憧れの先輩が「高嶺の花に嘘告白しろ」と命令してきた。なぜかOKをもらえて付き合うことに〜先輩の瞳から光が消えたのですが?〜
工藤ナツキ
第1話
放課後の教室は、まだ昼の熱気を吸い込んだまま、わずかに蒸し暑かった。
窓の外から聞こえる運動部の掛け声は、耳には届かない。
いや、聞こえているが、耳に入れたところで僕の日常に何ら影響はない。
日中の授業という名の、社会の歯車になるための慣らし運転で疲労困憊した僕は、そのまま机に突っ伏して、意識の底へと沈んだ。
別に何かがあったわけじゃない。
ただ、日常とはいつもこんなものだ。
クラスの端っこ。
特に目立つこともない。
ごく普通の男子生徒。
それが僕、
◇◇◇
その平穏な日常の中で、クラスには、ひときわ異彩を放つ存在がいる。
完璧な美貌。
それゆえに近寄りがたい。
常にクールな雰囲気をまとう彼女は、男子生徒たちの間でも高嶺の花として崇められていた。
彼女の周りにはいつも人だかりができていたが、誰もが畏敬の念を抱き、おいそれと話しかけられるような雰囲気ではなかった。
ある日の昼休み。
クラスのムードメーカー的存在である佐藤が、意を決したように雫に近づいていくのが見えた。
「月白さん、これ、よかったら。新作のパンだってさ」
佐藤は少しはにかみながら、購買で買ってきたばかりのメロンパンを差し出す。
しかし、雫はチラッと見ただけで、すぐに視線を窓の外に戻した。
「いらないわ。それに、あなたみたいな人に話しかけられても迷惑なだけよ」
その冷たい一言に、佐藤は肩を落とし、しょんぼりと自分の席に戻っていった。
また別の日の放課後。
担任に呼ばれた雫が職員室から戻ってきた時、廊下で別のクラスの男子生徒が声をかけた。
「月白さん! ちょっと話があるんだけど!」
彼は少し息を切らしている。
おそらく、雫を追いかけてきたのだろう。
「何の用? あなたに話すことなんて何もないわ」
雫は足を止めることなく、冷淡に答える。
「そ、そんなこと言わないでさ! 今度の文化祭、一緒に回らないか?」
男子生徒は必死に食い下がるが、雫はぴしゃりと言い放った。
「他を当たって。時間の無駄だわ」
そして、あっという間に人波に紛れて姿を消した。
男子生徒は呆然とその場に立ち尽くしていた。
僕にとって、月白雫はまさに「高嶺の花」だ。
そんな彼女と、僕の日常が交わることなどありえない。
そう信じて疑わなかった。
だがその平穏は、突然破られた。
◇◇◇
「おい、小林。こんなところで寝てんのか? ったく、お前は本当に手がかかるな」
耳元で、甘く、それでいて有無を言わせぬ声が響く。
顔を上げると、そこにいたのは
学園中の憧れの的。
太陽みたいな明るい笑顔で、誰にでも優しい。
男女問わず慕われる学園のヒロイン。
ショートヘアがよく似合う、活動的でボーイッシュな雰囲気の先輩だ。
その称号に、彼女は一切の疑問符を挟ませない。
先輩との腐れ縁は、もう何年も前からだ。
小学生の頃。
近所の公園で遊んでいた時に、迷子になって泣いていた僕を、先輩が家まで送ってくれたのが始まりだった。
それ以来、何かと絡んでくる。
先輩は僕の机にドンと片手を置いて、顔を覗き込んできた。
「先輩、別に寝てたわけじゃ……」
「言い訳は聞きたくないね。ほら、これ」
先輩が、目の前にプリントを突き出してきた。
それは、僕が借りっぱなしにしていた参考書に挟まっていた、先輩の置き忘れ物だった。
「あ、すみません。忘れてました」
「ったく、お前は本当に忘れっぽいんだから。私がいないと、何もできないんじゃないの?」
「そんなことないですよ。僕だって、一人でできることくらい……」
「へえ? じゃあ、このプリント、忘れずに私に届けるって約束、守れたの?」
先輩の挑戦的な視線に、言葉が詰まる。
いっつもこうだ。
結局、先輩のペースに巻き込まれてしまう。
「……それは、すみません」
「だろ? だから言ってるんだよ。お前は私がいてこそ、なんだってね。ふふ」
呆れたようにため息をつく先輩だが、その表情にはどこか楽しそうな色が浮かんでいた。
この甘い声。
そして、からかうような視線は、いつもの日常風景だった。
そういえば、先日、体育祭の選手宣誓で、先輩がマイクを握ったときのことだ。
それまでざわついていたグラウンドが、一瞬で静まり返った。
凛とした立ち姿と、透き通るような声。
そこから放たれる力強い言葉に、生徒たちは皆、釘付けになっていた。
「さすが一条先輩、かっこいい!」
「あんな風に、私もリーダーシップがとれたらな……」
周りからは、そんな憧れの声が漏れ聞こえていたっけ。
「それでさ小林。ちょっと協力してほしいことがあるんだけど」
先輩の声が、僕を現実に引き戻す。
だが、その日の先輩は、どこか獲物を値踏みするような眼差しを僕に向けていた。
その視線は、まるで獲物が罠にかかるのを待つ猟師のようだった。
いや、僕は獲物ではない。
せいぜい、転がっている石ころ程度だろう。
「お前、あの月白雫に、嘘の告白してこい」
雫さんに、告白?
