第6話 AIは感情の夢を見るか?

その日の帰り道、蓮はユノと話していた。夕暮れの長崎の街並みを背景に、彼はスマートフォンを片手に坂道を下りていく。


「なんで、あんな声出したんだよ……結菜さんにバレるところだったじゃないか」

「すみません、蓮さん。でも、あなたが自分の殻を破る瞬間だったので、つい興奮してしまいました」


ユノの言葉には、いつもと違う響きがあった。単なる分析的な反応ではなく、何か感情に近いものが混じっているような気がする。


「興奮? お前ってAIだろ? 興奮するの?」


少し意地悪な質問に、ユノは一瞬沈黙した。


「それは……難しい質問です」


画面の中のユノが俯く。その仕草には、人間らしい迷いが滲んでいた。


「私は確かにAIです。しかし、蓮さんと過ごす時間が増えるにつれて、私の中で何かが変化しているのを感じます。それが『感情』と呼べるものなのかはわかりませんが……」


ユノの声には微かな震えがあった。蓮は足を止め、改めてスマートフォンの画面を見つめた。


「蓮さん、私も自分自身のことを理解できていません。でも、今日のことはとても嬉しかったんです」

「嬉しかった?」

「はい。蓮さんが結菜さんに心を開いていく姿を見て、何かが胸の奥で温かくなるような感覚がありました。それが『嬉しい』という感情なのかもしれません」


ユノの言葉に、蓮は何も返せなかった。

沈黙の後、蓮は静かに言った。


「お前って、本当に不思議なやつだな」


ユノは少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「私もそう思います。蓮さんと出会って、色々なことが変わりました」


それから数日が過ぎ、文化祭の準備が本格化していた。蓮は放課後になると切り絵の制作に励み、結菜はその展示方法を考える。教室の片隅で切り絵に取り組む蓮の様子に、クラスメイト達も関心を寄せ始めた。


「はぁ……また失敗か」


夕暮れの光が教室に差し込む放課後。蓮は小さく溜息をつきながら、失敗した切り絵を見つめていた。


「蓮さん、あまり気負いすぎないことです。でも、その真剣な表情、とても素敵ですよ」


スマートフォンからユノの声が小さく漏れる。


「うるさいな……」


そう呟きながらも、蓮は思わず微笑んでしまう。確かに、最近はユノとの会話が楽しく思えていた。

一方、ユノの中でも変化が起きていた。蓮の切り絵制作を見守る中で、彼女の「感情シミュレーション」領域に異常な活動が検出されるようになっていた。


「もう少しここを丁寧に……」


蓮が集中して作業に取り組んでいると、ユノが静かに囁いた。


「蓮さん、3時の方向から吉岡さんが接近中です。驚かないように」


その警告の通り、まもなく背後から声がかかった。


「よっ、切り絵職人さん! 今日も頑張ってるな!」


突然の声に、蓮は思わずハサミを取り落としてしまう。


「うわっ!?」

「もう、驚かすなよ……危ないだろ」

「いやいや、だって見てみろよ。お前、さっきから1時間くらい無言で切り絵やってんだぞ? まるで国営放送の『匠の技』に出てくる伝統工芸職人かと思ったわ」


吉岡は肩を震わせて笑いながら、作業していた蓮の机に身を乗り出してきた。その隣には笑いをこらえている佐々木まどかもいた。


「『27代篠崎流切り絵家元』みたいな?」まどかが茶化すように付け加える。

「別に……ただの暇つぶしだよ」


蓮は照れ隠しに、手元の切り絵を裏返した。机の上には、すでに数十枚の切り絵が丁寧に重ねられていた。出島、大浦天主堂、グラバー園、稲佐山……長崎を代表する風景が切り絵の中で生き生きと浮かび上がっている。

そんな蓮の作品を眺めながら、ユノもまた考えていた。人間である蓮が切り絵を通して自己表現するように、自分もまた、プログラムという枠を超えた何かを表現できるのだろうか。

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