Ice lolly9⋈① 終わり、だなんて嫌だよ。

 ずっと守ってきた。

 なのにさよならなんて、

 終わり、だなんて嫌だよ。



 どのくらい走ったのか分からない。


「はぁっ、はぁっ…」

 私は息を切らして辺りを見渡す。


 ここ、見覚えがある。

 あ…氷雅ひょうがお兄ちゃんとのゲーセンの帰りに通った裏道だ。


 コツ、コツ。


 え、前から誰かが歩いて来て…。


 背の高い黒髪の男の子が見えた。

 パーマをかけたショートボブの髪型をし、

 その隣には男性がいる。


 嘘…黒坂翼輝くろさかつばき…!?

 隣の人は…監察官?


 ――――スッ。

 通り過ぎる瞬間、黒坂くろさかは私の耳元で悪魔のような甘美な声で囁いた。


「…大きくなったな、ありす」


 黒坂くろさかは監察官らしき男性と歩いて行く。


 姿が見えなくなると、私はその場に崩れ落ちる。


 私のこと覚えて……。

 なんで黒坂翼輝くろさかつばきが…。

 どうしよう…体が動かな……。


「大丈夫か?」

 黒の特攻服を着た黒髪の男の子が話しかけてきた。

 男の子はクールな顔つきをしている。


「誰…?」


「俺は暴走族黒雪くろゆきのナンバー3の飛高千宙ひだかちひろだ」


 あ、思い出した。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんの後ろにいるバイクに乗ってた男の子…。

 ナンバー3だったんだ……。


「総長はどうした?」


「その、喧嘩しちゃって……」


「そうか。動けないのか?」


「はい」


「……」

 飛高ひだかくんは黙る。


 あれ?

 どうしたんだろう?


飛高ひだかくん?」


「なら俺が楽にしてやろう」


 トン。

 飛高ひだかくんは後ろから私の首に手を落とす。


 ふ…っ。

 目の前が真っ黒になり、


 私は飛高ひだかくんの胸に倒れ、意識を失った。



「……んっ」

 しばらくして目が覚めると、私はなぜか暗闇の倉庫の中にいた。


 え、両手後ろでリボンで縛られて……。


「起きたか」


飛高ひだかくん、なんで…」


「すまない」

「総長の妹に手荒な真似はしたくなかったんだが黒坂くろさか先輩に頼まれて断れなかった」


 え……頼まれた?


「いざとなったら助ける。今は耐えてくれ」


 ヴーヴー。


「…かかってきたな」

 飛高ひだかくんはそう言うと、黒色のスマホを右耳に当てる。


『準備は出来たか?』


「はい」


『なら代われ』


 飛高ひだかくんは私の右耳に黒色のスマホを当てた。


『さっきは監視官がいる手前、一言しか話せなかったが』


『ありす、お前は氷雅ひょうがの妹でありながらまだ月沢つきさわの女でいる』


 え、なんでバレて……。


『そして有栖ありす黒雪くろゆき、どちらも守りたいと思っている』

『違うか?』


「それは……」


『お前は甘い。1つも守れないのに両方守れるはずがないだろう』

『今まで口を出さずに黙って見守ってきたが、お前は氷雅ひょうがの妹だ』

『俺が特別に正してやろう』


「正す?」


「ありす!」

 グレーの長袖のTシャツに長い紺色のアンクルパンツ姿の氷雅ひょうがお兄ちゃんが駆けてきた。


「え、なんで……」


「俺が呼んだ」

 飛高ひだかくんがクールな顔で言う。


千宙ちひろ! てめぇ一体どういうつもりだ!?」

「そんなに俺に殺されてぇのか!?」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは声を荒げながら叫ぶ。