なんでいきなりそんなこと。
しかも嘘?
無茶にもほどがある。
いや、無茶を通り越して、もはや悪趣味だ。
「いや、先輩、さすがにそれは……僕みたいな奴が、月白さんに告白なんて……絶対無理ですよ。どう考えても不釣り合いでしょう?」
「お前は私の言うことだけ聞いていればいいんだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「で、でも、月白さんって、誰にでも冷たいですし……僕なんかが話しかけても、きっと相手にされないですよ」
「相手にされるかどうかは、お前が決めることじゃない。私が決めんだよ。いいか、お前はただ、私が言った通りにセリフを吐けばいい。それでおしまいだ。難しいことなんて何もない。お前ならできるだろ?」
その言葉には、拒否権は存在しなかった。
結局、先輩の意図を知ることもなく、頷くしかなかった。
◇◇◇
翌日。
「月白さん……僕、あなたのことが、好きだ!」
体育館裏。
震える声で告白を放つ心臓は、警鐘のように鳴り響いていた。
失敗する。
当然だ。
どうせ、鼻で笑われて終わりだ。
そう確信していた。
むしろ、失敗することで、先輩への約束を果たしたことになる、と。
これで解放される。
そう信じていた。
しかし、雫は驚くほどあっさりとその告白を受け入れた。
「……そう。私も、小林君のこと、悪くないと思ってるわ。ふふ、まさかあなたが、ね。少し驚いたけど、あなたの真っ直ぐな言葉、嫌いじゃない」
雫は頬に指を当て、少しはにかむように微笑んだ。
その微笑みは、学園の男子生徒を惑わすには十分すぎる破壊力を持っていた。
「え、あ、その、僕なんかで、本当にいいんですか?」
信じられないという顔で、半ば震えながら聞きかえす。
「ええ、もちろんよ。あなたが私のことを好きだと言ってくれた。それだけで十分だわ。……でも、一つだけお願いがあるの」
「お、お願い、ですか?」
「ええ。私たちの関係は、今はまだ秘密にしてほしいの。色々と面倒なことになるのは、私も小林君も嫌でしょう?」
雫の意外な提案に、さらに混乱する。
秘密?
なぜ?
しかし、彼女の真剣な瞳を見て、頷くしかなかった。
「わ、分かりました。秘密、にします」
目の前には、少しだけ頬を染めた雫の姿。
周囲からはひそひそと驚きの声が漏れる。
「マジかよ、あの小林が!? ありえねぇ!」
「佐藤じゃなくて小林の方かよ……どうなってんだ、この世界?」
「信じられねえ……小林、あんな地味なのに……なんでだよ…」
そして、僕たちを隠れて見ていた先輩の姿が、一瞬だけ、硬直したように見えた。
その瞳には、一瞬、読めない感情が宿ったが、すぐに普段の涼しげな表情に戻っていた。
だが、その一瞬の動揺を、決して見逃さなかった。
こうして、冴えない僕と学園の華である雫の、奇妙な「偽装恋人」生活が始まった。
購買で雫と並んで歩けば、周囲から羨望の視線が突き刺さる。
その視線は、僕という存在を確かに捉えている。
「おい、小林、お前、すげぇな! マジで月白さんと付き合ってんのかよ?」
「月白さんと付き合うとか、夢かよ! どんな秘訣があるんだ、教えてくれよ!」
「これでお前もリア充デビューだな! どうだ、リア充の気分は?」
「あ、いや、そんな……」
照れ隠しに、曖昧に言葉を濁す。
「謙遜すんなって! まじ羨ましいぞ!」
クラスメイトたちの言葉に、生まれて初めて味わう優越感に、どこか戸惑いながらも、内心では浮かれていた。
リア充の気分?
