最終章『すべては点からはじまる』 ワシリー・カンディンスキー
第1話 『冴えないカレシの隣には』
「これを、小宮が描いたのか……?」
すでに引退した俺は、用事がない限り美術部に顔を出すことはなくなっていた。だけど顧問の柊先生には、受験の相談に乗ってもらったりと縁が続いていたこともあり、先日応募が完了した『アートフェスティバル』の絵を見てもらっているというわけだ。
「受験前に公募に挑戦するなんて何をしているんだと目眩を起こしかけたが……いやあ、こう来るか。成長に繋がったみたいで何よりだよ」
「すみません。……って、成長ってことは、先生的には高評価だってことですか?」
「ああ。地道に努力を重ねてきた小宮の力が、急に化けた感じがするよ。『試合は最高の練習』って名言を残した人がいて、スポーツの世界ではよく使われたりするんだが……まさに小宮も、受験前に開花したと思う」
柊先生の言葉が体に染みて、思わず頬が緩んでしまう。三年間指導を受けてきて、こんなに褒められたのは初めてかもしれない。
「それにしても、構図、色、題材、どれをとっても、今までの小宮からは想像もできない発想なんだが……何か心境の変化でもあったのか?」
「まあ、そんなところです。俺みたいな凡人が変化を恐れるのも、挑戦しないのもおこがましいってことを、大切な人たちのおかげで気づけたので」
「そうか……結果が出るのは、まだ先なんだろう?」
「はい。だから一旦コンクールのことは忘れて、受験に専念したいと思います」
それから先生と少し雑談をして職員室を出ようとしたとき、「小宮」と呼び止められた。
振り向くと、今までで一番温かい目をした先生がふっと笑った。
「芸術を嗜んだ人間からすると、確かに柏崎は魅力的だ。惹かれて、焦がれて、その未来に期待せずにはいられない。だけど教師としてみるとだな、先生は小宮みたいな一生懸命な生徒が一番好きだ。心から応援したくなるんだ」
「ちょっと先生、まだ卒業式まで二ヵ月以上もあるんですけど」
教師からの餞の言葉にしては、あまりにも早い。
苦笑いを浮かべながらも、美術部の部長として頑張ってきた三年間が少し報われたような気持ちになって、晴れやかな気分で職員室を後にした。
☆
少しだけ、月日は流れた。
共通テストが終わり、前期試験を前に追い込みをかけていた二月の夜のことだった。
「来てやったぞ」
「なんで侑里が偉そうなんだよ。連絡してきたのはお前だろうが」
『今から家行くわ』と俺の意思など問わない一方的なメッセージを送りつけてきて、俺の部屋に足を踏み入れた瞬間に侑里が放った台詞がこれだ。ツッコまずにはいられないだろう。
ベッドの上に座った侑里は、右手を出した。
「千紗都の漫画ってどれ?」
「これ。堤さんに担当がつくきっかけになった『冴えないカレシの隣には』って漫画」
侑里に発破をかけられてから、堤さんは短期間で集中して一つの新作漫画を描き上げた。そして情熱の炎を消さないままに、彼女がデビューするならここでと決めている『ウィズラブ』編集部に持ち込みをしたらしい。
その漫画が編集さんの目に止まり、これからデビューを目指して頑張っていくということになったようだ。
堤さんから電話で報告をもらったとき、俺は彼女のとてつもない行動力に驚くと同時に感心した。
あのときの通話を思い出す。堤さんは声音からでもわかるくらい、うれしそうだった。
「堤さんおめでとう! 二作目にして担当編集がつくなんて、堤さんの才能と情熱が漫画から伝わったってことだろ? 自分の作品で誰かの心を動かすって絵描きなら誰もが目指しているところだと思う! すごいことだよ!」
興奮気味におめでとうを繰り返す俺に、
『……少女漫画の王子様っていうのは……イケメンで、なんでもスマートにこなせて、勉強でもスポーツでも何をやっても一番になれちゃう人だと思っていました。でも……そうじゃないってことに気づけたのが、よかったのかもしれませんね』
堤さんは笑って『ありがとうございます小宮さん』と続けた。
「ん? ごめん、どういう意味?」
『聞き返してしまうようでは、小宮さんもまだまだですね』
「……堤さんさ、ちょっと侑里の悪影響受けてない?」
受話口から聞こえてくる彼女の笑い声は、とてもかわいらしかった。
「俺と侑里に読んでほしいんだってさ。面白かったぞ」
堤さんに「ぜひ読んでください」と言われて、漫画の原稿データを俺のスマホに送ってもらったのだ。
スマホを侑里に手渡すと、ベッドの上に腰掛けてすぐに読み始めた。……何も言わずに黙々とページを捲る様子を見ていると、ちゃんと没入して読んでいるみたいだ。
俺は読了済だが、以前に堤さんの家で読ませてもらったときの漫画よりも、さらに気合いを入れて描き上げた様子が十二分に伝わってくるものだった。
画力の向上はもちろん、ストーリーもわかりやすくて感情移入しやすいというか、一言で「面白い」と言えるものだった。
侑里がスマホを返してきたので、俺はワクワクしながら尋ねた。
「どうだった? 面白かっただろ?」
「うん、面白かった。でも気になったのが……なんか、この漫画のヒーローって宗佑に似てないか?」
全く同意できなかった俺は、スマホをスワイプして表紙を見た。
「そうかあ? 俺、こんなに目でかくねえぞ?」
少女漫画らしいイケメンと俺は、似ても似つかないだろう。強いて共通点を上げるとするならば、夢があるところくらいか?
侑里は溜息を吐いて、「バカか?」と呆れたように言った。
「誰が顔の話をしたんだよ。少女漫画のヒーローにしては珍しい、愚直で泥臭いところが似てるって言ってんの。……ったく、詩子も大変だよな。名前とかまんまだろ?」
言われてみてもピンと来なかったが、改めて画面に目を落とすと――そのヒーローの名前が『小菅 崇』でなんとなく俺に似ていることに気づいて、顔が熱くなった。
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