氷雅ひょうが


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは動揺する。

黒坂くろさか先輩? なんで…」


『俺が千宙ちひろに命令した』


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは両目を見開く。


『お前は何をやっている』

『ありすが大事ならなぜ同じ高校に入学させなかった?』

『強引な手を使ってでも傍に置いておかなかった?』

『お前は甘い』

『そんなだから月沢つきさわに奪われる』

『このままでは黒雪くろゆきも危うい。千宙ちひろ


「はい」

 飛高ひだかくんは特攻服の内ポケットから銃を取り出し右手でグリップを包むと、スマホを右耳に当てたまま私に銃口を向ける。


 え……。


『ありす、単刀直入に言う』

『3分時間をやる』

有栖ありす黒雪くろゆき、この場でどちらか選べ』

『答え次第では千宙ちひろがお前を殺す』


黒坂くろさか先輩、待ってくれ!」

「それだけは!」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが必死に叫ぶ。


 黒坂くろさかの声が悪魔のような声に変わる。

『誰に命令している?』

『俺は黒雪くろゆきの初代総長だ』

氷雅ひょうが、お前も総長なら覚悟を決めろ』


 有栖ありすを選べば、恐らく私は飛高ひだかくんの銃で殺され、


 黒雪くろゆきを選べば、命は助かるけど月沢つきさわくんとはもう一緒にはいられない。


 ――――私、有栖ありす黒雪くろゆきもどっちも守る。

 ――――守ってみせるから。


 そんなの所詮、夢物語。

 両方守るなんて最初から無理だったんだ。


『時間だ。3』


 飛高ひだかくんは、右手でグリップを包みながら、かちっ、と音を立ててハンマーを起こす。


 ねぇ、月沢つきさわくん、

 終わり、だなんて嫌だよ。

 別れたくないよ。


『2』


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは駆ける準備をする。


 だけど別れても、私、

 生きてもう一度月沢つきさわくんに会いたい。

 だから――――。


『1…』


「私は黒雪くろゆきを選びます」


千宙ちひろ、銃を下ろせ』


 飛高ひだかくんはクールな表情を浮かべたまま銃を下ろした。


『素晴らしい』

『さすがは氷雅ひょうがの妹だけのことはある』


「私が妹……?」

 地面に横たわったまま聞き返す。


『そうだ。“本物の妹”だ』


『そして、今のがお前の本音だ』


 私の両目から光が消える。


『人は窮地に陥る時、本性を表す』


氷雅ひょうが、これでありすはお前のものだ』

黒雪くろゆきがお前達を全力で守るだろう』


黒坂くろさか先輩、もしかして俺の為に…?」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは動揺しながらも尋ねる。


『お前を黒雪くろゆきに引き入れる前、俺には雪という妹がいた』


 私達3人は驚く。


『小5の時、親父が再婚して血の繋がりがない妹が出来た』

『だが、俺の親父も新しいお袋も中1の時に内輪揉めをし出て行った』


『俺達はふたりで生きて行こうと決めキスを交わしたが、現実は甘くはなかった』


氷雅ひょうが、お前は高2になる前に両親が出て行ったからバイトも出来たが俺はバイトさえ出来ない』

『そして親戚も知人もいない、他人の大人達に頼ることさえも不器用で出来なかった』


『仕送りも段々と減っていき、中1の夏、ジュースを家の近くの自動販売機で買って帰って来たら床に林檎が転がっていて、雪が倒れていた』


『そしてそのまま雪は熱中症で死んだ』


 そんな……。


『雪は大人に殺されたと言っても過言ではない』


『俺はふたりで生きられなかった』

『だが、ひとりでさえも生きられなかった』


『そんな俺が辿り着いたのは暴走族の世界だった』


『族の奴らが道端に倒れていた俺を助け、俺の世話をしてくれた』


『そして冬、俺は独り立ちし、黒雪くろゆきの初代総長になった』

孤人こびとはどんどん増え、氷雅ひょうが、お前へと行き着いた』


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの目が揺れ動く。


『俺はひとりでもふたりでも生きられなかった』

『だがお前は違う』


氷雅ひょうが、ふたりで生きろ』


 電話が切れた。


 飛高ひだかくんは、はー、と息を吐く。


 飛高ひだかくん、表情変わらないから平気に見えたけど、そうじゃなかったんだ…。


 それに黒坂翼輝くろさかつばきの過去があんな残酷だったなんて…。


 飛高ひだかくんが銃のハンマーをデコックし、スマホと一緒に特攻服の内ポケットに入れると、


千宙ちひろ、今のモデルガンだよな?」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが呼びかけた。


 モデル…ガン?


 飛高ひだかくんの体がびくつき、氷雅ひょうがお兄ちゃんに深々と頭を下げる。


「はい、総長! ここにありすさんを運んだ時、置いてあり使いました」

黒坂くろさか先輩に頼まれて断り切れませんでした」


千宙ちひろ、頭を上げろ」


 飛高ひだかくんがその通りにすると、氷雅ひょうがお兄ちゃんは近づいて行き、右肩をぽんっと叩く。

「連絡してくれて助かった」


「総長……髪、黒…」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの表情が冷酷に変わる。

「今日のことは誰にも言うんじゃねぇ。分かったな?」


「はい」


「もう帰れ」


 飛高ひだかくんはもう一度頭を下げるとこの場から立ち去った。


 どうしよう… 氷雅ひょうがお兄ちゃんとふたりきりに…。


 今すぐ逃げたい…だけど体がぴくりとも動かない。

 冷や汗が止まらない。


  月沢つきさわくんに軽いショック状態で保健室に運ばれた時よりひどいかも……。


「ありす!」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが地面に横たわる薄いブルーのトップスにショートパンツ姿の私の隣にしゃがみ、

 背中で縛られた両手のリボンをほどこうとする。


「触…らないで」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは両目を見開く。


「なんで…来たの?」

「偽りの氷雅ひょうがお兄ちゃんなんて大嫌い…って言ったでしょ…?」


「大嫌いでも構わねぇよ」

「ありす、帰るぞ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはそう言って、きゅっきゅとリボンをほどく。


 拒否ったのに、

 いつもぶっきら棒なのに、

 なんで… そんな優しくほどくの?