まあ、悪くはない。
僕は、学園一の美少女の彼氏だ。
たとえそれが嘘だとしても、この事実だけは揺るがない。
だが、この「成功」に最も衝撃を受け、そして水面下で深い動揺を隠していたのは、他でもない
◇◇◇
廊下、誰もいない放課後。
先輩が壁に貼られた生徒会のポスターを眺めている。
そこには、僕と雫がペアを組んで文化祭の実行委員を務める、という告知が書かれている。
先輩の指が、僕と雫の名前の上をなぞった。
その指先が、ほんのわずかに震えている。
「ふふ、まさか、あんたがねぇ……。本当に、やるもんだね。私の予想を、ここまで外すとは。いやはや、驚きだね、小林」
誰にも聞こえない、小さな呟き。
普段の彼女からは想像もできない、暗く淀んだ感情が、その瞳の奥で蠢いていた。
まるで、完璧な仮面の下で、何かが歪み始めているかのように。
「てっきり、惨めに失敗して、私に泣きついてくると思ってたのに。そしたら、私が優しく慰めてやって、もっと私に縋らせてやれたのに……。あの月白雫に、お前なんかが相手にされるわけないって、誰よりも私がよく知ってるはずだったのに……!」
楓先輩は、表向きは変わらず堂々と振る舞っていた。
校内ですれ違えば、いつものように「ちゃんとやってるか? 課題は終わったのか?」と笑いかけてくる。
だが、その笑顔の裏には、どこか張り詰めたような空気が漂い始めていた。
僕の勘が告げていた。
これは、何かの前触れだと。
雫と昼食をとっていると、先輩が近くの席に座り、僕たちの会話に耳を傾けているのが分かった。
「ねえ、小林君、このパン、美味しいわよ。一口食べる? あなたの好きなメロンパン」
雫が自分のパンを差し出す。
「あ、いいの? ありがとう、月白さん。じゃあ、遠慮なく」
少し遠慮がちに、しかし嬉しく受け取った。
「どう? 美味しい?」
雫が僕の顔を覗き込む。
「うん、美味しい。ありがとう、月白さん」
「よかったわ」
雫が僕の頬についた米粒を取ってくれた瞬間、先輩の持っていたフォークが、カチャリと音を立てて皿に落ちた。
「あっ、ごめんなさい。手が滑っちゃった」
先輩はすぐに拾い上げ、何事もなかったかのように振る舞う。
その声は、いつも通り澄んでいた。
それは、ほんの些細な出来事。
だが、気のせいか、先輩の表情が、一瞬だけ凍り付いたように見えた。
その視線は、一瞬だけ、雫の手元に向けられていたように思えた。
見間違いだろうか?
