第17話「秘密」

■2021年12月20日 22:00 ブレインランド・プロモーション/会議室


 細川は先日のライブ中に森高美穂が倒れた件について報告し、京子社長に対して活動スケジュールの見直しを訴えた。事務所の看板になりつつあるニシユルにとって今が重要な時期であることは重々承知しているが、「少なくとも彼女たちが高校を卒業するまでは仕事のペースを抑えるべきだ」というのが細川の意見だった。


 細川が話している間、京子は絶えずタバコに火を着け、一口二口吸っては灰皿に放り込んでいた。京子の灰皿にはわずか数分の間に10本以上の吸殻が溜まっていた。

 京子は新しいタバコを指に挟みながら葉月に訊ねた。

「森高美穂が倒れた話、あなた知ってた?」

「把握しています。ただ、直接的な原因は過労ではありません」

 葉月はキーボードに指を滑らせながらPCの画面を確認し、京子に報告した。

「森高さんは戦略本部に報告もせず、独断でダイエットを行っていました。そのせいで軽い栄養失調状態に陥っていたようです。ライブの舞台に立つには明らかにカロリーが足りていなかったと思われます」

 メンバーのことに関してはどんな些細なことでも把握しているつもりだった細川も、森高美穂のダイエットについては初耳だった。

「森高がダイエット? 本当ですか?」

「そうです。私たち戦略本部も把握が遅れました…申し訳ありません」

 京子はタバコを吹かしながら億劫そうに口を挟んだ。

「つまり、森高がIshtarの指示通りに食べていれば問題なかったってこと?」

「はい。森高さんはこちらの指示するカロリー量の摂取を怠っていました。彼女はIshtarを通じて虚偽の日次報告を上げていました。そのことについては先日厳重に注意しました」

 京子は肉付きの良い自分の二の腕を摘みながらケタケタと笑った。

「何でわざわざ痩せようとしたのかしら。アイドルグループには多少のポチャも必要だってのに」

 葉月は京子と目を合わせることもなく、PCを見ながら淡々と報告した。

「162.5cmの森高美穂に求められている現在の目標体重は60.4キロです」


 ニシユルの各メンバーには、戦略本部がカスタマイズした7インチのタブレット端末が手渡されていた。メンバーはタブレット内の「Ishtar(イシュタル)」と呼ばれるアプリケーションを使い、自身の体温や血圧などの体調変化、その日の食事内容、睡眠時間、活動に対するモチベーションなど、様々な情報を入力した上で、毎日20時〜26時の間に戦略本部へ送信することを義務付けられていた。

 また、戦略本部側もIshtarを使ってメンバー毎にカスタマイズした細やかな指示や連絡事項を送信していた。連絡事項には、直近数日間のスケジュール、レコーディング予定曲の歌詞、メロディ、振り付け動画、ライブのセットリストや演出など、グループ活動に必要な様々な情報が含まれていた。さらには目標体重を維持するために採るべき食事のメニューや摂取カロリーの目安、体力維持のためのトレーニングメニュー、適切な睡眠時間、モチベーション維持に関するアドバイスなどもIshtarを通じて伝達していた。

 細川自身も戦略本部からIshtarの別バージョンを貸与されており、日々のスケジュールや現場マネジメントに必要な情報はすべてIshtarで確認していた。ただし、各メンバーの日々の体重増減、バスト・ウエスト・ヒップのサイズ推移、生理周期といったセンシティブ情報へのアクセスに関しては制限を受けていた。


 京子は指の間に挟んだタバコを弄びながら言った。

「細川さん、毎日あの子とたちと一緒にいるあなたが森高の変化に気づけなかったってのは問題よね? これじゃあ現場マネージャーを付けてる意味がないじゃない」

 細川は京子の言う通りだと思った。ほぼ毎日一緒にいるメンバーの体や気持ちの変化に気づけなかったのは、明らかに自分の落ち度である。


 細川はメンバーのことなら何でも知っているつもりだった。彼女たちから信頼されている自負もあった。確かに最近の森高は他の四人と比べて少しぽっちゃりとしてきた感は否めない。多少体重が増えていることは察せられたが、アイドル活動に支障が出るようなレベルではなかったし、日々のコミュニケーションの中でも自分の体型や体重を気にしている素振りすら見せていなかった。


