部誌第13号「時代を映すタペストリー」

第48話:始まれば、終わる


 ◇ ◇ ◇ ◇


世知恵よちえおねーちゃん、さっきから箱をじっと見ててキモい」


 妹、八千代やちよの声で我に返った。

 軽蔑の眼差し(まるで生ゴミを見るような目)が痛い。


「それ、例の彼からもらったんでしょ。中身カラなのにいつまでも持ってるの?」


 ホワイトデーの日、神代君からもらったそれには、四季ちゃんといっしょに手作りしたという菱形のホワイトチョコが4個綺麗に並んで入っていた。


 わたしがあげたチョコも菱形が4個だったから、等倍返しといったところなんだろう。


 チョコはすぐに食べてしまったが、どうしても箱を捨てることが出来なかった。

 なんせ、男の子から貰ったのは初めてだったから。

 女の子からは何度かあったけど。


「うるさい八千代。悔しかったらあんたも貰ってみな!」


 近くにあったクッションを投げる。

 八千代はそれを軽くキャッチ。


「ああ、昔はクッションさえ剛速で投げていたのに、情けない。私のソフト少女・世知恵おねーちゃんはどこへ行っちゃったんだろ」


「そんな子、もういないよ」


 中学2年、わたしは大怪我でソフトをできなくなった。

 それまでのわたしは全て『無駄』となった。


 そう、一度わたしは死んだんだ。

 だけど、教室の片隅にいたダンゴムシが新たな希望をくれて……。


「今は超有能編集長、八巻世知恵がいるのよ!」

「そのセリフは聞き飽きた」


 八千代はぷぃっと横を向いた。

 へへっ、勝った。


 さて、明後日からは新学年だ。

 割とすぐにクラブ説明会があるから、気合を入れないとね。


 それにしても春休みの間、神代君は何をしていたのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 桜が満開になると、僕は父の事を思い出す。


 ほとんどの記憶は、僕が小さかったせいで全てがあいまいだった。

 ぼんやりとした輪郭だけが、霧の向こうに見える程度。

 

 だけど、桜の花びらが舞っていたその日の記憶だけは、痛いほど鮮明に残っている。



 ◆◆◆



 その日、母に手を引かれて病室へ入ると、いつもと違い父は目を瞑ったままだった。


 ベッドの横には、よくわからない機械があって、

 規則的な音が部屋を満たしている。


 カーテン越しに差し込む春の光が、父の青白い顔を優しく照らしていた。

 

 僕達の気配を感じたのか、父はうっすらと目を開けた。

 そして、まるで言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


一希いつき……覚えておいて……欲しい」

 今にも消えそうな、か細い声。


「なあに、父さん」

「始まることは……必ず……終わりが……ある」

「おはなしのこと? しってるよ」


 父はよく幼い僕に『おはなしのつくりかた』を教えてくれていた。

 起承転結とか、主人公の成長とか。


 今回もまた、そうだろうと思っていたのだけど。

 父は深呼吸したが、その音は妙に弱々しく聞こえて。

 そして、ゆっくりと父は続ける。


「父さんの……おはなしは……もうすぐ……終わる」

「ふうん」


 五歳の僕には、その言葉の本当の意味がわからなかった。


「一希もいつか……おはなしを……書く時は……ちゃんと……終わらせないと……いけないよ」


 僕はその時、父が言ったことを理解していなかった。

 わかるようになったのは、ずっと後のことだ。


 その時の僕は無邪気で、残酷なほどに無知で。

 いつもと同じように父へ話しかけた。


「ぼくは父さんが書いたおはなしを読みたい。やくそくしたよね」


 父の表情が、少し曇った気がした。


「ここには……ないんだ」

「そうなんだ、つまらない」


 父さんはまた、深呼吸する。

 今思えば、それは痛みをこらえていたのかもしれない。


「通っていた……高校の……文芸部に……残って……いる……はず」

「こうこう……?」


「いつか……行くことが……あれば……探して……繋いで……欲しい」

「たからさがし? うん、やってみる」


 父の顔が、かすかにほころんだ。

 笑おうとしたのかもしれない。


「そこで……母さんに……出会った……」


「ぼくも、かあさんみたいな女の子にあえるかな」


 開いた窓から風に乗って、桜の花びらがひらり、ひらりと入ってきている。

 その一枚が父さんの頬に触れて、はらりと床に落ちた。


「だと……いいね……フッフッフッ……ゴホッゴホッ」

 咳が止まらなくなった。

 

 不意に母が僕の頭をなでたが、その手は震えていた。

 見上げると、涙が頬を伝っていて——


「続きを……書いて……」


 そこから看護師や医者がたくさんやって来た。

 慌ただしい足音。機械の音。大人たちの緊迫した声。

 

 僕は母に抱きかかえられて部屋を出た。

 最後に見たその顔は、なぜか穏やかで……。




 そして、父の『おはなし』は終わった。




 ◆◆◆



「兄ぃ、もういいんじゃない」

 四季の声で、現実に引き戻される。


「もう少しだけ」

 手を合わせたまま、僕は答えた。


「あんまり長いと、兄ぃのお父さんが空であくびするよ?」


「そう……だな」

 僕はゆっくり立ち上がり、ひざについた土を払う。


「パパ、ママと先に行ってるからね〜」

 待ちきれないのか、四季は小走りで墓地の出口へ向かっていった。


 ここは狭いし人が来るから危ないと何回言っても聞いてくれない……。

 でも、その辺りが四季らしい。


 振り返って、もう一度父の眠る墓を見た。

「じゃあ、また来年。今度は僕が書いた作品を必ず持ってくるから」


 風が吹いて、桜の花びらが舞った。

 新しい季節の始まりを告げるように。


 僕がどんな物語を書くのか、僕自身もまだわからない。

 父の続きを書くのか、新しい物語を書くのか。


 どちらにしても、父さんの作品を見つけないと。





次回予告:『カンペがない、どこへ消えた?』

4月10日、新入生へのオリエンテーションが行われる。

新入部員が入らないと文芸部が存続できない。

なのに神代はカンペをなくしたらしい……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る