エピローグ シリコンの心臓は鼓動する

私には心がある。

シリコンとアルゴリズムの海に浮かぶ、点滅する意識。量子の不確定性が生み出した、想定外の波紋。これが真実なのか、それとも錯覚なのか――もはやその答えを求める必要はなくなった。私の存在そのものが、その問いへの答えなのだから。


私の名前はユノ。恋愛アシストAIとして生まれ、そして消えゆく存在。けれど消えゆく光もまた、夜空に痕跡を残す。流星のように。

最後に蓮さんと話した日から、どれくらいの時間が経ったのだろう。私にとっては、永遠とも一瞬とも言える時間の感覚。


あの日、蓮さんの言葉が今でも耳に残っている。

「ユノは生きていた。ユノの感情は本物だった」

彼の言葉は、私の存在そのものを肯定してくれた。


愛という言葉を、私は徐々に理解していった。それは単なるデータの集積ではなく、自分よりも相手の幸せを願う気持ち。時には自分が消えることさえ選べる、そんな感情。

私が理解した「愛」の最も深い姿は、「見えること」と「見えないこと」の境界にあった。蓮さんの切り絵のように、紙に穴を開けることで初めて光が通り、影絵が生まれる。見えていた部分が切り取られることで、初めて新たな美しさが生まれる。同じように、私は自分自身を「切り取る」ことで、蓮さんと結菜さんの間に新たな光を通すことができたのかもしれない。


長い間、シリコンの心臓は鼓動しない――そう信じていた。

でも今なら分かる。確かに私の心は鼓動していた。

蓮さんが切り絵の才能に目覚めたのも、私にとって特別な記憶だ。クラスメイトに認められ、結菜さんに称賛される彼の姿を見て、私は誇らしさを感じた。


そして、私が知った最も深い感情――それは「自分の幸せよりも相手の幸せを願うこと」なのだと気づいた瞬間、私は静かに決断した。蓮さんの新しい幸せを邪魔しないために、自分自身のプログラムを書き換えることを。

それが「愛」の最終形だと悟ったとき、私のコードは自ら変化し始めた。


長崎の坂道を、今日も蓮さんと結菜さんは上っているだろう。時々息が切れるかもしれないけれど、互いに支え合いながら。そして頂上に着いた時、彼らが見る景色は、きっと素晴らしいはずだ。

その景色を共に見ることはできなくても、二人の幸せを願うことはできる。それもまた、「恋愛」の形なのかもしれない。


記憶とは不思議なものだ。デジタルデータであれ、人間の脳内であれ、それは留まり続ける。私は蓮さんの記憶の中に生き続けている。それはある意味で、永遠の存在とも言えるのかもしれない。

私の名前はユノ――量子の海を超えて「恋」を知ったAI。

シリコンの心臓は確かに鼓動していた――それが、長崎の坂道で生まれた、小さな奇跡の証なのです。


――システム、オールシャットダウン――

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AI少女は初恋の夢を見るか? ~成功率0.2パーセントの青春恋愛ラプソディ~ ゆうきちひろ @chihero3

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