 京子は嫌味たっぷりに付け加えた。

「男性マネージャーの限界かしら。いくら付き合いが長くたって、年頃のメンバーからしたら男性のあなたに話せないこともあるわよね」

 細川は百も承知しているつもりだった。確かに異性である自分には話しづらいこともあるだろう。多感な年頃の女子であれば尚更だ。そうした事情があるからこそ女性アイドルには女性のマネージャーを付ける事務所が多いし、複数人のマネージャーがチームを組んでマネジメントを行う大所帯のグループであれば、メンバーの体調管理をサポートする女性スタッフが必ずと言っていいほど入っている。


 葉月が細川に言った。

「戦略本部側からも注意はしましたが…今後はIshtarに虚偽の報告を上げることのないよう、細川さんからもよく言っておいていただけると助かります」

 ビジネスライクと言えばそれまでだが、細川には葉月の言葉に感情が乗っていないように感じられた。

「葉月さん、承知しました。ただ、あの年代の女の子が “少しでも痩せたい” と思うのは仕方がないことだと思うのですが…」

 葉月は淡々と答えた。

「酒井紀香、148.8センチ 41.0キロ。渡辺蒔那、165.1センチ 50.7キロ。菊池セイラ、153.3センチ 46.2キロ。宝田舞、159.3センチ 45.7キロ。目標体重からプラスマイナス1.5キロ以内であれば許容範囲です。今日現在、酒井さん、渡辺さん、菊池さん、宝田さんの四名は、許容範囲内の体重をキープしています。ただ、森高さんはダイエットをしていた影響もあり、目標体重を5キロほど下回っている状況です」

 京子は灰皿に吸いかけのタバコを押し付けながら品の無い笑みを浮かべている。

「いろんな趣味のオタクがいるんだから、いろんな個性を揃えておかないとダメでしょ? 20人、30人、40人なんてアイドルグループも珍しくないのにニシユルは五人しかいない。その五人の中でしっかり個性を割り振っておく必要があるの。わかるでしょ?」

 細川は反論した。

「メンバーそれぞれのキャラクターが立っていることはグループアイドルにとって大事なことです。グループの人気を支える要員の一つであることにも異論はありません。ただ、事務所や大人たちが無理やり作ったキャラクターに対しては、ファンは嫌悪感を抱きます。そのうちファンからそっぽを向かれますよ。ましてやメンバーの一人を指名して “お前だけ痩せるな” と言うのは行き過ぎだと思います」

 葉月がPCから顔を上げた。化粧はほとんどしていないが、メガネと一体となった上品な目鼻立ちが際立っている。

「プログラムは変更できません。Ishtarに従ってください」

 この葉月の物言いには、温厚な細川も流石に腹が立った。

「Ishtarに従えって? プログラムだか目標体重だか何だか知りませんが、あなたたち戦略本部が勝手に決めてるだけじゃないですか。それを押し付けられるメンバーの気持ちも考えてくださいよ」

 やれやれと言った態度で京子が口を挟んだ。

「その目標体重、葉月さんや戦略本部が決めているわけじゃないの。ましてや社長の私が決めてるわけでもない」

「それなら誰が決めてるんです? 誰のどんな意図が反映されているって言うんですか」

 京子は不適な笑みを浮かべながら細川に言った。

「細川さん、あなたはIshtarを単なる情報共有ツールか何かだと思ってる?」

「社長、それは…」

 葉月の言葉に初めて感情が乗った。彼女は少し焦っているようだ。

 京子は葉月を諌めるように言った。

「いいじゃない。今後もこういうすれ違いが起こると困るし、その度に細川さんに呼び出されたりしたら堪らないのよ。細川さんはニシユルの現場マネージャーなんだから、今ここでIshtarのことをしっかり話しておくべきだわ。NDAにもサインしてるはずだから問題ないでしょ?」

 事務所とのNDA(秘密保持契約書)など、いつ交わしたのだろう。細川はまるで覚えていなかった。ただ、会社員である以上はどこかのタイミングでサインしたのかもしれない。

 細川は、自分の掌が汗で湿っていくのを感じていた。

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