 氷雅ひょうがお兄ちゃんが抱き起こすと私はぎゅっとグレーの長袖Tシャツを掴む。


「ありす?」


「はぁっ、はぁっ…」


 まずい、上手く息が出来ない。

 苦しい。


 大嫌いって言ったくせに氷雅ひょうがお兄ちゃんに頼るだなんてだめ。

 だめ、なのに。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私を抱き締めて頭を撫でる。


「ありす、ゆっくり息吸って吐け」

「大丈夫だ。俺がついてるからな」


 氷雅ひょうがお兄ちゃん……。


「――――よし、正常に戻ったみてぇだな」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはそう言うと私を離し、しゃがんだまま背中を向ける。


「乗れ」


「え、でも……」


 高校生にもなっておんぶだなんて恥ずかしい……。


「ほら早くしろ」


 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんの首に両手を回す。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私をおんぶして立ち上がる。


「相変わらず軽ぃな」

「てかお前寝れてねぇだろ」


「なんで…」


「目の下クマ出来てる」


 え、クマ!?


「家に着くまで寝てろ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはそう言って歩き出す。


 こんな状態で眠れる訳ないって思ってたけど、うとうとしてきた……。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんの背中、すごく安心する……。


 金髪の私と黒髪の氷雅ひょうがお兄ちゃん。


 周りから見たらきっと兄妹に見えてないよね…。

 それでもいいや。


 私、氷雅ひょうがお兄ちゃんの妹でいたい。


 私はそう思いながら眠りについた。



「んっ…」

 しばらくして目覚めるとなぜか部屋のベッドだった。


 あれ…いつの間に部屋に着いて…。


 服(袖と裾にフリルがつき、背中にクロスストラップがついた薄いブルーのトップスとウエスト部分にリボンがついたショートパンツ)も変わってない…。


「入るぞ」

 黒髪の氷雅ひょうがお兄ちゃんがアイスコーヒーとスプーン入りの味噌雑炊をおぼんに乗せて部屋に入って来た。


「起きたみてぇだな」


 私はびっくりして起き上がる。

「え、私、なんで…」


「玄関で起きろって何回呼びかけても爆睡してて起きねぇからここまで運んだ」


 え、爆睡…!?

 恥ずかしい……。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんが私の隣に座る。

「ほら、さっさと食って飲め」


 アイスコーヒーに味噌雑炊…凄い組み合わせ……。


 それに黒髪だと、なんだかお兄ちゃんじゃないみたい。


「なんだ? 食えねぇなら俺が食べさせてやろうか?」


「だ、大丈夫。一人で食べれるから」

 私はおぼんの上の味噌雑炊を手に取るとスプーンで一口食べる。


「お、美味しい」

 私はパクパクと味噌雑炊を食べていく。


「そうかよ。あー、あん時のお前の茶漬けひどかったな」


「ちょ、思い出さなくていいから!」


 あ、いつも通りだ。

 大丈夫、このまま兄妹に戻れる…よね?


「おい、ついてんぞ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私の頬のご飯粒を取る。


「ありが…」


 私と氷雅ひょうがお兄ちゃんは見つめ合う。


「…バイトの時間だから行くわ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはそう言って私の頭をぽんっと叩く。


「味噌雑炊、キッチンの鍋の中に入ってるから好きなだけ食えよ」


「あ、うん」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんはベッドから立ち上がると部屋から出て行った。

 ぱたん、と扉が閉まる。


 私はおぼんの上に味噌雑炊を置いてアイスコーヒーを一口飲むと、自分の髪に触れる。


 顔が熱い。

 氷雅ひょうがお兄ちゃん、男の目、してた……。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんはもう、“お兄ちゃん”じゃないんだ。


 それに……。


 “私は黒雪くろゆきを選びます”


 黒坂翼輝くろさかつばきにそう言ってしまった事を思い返し、私はベットに横たわる。


 月沢つきさわくんと、ちゃんとお別れしなきゃ。

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