第5話 夕暮れに染まる名前
数日後の放課後、教室に残っているのは蓮と結菜、それに数人のクラスメイトだけになっていた。蓮は明日以降のため、切り絵の材料を整理していた。
「篠崎君」
結菜が静かに声をかけてきた。教室に残る夕陽が彼女の横顔を照らしている。
「なに?」
「私、本当に嬉しいよ。篠崎君の切り絵が文化祭で展示されると思うと」
結菜の瞳には、自分のことのような喜びが宿っていた。彼女は窓際に置かれた切り絵に手を伸ばし、光に透かして見た。
「私ね、いつも篠崎君が一人で何かに集中している姿を見てたんだ。でも、その〝何か〟が何なのかわからなくて」
彼女の声には、長い間の気になる存在への思いが混ざっていた。
「中学の時から、クラスの隅で誰とも話さずに何かを必死でしている篠崎君が、すごく気になってた。でも、声をかける勇気がなくて……」
結菜が言葉を詰まらせる。いつも周囲の人を引き付ける彼女が、こんな風に迷う姿を見せるのは初めてだった。
「今回やっと、篠崎君の世界に少し入れた気がして。すごく嬉しいの」
その瞳には、長い間の思いが溢れていた。
「でも、なんでそんなに喜んでくれるの?」
思わず蓮は聞いてしまった。
結菜は少し考えるようにして、窓の外の景色を見つめた。夕陽で赤く染まった雲が、彼女の横顔を優しく照らしている。
「私ね、長崎が大好きなの。この街の歴史も、文化も、景色も。でも私には、それを表現する才能はなくて……」
彼女は少し寂しげに笑った。その笑顔の裏に隠された感情に蓮は驚いた。
「だから、篠崎君の切り絵を見た時、すごく感動したんだ。私が言葉にできなかった長崎の魅力を、篠崎君は紙とハサミだけで表現できる。それって、本当にすごいことだよ」
蓮は胸が熱くなるのを感じた。自分の切り絵が、ただの趣味ではなく、結菜の心にも響く何かを持っていたとは。
「ありがとう」
蓮は静かに言った。
「ねえ、私たち中学から一緒だよね?」
「そうだね」
「そろそろ『結菜』って呼んでくれない? 同じ中学の子たちはみんな『結菜』って呼ぶのに、篠崎君だけ……」
彼女はちょっと照れくさそうに言った。
「え? あ、じゃあ……結菜……さん」
蓮の心臓が飛び跳ねた。ファーストネームで呼ぶなんて、想像もしていなかった。
「うん、そっちの方が自然だよね」
結菜は嬉しそうに微笑んだ。
「私も篠崎君のこと、『蓮くん』って呼んでもいい?」
蓮はうなずくことしかできなかった。あまりの展開に言葉が出てこない。
「きたー!」
ポケットの中でスマートフォンが大きく震え、ユノの興奮する声がした。
「明日も頑張ろうね、蓮くん」
「うん、結菜さん」
蓮が応えた声は、以前より少し強く、少し自信に満ちていた。
二人の間に流れる空気は、長崎の夕暮れのように優しく、そして温かかった。
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