Ice lolly8⋈③

「――――落ち着いたか?」


「うん…」


「この際だからバラすけど、カラオケ店でバイトするより総長の時間のが長ぇし」


「え」

 私は驚きの声を上げる。


「集会とかバイクでカッ飛ばしたり、敵対する暴走族とやり合ったりとかな」


「だから私の部屋で間違えて寝たり、体調悪かったりしたの?」


「あぁ、あん時は、ほぼ徹夜だったな」


 そうだったんだ……バイト疲れかと思ってた……。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私を離す。


 あれ?

 いつもなら自分からは離さないのに……。


「お腹空いただろ、何が食いたい?」


「いい、今日はもう寝る」

氷雅ひょうがお兄ちゃん、おやすみなさい」


「ん、おやすみ」


 私は部屋に向かって歩いて行く。


 ふと氷雅ひょうがお兄ちゃんを見ると、自分の手の平をただじっと切なげに見つめていた。



 7月13日の早朝。私は部屋のベットの上にいた。


 今日、土曜日で良かった…。

 空腹でちょっとだけ気持ち悪い……。


 …色々なことがありすぎて、あんまり眠れなかったな。

 ベランダにもさすがに行けなかった…。


 顔でも洗ってこようかな。


 私はベットから起き上がって降り、部屋の扉を開け、洗面台まで歩いて行く。


 シャワーの音?


 氷雅ひょうがお兄ちゃん、朝シャンしてる!?


 いつシャワー浴びてるんだろってずっと疑問だったけど、そっか。

 総長は夜中に活動するから、私が寝てる時に浴びてたんだ……。


 あれ?

 スプレーがたくさん置いてある…。


 私はスプレーを一本手に取って見る。


 え、ゴールドの髪染めスプレー?


 きゅっ。

 シャワーの蛇口をひねる音にびくつき、スプレーが右手から滑り落ちる。


 ――――カランッ。


 あ、スプレーが…。


 シャワーの音が止まった。

 ガラッとお風呂場の扉が開く。


 タオルを首に巻いた少し筋肉質な上半身裸でトランクスを穿いた氷雅ひょうがお兄ちゃんが出て来た。


 私は両目を見開く。


氷雅ひょうがお兄ちゃん…なんで黒髪なの?」


「あー、バレる時は一遍いっぺんなんだな…」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは切なげな表情を浮かべ、自分の濡れた前髪に手の平を当てた。


「バレるって…」

「まさか氷雅ひょうがお兄ちゃんが黒に染めてたなんて知らなかったよ」


「は?」


「私に気を遣って染めるのやめて金髪にしててくれてたんだよね?」

「そんなことしなくても言ってくれれば良かったのに」

 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんに笑いかける。


 ねぇ、氷雅ひょうがお兄ちゃん、

 私、ちゃんと笑えてる?


「とにかくTシャツ着て」

 私がかごから取って手渡すと氷雅ひょうがお兄ちゃんは首に巻いたタオルを私に手渡してグレーの長袖のTシャツを上から被る。


「いつも家では長袖Tシャツだね…熱くないの?」

 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんの首にタオルをかけながら問う。


「お前が選んでくれた奴だからこれがいい」


 予想外の答えに私は動揺する。

「…あ、髪、早く乾かさないと風邪ひいちゃうよ」


「夏だし放っときゃすぐ乾くだろ」


「だめだよ」

「あ、私がドライヤーで…」

 私はそう言ってドライヤーを取ろうとすると氷雅ひょうがお兄ちゃんに右手を掴まれる。


「乾かさなくていい」


「なんで?」

「妹なんだからもっと頼ってくれても」


「妹じゃない」


 え……?


「俺達は本当の兄妹じゃねぇ」


 私の頭の中が真っ白になる。


「違和感を感じたのはお前が生まれてからだった」


「お前の金髪を見て、自分の黒髪が普通じゃねぇことに気づいて、お前の両親に聞いたら」

「赤ん坊の時、聖アイス教会の前に捨てられてたのが氷雅ひょうが、お前だ。綺麗な黒髪だったから拾ったんだ」

「お前は両親に捨てられ天涯孤独なんだと聞かされて愕然としたわ」


 え…氷雅ひょうがお兄ちゃんが天涯孤独…!?


