第1話 いわく付きのポンコツAI
初秋の夕暮れ時、長崎の浜町アーケードにある電器店の前で篠崎蓮は立ち止まった。
スマートフォンの画面を一度見つめると、深いため息をついた。バッテリーが急速に減っていき、残り5パーセントを示している――まるで彼の気力のように。
「もう駄目かもなぁ……」
蓮が呟いた瞬間、画面が暗転し、電源が落ちた。暗くなった画面に映る自分の顔に、彼は少し眉を寄せた。少し垂れた瞳、男子にしては細い肩、自称「長崎で最も目立たない男子高校生」である。
だが本当は、目立たないのではなく、目立たないようにしていたのだ。中学の時、あの出来事があってから――友達との何気ない冗談が思わぬ方向に転がり、クラス中に広まって孤立してしまった。その日から「目立たないこと」は、彼にとって生きる術となった。
派手なディスプレイの光がスマートフォンに反射して、まるで星空のように輝いている店内に足を踏み入れると、週末の夕方ということもあって客で賑わっていた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
男性店員の声に、蓮は反射的に体を強張らせた。見知らぬ人との会話、特に接客されるのが苦手だった。呼吸が浅くなり、胸が締め付けられる感覚に襲われる。それでもスマートフォンが壊れてしまっては、毎日の生活に支障をきたす。仕方なく、蓮は小さな声で応える。
「あの、スマートフォンが壊れてしまって……」
「おや、それは大変ですね」
若い男性店員は遠慮もなく蓮の表情を覗き込んでくる。
「どんな症状ですか?」
「電源が勝手に落ちるし、充電も一日持たなくて……」
蓮の言葉は次第に小さくなっていった。相手の目を見るのが怖かった。その目に映る自分の姿が、どこか哀れに思えてしまうから。
「なるほど、それはバッテリーの劣化ですね。何年くらいお使いですか?」
「3年……くらい」
「それは買い替え時期ですね!」
店員の声がさらに明るくなった。
「ちょうど今週、新機種が入荷したばかりなんですよ!」
黒縁眼鏡の奥から光を放ち、妙に熱のこもった様子で店員は説明を始めた。
「このモデルが新機種の中でも特にお勧めですよ! 最新プロセッサ搭載で動画編集も写真加工も思いのまま! パフォーマンスが従来比300パーセントも向上しています!」
蓮は心の中で深いため息をついた。確かに数日前から愛用のスマートフォンの調子が怪しかった。暇さえあればスマートフォンを開く蓮たち若者世代としては致命的な出来事だった。
彼は店内に並ぶ様々なスマートフォンを眺めながら考える。普段の買い物なら親に任せるところだが、高校生ともなればスマートフォンくらいは自分で決めたいという思いもある。しかも今回は、アルバイト代を少しずつ貯めたお金で買うつもりだ。
「特にこの機種は、第三世代量子学習アルゴリズムAIを採用していまして――」
「AI……ですか?」
思わず聞き返してしまう。長崎の観光スポットでもAIは急速に普及しつつあった。出島では外国人観光客の道案内を、大浦天主堂では歴史解説をこなしている。でも、そのほとんどは業務用のはずだ。
店員の瞳が黒縁メガネの奥から光り、得意げに笑みを浮かべた。彼は少し声を落とし、まるで秘密を打ち明けるかのように身を乗り出してきた。
「はい! 実はこれ、特別な試験運用フェーズのモデルなんですよ。この機種の目玉は『恋愛アシストAI機能』なんです! 当店限定で数台だけ特別配布されたんです」
「はあ? 試験運用?」
思わず素っ頓狂な声が出た。『恋愛アシストAI機能』とは何だ。長崎市内でよく見かける観光案内AIならまだしも、恋愛アシスト? AIがどうやって恋愛をアシストするというのか。これは何か詐欺的な商法ではないのか。そんな疑念が蓮の頭をよぎった。
「恋愛アシストAIって、具体的にどんなことができるんですか?」
蓮は半信半疑ながらも、好奇心から質問してみた。
店員は眼鏡をクイッと上げ、嬉しそうな表情をした。
「素晴らしい質問です! このAIは従来のプログラムとは一線を画すんです。第三世代量子学習アルゴリズムの革新性は、単なるパターン認識を超えた『創発的学習』にあります」
「もっと簡単に言えば、感情の機微まで理解できるんです」
店員は熱心に説明しながら、画面上でデモンストレーションを始めた。
「音声・表情分析で恋愛対象の感情を推定し、最適な会話タイミングを提案します。さらに、会話内容の提案、デート計画の立案、相手の好みの分析まで――まるでポケットの中に敏腕恋愛コンサルタントがいるようなものですよ!」
「そんなの、ちょっと気持ち悪くないですか? 相手のことを分析するなんて……」
蓮が眉をひそめると、店員は首を振った。
「いえいえ、それが最新AIの素晴らしいところなんです。単なる分析ではなく、相手の『心』を理解するように設計されています。数値だけでなく、感情の機微まで捉える――まさに理解するんですよ」
蓮の頭の中には「詐欺」という文字が点滅していた。高校2年生の常識で考えれば、こんなSF的な機能が搭載されているなんて信じられない。
「そんなものが本当にあるんですか?」
「もちろん! 実はこれ、研究開発段階の特別モデルなんです。本来ならの市販まで数年はかかる予定ですが、長期フィールドテスト用の限定モデルとして、協力していただける若い方にお勧めするよう指示が来ているんです」
「そもそも俺に必要な機能かな……それ?」
蓮は窓の外を漠然と見つめる。長崎の秋は過ごしやすいが、あちこちにある坂道はいつ上っても息が切れる。坂道を登るだけでヘロヘロになる運動音痴。女子と普通に会話するのも苦手。そんな陰キャな自分には、恋愛アシスト機能なんて意味がない。ましてや、クラスの人気者である藤宮結菜と恋愛するなんて夢のまた夢すぎる。
ふと頭に浮かんだ結菜の笑顔に、蓮は胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
「あ、そういえば今なら学割と下取りで3万円お安くできます! それに試験運用モデルなので追加割引も!」
「え?」
突然の言葉に、蓮は我に返った。店員が示す価格表を見ると、確かに期間限定で大幅値引きとある。
「わかりました……これ買います」
結局、店員の言葉に釣られて、使うともわからない恋愛アシストAI機能付きスマートフォンを購入することになった。ついでに、店員お勧めのガラスフィルムまで……情けない。これだから営業トークは苦手なのだ。
「まぁ、でも恋愛アシストAIなんて使わなければいいだけだよな」
そう自分に言い聞かせながら、蓮は新品のスマートフォンを抱えて帰路についた。
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