第16話「回想」

 2019年、西新宿ゆるふわ組の生みの親である大泉京太郎社長が二年に亘る闘病生活の末に亡くなった。彼女たちのデビューが決まった頃には社長の病状は相当に悪化していたが、病床に臥しながらも並々ならぬ意欲で現場への指示を出すなどし、意識がなくなるその日まで彼女たちのプロデューサーであり続けた。


 京太郎社長が亡くなった数日後、彼の娘である大泉京子がブレインランド・プロモーションの代表に就任した。京子は京太郎社長が病に倒れる数年前から事務所に出入りし、数名のタレントやアイドルグループのマネジメントを担当していたが、女性アイドルの育成に情熱を注いでいた父親と敵対していたとも言われており、京子自身は自ら手掛けた男性アイドルグループの売り出しに躍起になっていた。


 京太郎が死去し、京子が社長に就任してからの約半年間、ニシユルの仕事は目に見える形で減っていった。西新宿のライブハウス「ユルノアナ」での地道なライブ活動からスタートした彼女たちはデビュー後の1年間で着実にファンを増やし、ドームやアリーナには届かなくとも2000〜3000人規模のホールツアーを組めるアイドルグループに成長していた。少しずつではあったがテレビや雑誌の仕事も増えてきた時期だっただけに、デビュー当時から京太郎社長と二人三脚で彼女たちを育ててきた細川文雄は京子社長の経営方針やニシユルの扱いに不満を持っていた。


 そんな京子社長が事務所内に西新宿ゆるふわ組の営業・育成・マネジメントを専門に担当する社長直轄組織「ニシユル戦略本部」を立ち上げると言い出したのは、2020年末のことだった。

 特定のタレントやグループに特化した社長直轄組織の設立はブレインランドにとって前例がなく、会社としても初めての試みだった。しかし、何よりも事務所のスタッフを騒つかせたのはニシユル戦略本部の人事だった。メンバーとしてアサインされたのは情報システム部門の社員数名のみであり、長らく現場マネージャーを勤めていた細川を含め、これまでニシユルの営業・運営・マネジメントに関わっていた人間は誰一人として召集されなかった。また、ニシユル戦略本部の存在は社外秘とされ、マスコミやメディアに対して口外することを固く禁じられた。

 これまでまったくと言っていいほどニシユルに興味を示さなかった京子社長の方針転換については、事務所内では様々な憶測が飛び交った。戦略本部とは名ばかりで、女性アイドルに興味のない京子社長が「ニシユルを飼い殺しにするつもりで作った組織に違いない」という文脈で京子社長を揶揄するスタッフも少なくなかった。


 ニシユル戦略本部設立後も、細川が現場マネージャーの任を解かれることはなかった。ただし、ライブやイベントの企画、出演メディアの選定や営業、中長期目線での運営・PR戦略など、かつては細川も一緒になって取り組んでいたグループマネジメントにおける上流側の企画業務からは外されてしまった。

 自身の担当範囲を減らさせられる形となった細川は「今まで以上に現場でのサポートに集中するしかない」と自分に言い聞かせ、不満や鬱憤を飲み込んだ。ただ、細川には京子社長が何を考えているのか皆目見当がつかなかったし、周りのスタッフたちが噂するように「飼い殺しにされるだけかもしれない」という不安も拭えなかった。

 細川は、いざとなれば彼女たちを連れて事務所を移籍する覚悟まで固めていた。


 しかし、結局のところ細川や事務所スタッフが恐れていた「ニシユル飼い殺し説」は杞憂に終わった。2021年の年明け早々、京子社長はニシユルの新メンバー募集オーディションを開催すると発表したからだ。

 デビューから2年間、酒井紀香、渡辺蒔那、菊池セイラ、森高美穂という四人の固定メンバーで活動してきただけに、メンバーや細川が受けた衝撃はとてつもなく大きかった。それでもオーディション開催や新メンバー加入というビッグイベントは、停滞していたグループ活動の起爆剤となる可能性を秘めていることは確かだった。事務所内では驚きの声こそ挙がったものの、ネガティブな意見が囁かれることはほとんどなかった。何よりオーディションの告知や選考オペレーション、新メンバーのお披露目イベントには莫大な費用と手間がかかる。ニシユル戦略本部がニシユルを飼い殺すために作られた組織ならば、そんな手の込んだ企画を立ち上げるはずはない。細川は何よりもそのことに安堵していた。


「西新宿ゆるふわ組 新メンバーオーディション/BREAKTHROUGH POINT」と銘打たれたオーディションは、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアを通じて告知され、1カ月で1万人以上の応募を集めた。書類審査、歌唱審査、ダンス審査、面談審査など計8回にわたる選考の結果、2021年6月、当時中学三年生だった宝田舞の合格が発表され、同年8月2日に正式加入した。


