけた幼児のようなものだ。


 ふと、足元を見ると、一冊の部誌に紙が挟まっていた。

 『Watch Me ⇒』と書かれている。


「あ、この挟まってる紙、見て!」


 神代君は矢印が示す部誌を手に取ると、紙はカンペと同じところへひらっと落ちた。

 

 神代君は取った部誌をパラパラとめくり始めた。


 わたしは、カンペと落ちてきた紙を拾い上げる。

 紙は便箋で、文字から古いインクの匂いがした。


 その言葉は、まるで時を超えて届いた手紙のようだった。


────────────────────


 ここを見つけた人へ


 2年前、私たちの不手際により文芸部が一度廃部となりました。

 何を起こしたのかは、矢印で示した部誌をお読みいただければと思います。


 色々な方々の助力により再び創部が叶いましたが、以前の部と関係を切り離さないといけなくなり、過去の刊行物は部室には置けなくなってしまいました。


 そこで、この使われていないスペースへ保管することにしました。ここは名目上階段下のデッドスペースで、部室ではありません。


 ここにある部誌や日誌は、この学校に流れていた時間を縦糸に、そこに生きていた人々の思いや言葉を横糸にした時代を映すタペストリーたからものです。


 私たちのわがままかもしれません。でも、これは大切な記憶です。どうか受け継いでいってください。


 私事ですが、私と桜の間に子供が生まれる予定です。女の子なら綺麗な文章を書いてほしいので『文乃』、男の子ならただ一つの希望という意味で『一希』とするつもりです。


 いつか私たちの子供が継承してくれることを願って止みません。


 200×年9月 蔵本敏明 蔵本桜(旧姓・雄町) 記す


────────────────────


『時代を映すタペストリー』か……。

 本棚を見ると、刊行物はさまざまな色で、まるで幾何学模様のタペストリーに見えた。


 わたしたちのこの瞬間も、そこへ縫い合わされていくのだろう。

 そう思うと、少しだけ胸が暖かくなった。



 ——いや、それよりも。

 蔵本……一希……やっぱりそうなんだ。




 振り向くと、神代君が部誌を読みながら、涙を流してくすくすと笑っていた。




「どうしたの?」

「いや、これが……すごくバカバカしくて……でも……ちゃんと『その時代に生きていた』んだ」


 彼が読んでいた部誌をぱっと取り上げ、読んでみると……





次回予告:『翡翠(ひすい) 第51号』

部誌に乗っていたのは、ある男女の対となっている作品。

バカバカしいかもしれない。だけど、そこには『叫び』があった。


※ 次回は明日12時頃、次次回は18時頃の一日2話公開となります。

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