「何度も出て行こうか迷った。でも出て行ったところで行く宛はねぇし野垂れ死ぬだけ」

「それに祖母と同じ金髪ってだけで母親に責められてるお前を見て」

「本物の兄貴になって守ってやりてぇって、髪を金髪に染めるようになった」


 私の為に金髪に染めてくれたの…?


「なんで金髪なんかに染めるの!?」

「黒髪でいいじゃない!」

「何がそんなに不満なの!?」

「ってお前の母親に毎日ガミガミ言われて説得すんのに苦労したけど、金髪兄妹って渋々受け入れてくれた」


「でも小学校上がる頃には、ありすだけが本物の金髪で祖母と同じ金髪ってだけでお前のこと育てるのが両親とも嫌になってて」

「ほぼお前のことを俺に任すようになったわ」


 あぁ、やっぱり、

 お母さんもお父さんも私のこと嫌いだったんだ…。


「お前は両親が出て行ってショック受けてたけど、血の繋がり関係なく、俺は出て行ってくれて良かったって」

「髪の色だけで生んだ子供大事に出来ねぇ両親なんていらねぇって今でも思ってる」


 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんに右手を掴まれたまま俯く。


「ありす?」


「さっきは誤魔化したけど」

「……知ってた」

氷雅ひょうがお兄ちゃんが…本当は黒髪だって」


 瞼に涙を滲ませ、震えた声で言うと氷雅ひょうがお兄ちゃんは目を見張る。


「金髪に黒髪が少しだけ混ざってた時が何度かあって、ツートンに染めてるんだってずっと自分にそう思い込ませてた」


 本物の兄妹の絆を守りたくて。

 だけどそんなもの最初からなかった。


 絆は“偽物”だったから。


 それでも守りたかった。

 守りたかったのに!!!!!


「なのにやっぱり黒髪だったんだね」

「本当の兄妹じゃなかったんだね」


 私はぎゅっと両目を閉じる。


「なんで今更言うの!?」

「ずっと黙ってて欲しかった!!」


「ありす…」


「置いて行った手紙もそう」


『ありす、氷雅ひょうが

 あたし達ね、ずーっとあんた達が母と同じ金髪なのが嫌だった』


「って書いてあったけど、お母さん、嘘が下手だよね」

「嫌だったのは私だけ」


 私は顔を上げると左手で自分の金髪をぐちゃぐちゃに掴んで氷雅ひょうがお兄ちゃんに見せつける。


「この、この金髪が私を苦しめる」

「ウィッグをいくら被っても私が金髪なのは変わらない」

「好きでこんな色で生まれたんじゃないのに!!」


 大粒の涙が留め度もなく、ポロポロと落ちていく。


氷雅ひょうがお兄ちゃんみたいな綺麗な黒髪だったら良かった!」

「私はこの髪が、金髪が大嫌い!」


「偽物の氷雅ひょうがお兄ちゃんなんて、だいっっきらい!!!!!」


 そう泣き叫んだ瞬間、

 心に絡まった絆のリボンがほどかれ、バラバラに千切れた。


 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんの手を振り払う。

 そして洗面台を出て玄関まで走る。


「ありす!」


 氷雅ひょうがお兄ちゃん、もう私の名前を呼ばないで。


 私は玄関で靴を履き、扉を開け、走って出て行く。


 “なんの為に勉強してるの?”

 “なんで受験するの?”

 “氷雅ひょうがお兄ちゃんの為?”


 分かんないって、ずっと逃げてたけど本当は分かってた。


 そうだよ、氷雅ひょうがお兄ちゃんの為。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんの“本物の妹”としている為。


 だから氷雅ひょうがお兄ちゃんが望むことは全部してきた。

 ウィッグの約束も嘘を付いてでも守ろうとした。

 だけど、


 ――――お願い。

 ――――誰か、

 ――――心に絡まったリボンほどいて。


 そんなの嘘だ。


 ずっとほどかれたくなかった。

 ずっと“本物の兄妹”でいたかった。

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