 すべての選考は、ニシユル戦略本部によって極めてコンフィデンシャルに進められた。様々な審査・選考過程があったにも関わらず、ニシユルの現場マネージャーを勤めていた細川にさえ、いつ・どこで・誰が審査を行っているのかといった具体的な情報は伝えられなかった。

 事務所スタッフの噂によると、約1万人の応募者のうちの99%以上が書類選考で落とされたとのことだった。SNSやネットの掲示板では「オーディションにエントリーした」「書類選考で落とされた」といったレベルでちらほらと個人からの情報発信が見受けられたものの、書類審査以降の選考に進んだ候補者の情報はほとんど出てこなかった。1万名以上の候補者がエントリーし、そのうちの何人かが本選考に進んでいたとすれば、ネットを通じて何らかの情報が発信されていない方が不自然だ。事務所側がどれだけネットやSNSでの情報発信を規制したとしても限界があるはずだ。


 オーディションの行方を注視していたニシユルファンたちが、そうした不自然な状況をスルーするはずもなかった。「オーディションはヤラセだった」「新メンバーは事前に決まっていた」「宝田舞はコネで加入した」といった噂が流れ、ネットやSNSではそのことが既成事実のように語られた時期もあった。

 そのため宝田舞加入直後のライブやイベントでは、彼女に対してブーイングをする古参ファンも少なくなかった。グループのデビュー以来、初となる中途加入者であったことに加え、不自然なオーディションへの疑惑も重なって、宝田舞の加入を好意的に受け入れたファンは多いとは言えなかった。

 それでも彼女の優れたパフォーマンスと特異なキャラクターは、新規楽曲のヒットと併せて多くの新規ファンを獲得する原動力となった。また、宝田舞が四人体制時代の絶対的エースとして君臨していた菊池セイラのライバル的立ち位置を確立したことは、グループに新たな物語性を付与することにもつながった。菊池セイラの古参ファンが宝田舞のアンチとなるネガティブな事象も発生したが、こうしたグループ内の対立構造は運営サイドにとって歓迎すべき展開の一つでしかなかった。


 オーディション開催と宝田舞の加入を経たニシユルはトップアイドルへの上昇気流に乗った。デビュー以来、定期的に続けていた握手会などの接触イベントを減らしていった一方で、テレビ・ラジオ・インターネットメディアへの出演、ホールクラスでのコンサートツアーといった大きな仕事が急激に増えた。スケジュールは半年先まで埋まっていた。

 小さなライブハウスでの公演と握手会を繰り返すばかりの時代から彼女たちの成長を見守ってきた細川にとって、この忙しさは歓迎すべきものでしかなかった。とはいえここ数カ月間の圧倒的な過密スケジュールにより、メンバーたちは明らかに疲弊していた。学業との両立など叶うはずもなく、メンバーのほとんどは学校に顔を出すことすらできていない。

 つい1週間前のライブでは、メンバーの一人である森高美穂がライブ中に倒れるトラブルも発生した。五人の無尽蔵とも思える体力と精神力には度々驚かされていた細川だったが、現状では臨界点に達していると判断せざるを得なかった。




 * * *




■2021年12月20日 21:30 ブレインランド・プロモーション/会議室


 2021年の年末、細川文雄は大泉京子社長とニシユル戦略本部に対して、ニシユルの活動スケジュールの見直しについて上申することを決意した。ニシユルメンバーと自分自身にとって3カ月ぶりのオフを前日に控えたその日の夜、細川は久方ぶりにブレインランド・プロモーションの本社を訪れていた。


 細川がニシユル戦略本部の専用会議室に入ってから15分以上が経っていた。

 細川は疲れ切っていた。一刻も早く家に帰って寝たい。2週に1日は完全オフの日を作ってもらおう。ニシユルはブレインランドの稼ぎ頭になったが、彼女たちが壊れてしまっては元も子もない。流石に社長も受け入れてくれるだろう。そんなことを考えながらウトウトしていると、大泉京子社長が会議室に入ってきた。眼鏡をかけた長身の女性も一緒だ。


「こんな時間に私を呼びつけるなんて、細川さんも出世したわね」

 京子社長は細川の顔色を伺おうともせず、クッションの効いた椅子に大きな尻をドカッと乗せた。長身の女性は席に掛けるなり、手にしていたノートPCを開けてキーボードを叩き出した。

 細川はその長身の女性と会ったことがなかった。社内では見かけない顔だ。社長の新しい秘書だろうか。

 長身の女性は、メガネの縁を指で撫でながら細川に向かって軽く頭を下げた。

「始めまして。ニシユル戦略本部の菜月と申します」

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