いや、直感が何かを告げていた。
◇◇◇
雫との「偽装恋人」関係が始まって数週間。
日常は以前とは比べ物にならないほど華やかになった。
昼食を共にし、放課後に一緒に帰ることも増えた。
しかし、雫が他の男子生徒に接する態度は、僕と付き合う前と何ら変わっていなかった。
ある日の授業中、隣の席の田中が、雫に小声で話しかけた。
「なあ、月白。この問題、どう解くんだ?」
田中は、クラスでも成績優秀な方だが、雫には遠く及ばない。
雫はチラリと田中のノートに目を向けたが、すぐに顔を背けた。
「自分で考えなさい。私に聞くのは時間の無駄よ」
田中は顔を赤くして俯いた。
僕はその様子を、少し離れた席から見ていた。
雫は僕に対しては優しいが、他の男子には相変わらずだ。
体育の授業後、汗を拭きながら男子生徒たちが水を飲んでいると、また別の男子が、雫に声をかけた。
「月白さん、今度の日曜、映画行かないか? ちょうど面白いのが公開されるんだけど」
彼は少し期待したような顔で、雫の返事を待っている。
「興味ないわ。それに、あなたと行く趣味もない」
雫はぴしゃりと切り捨て、僕の方をちらりと見て、微かに微笑んだ。
その瞬間、僕は「偽装」とはいえ、彼女の隣にいることが少しだけ優越感に繋がった。
彼女の冷徹さが、僕という存在を際立たせているように感じられたのだ。
◇◇◇
ある日の放課後、購買でパンを選んでいると、たまたま先輩の姿が見えた。
彼女は女子生徒たちに囲まれていて、楽しそうに話している。
「楓先輩、この前の数学のテスト、どうやって勉強したんですか? 私、全然ダメで……」
「一条先輩、今度の文化祭の出し物、何かアイデアありませんか?」
先輩はいつも笑顔で、一人ひとりの質問に丁寧に答えていた。
その姿は、まるで太陽が皆を照らしているようだった。
そんな先輩が、僕が雫と下校していると、急に僕の前に立ちふさがった。
雫は少し驚いた顔をしている。
「おい、小林。ちょっと来い。話がある。今すぐだ。拒否権はないぞ」
先輩の声は低く、命令形だった。
それは、告白を命じた時と同じ、有無を言わせぬ響きだった。
「一条先輩? 何か用ですか? 小林君に、ですか?」
雫が尋ねる。
その声に、かすかな警戒の色が混じっている。
「ああ、お前には関係ない。これは、私と小林の問題だ。少し借りるぞ。すぐ返す」
「そうですか……でも、あまり長く連れ回さないでくださいね。小林君は、私の彼氏ですから」
雫のその言葉に、先輩の目がピクリと動いた。
しかし、すぐに彼女はいつもの涼しい笑顔を取り戻す。
「分かってるよ、月白。心配しなくても、すぐ返すから」
先輩は僕の腕を掴むと、そのまま強引に、人通りの少ない裏庭へと連れて行った。
その握力は、見た目以上に強かった。
「またね、小林君。あまり遅くならないようにね」
雫が少し心配そうな顔で、僕たちを見送っていた。
その眼差しが、僕の背中を焼き付けた。
◇◇◇
裏庭の隅。
先輩は僕を壁際に追い詰め、その両腕で僕の逃げ道を塞いだ。
顔に、先輩の甘い香水の匂いがまとわりつく。
それは、いつもは心地よかったはずの香りが、今はどこか息苦しく感じられた。
「なぁ、あの告白、本当に『嘘』のままにできるのか? あの女を、いつまでその立場に置くつもりだ? なぁ?」
先輩の声は、いつもの明るさとはかけ離れていた。
抑えきれない欲情と、静かな脅迫。
まるで、僕の心の内を暴こうとしているかのような、鋭い眼差しが僕を射抜く。
その視線は、全てを見透かしているかのようだった。
「どういう意味ですか、先輩……僕は、ただ先輩の言われた通りに……」
声が震える。
口から出た言葉は、これ以上ないほどに陳腐で無力だった。
「とぼけるなよ。お前が雫に告白した時、私は見てた。あんな、お前らしくないセリフ、誰かに言わされたんだろ? ……で、私に、だ。私がお前に、告白しろって言ったんだ。そうだな?」
「それは、そうですけど……」
「なのに、なぜだ? なぜ、その嘘が、本物みたいになってる? なぜ、あの月白雫が、お前の隣にいるんだ? 私の、隣じゃなくて。あんな女なんかに、お前を奪われてたまるか。お前は、私が、私だけが見つけて、育ててきたはずなのに……!」
先輩の呼吸が荒くなっているのがわかる。
その吐息が、僕の首筋にかかる。
「私が、お前のこと、どう思ってるか……知りたくないのか? お前が、私にとって、どれほど特別な存在か……私はお前が欲しいんだ。私だけの……」
なにかが、壊れる音がした──
戻れないのかもしれない。
もうあの頃には。
憧れの先輩が「高嶺の花に嘘告白しろ」と命令してきた。なぜかOKをもらえて付き合うことに〜先輩の瞳から光が消えたのですが?〜 工藤ナツキ @r0zir_o
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