第6話 チャンス、あるかも……!
真理佳の部屋のドアを静かに開けると、まず目に飛び込んできたのは、壁一面に貼られたアニメや漫画のポスターだった。しかもキャラは見た感じ男女問わず。全員やたらと整った顔立ちで、ポーズも妙にキマってる。
(……うわぁ、なんかすごい……)
率直な感想が口から漏れそうになるのをこらえながら、部屋の中にそろりと足を踏み入れる。
床にはきれいに並べられたフィギュアの箱。棚には画集や設定資料集っぽい大判の本。カーテンの隙間から差し込む夕方の光が、ポスターのキャラたちの横顔をやたら神々しく照らしていた。
(流石だよ真理佳……「三次元に興味ない」と言い切るだけのことはあるわ……)
そして肝心の真理佳はというと……ベッドの上で抱き枕を抱いていた。
それもただの抱き枕じゃない。イケメンキャラがプリントされた、いわゆる"等身大抱き枕"というやつに顔をうずめて、幸せそうに寝息を立てていた。
「こーれは……ひどい」
思わず出た一言に、自分でちょっとだけ笑ってしまった。
いやいや、人の趣味をとやかく言っちゃいけない。あたしなんて、親友の妹にガチ恋してる人間だし。
とはいえ――熱で苦しんでるのかと思って心配して来たのに、この寝顔とこの抱き枕の破壊力たるや。なんかもう、思ってたより元気そうだし。というか、心の底からいい夢見てそう。
「真理佳ー、起きてるー?」
声をかけてみると、ふにゃっとした笑みのまま、真理佳が小さく寝言をもらした。
「んぅー、待ってシュバルツ様……そんな、だめぇっ」
……誰だよ、シュバルツって。
周りのポスターの中にいるかもしれない。たぶんイケメン執事みたいなやつ。全然知らんけど。というか、真理佳が今抱いてる枕のキャラじゃない? それにしても寝言がやばい。
「心配して来たのに何の夢見てんだこら!」
思わず指先で額をピシッと弾いた瞬間、真理佳は「ぅあっ!?」と悲鳴を上げて目を覚ました。
「……あれ? シュバルツ様はどこに? さっきまでいた気がしたんだけど」
「悪かったね、あたしで」
「あれ? なんで由宇がここに?」
「お見舞いですがなにか? もう帰っていいかな?」
真理佳はぽかんとした顔で数秒間固まってから、ようやくあわてて起き上がった。
「ご、ごめん、ごめんってばぁ。ちょっと前まではほんとに辛かったんだよ? ゾクゾクして寝汗もかいたし……」
言い訳じみた言葉を口にする真理佳の顔を見ると、たしかにまだ少し頬が赤い気もする。近くの棚にあった体温計を手に取って、彼女に差し出した。
「ほら、ちゃんと計っときな」
「あい……」
脇に体温計を挟む仕草はどこか緩慢で、まだ本調子じゃなさそうだ。
しばらくの沈黙ののち、「ピピピッ」と音が鳴った。
「37.5……まだ微熱あるかぁ。もうちょい寝てたほうがよさそうだねぇ」
「あんな夢見てたから熱上がってるんじゃないの?」
「え? なんの夢?」
「……さぁ」
わざわざ再現して伝えるほど親切でもない。甘えた声で"そんな、だめぇ"とか寝言言ってたなんて知られたら黒歴史ものだろう。……いや、真理佳ならそんな夢を見てたことを喜びそうだな。
……というか、あたしはどうだ? もしかして寝てるとき、真奈美ちゃんの名前をうっかり……とか? ……いやいやないない……ないよね?
うっすら赤くなった頬を自覚しながら、真理佳に背を向けかけたところで声をかけられた。
「ん? どしたの由宇。顔赤いよ? 風邪移った?」
「この短時間で風邪移ったら、そのウイルス強すぎるわ」
「ふふっ。そっか。まぁ、来てくれてありがとね」
真理佳は照れくさそうに笑って、抱き枕ごとふわっと布団にくるまる。それを見て少し安心したあたしは、プリントを渡すのを忘れていたことを思い出した。
「そうだ、プリント……あれ?」
ポケットを探ってもない。鞄にも入ってない。けれど、すぐに思い出した。
「あー、渡すプリントがあったんだけど、真奈美ちゃんに渡しちゃってた」
「そっか。じゃああとで見せてもらうよ」
「うん。じゃあ長居してもあれだし帰るね。お大事にー」
「また学校でねー」
その言葉に、なんでもないふりして小さく手を振って、あたしは部屋を出た。
このまま階段を下りて靴を履いて、玄関の扉を開けて……そうすれば簡単に帰れたはずなのに。階段を降りながら、真奈美ちゃんにまた会えるかもしれないという期待が、胸の奥でじわりと広がっていた。
(……うん、せっかく来たんだし)
足が勝手にリビングの方へと向いていた。もう一目だけでも真奈美ちゃんに会いたかった。別に何を話すってわけじゃない。ただ、顔が見たかった。
それに、せめて「帰ります」の一言くらいは伝えておかないと失礼だ。リビングにいなかったら……まぁその時は玄関で「お邪魔しましたー」って言って帰ろう。
コンコン、と軽くノックをして「失礼しまーす」と声をかけながら扉を開けると――
そこには、テーブルに向かって参考書を広げる真奈美ちゃんの姿があった。
(……はぁぁ……)
一気に胸があったかくなって、少しだけ息が詰まる。派手さのない、紺色のトレーナーにジーンズ。少し前屈みになりながらペンを走らせる姿。中学生らしい飾らない服装。おしゃれも、まだそんなに興味ないのかもしれない。でも、それが逆にたまらないくらい可愛い。
(あぁ……もう、好き)
心の中でため息と一緒に呟く。こっそり自分にだけ聞こえる声で「かわいい」って何度も繰り返す。
こんな気持ち、今さら止められるわけがない。
「……あ、宮ノ森さん。お姉ちゃんどうでしたか? 元気でした?」
真奈美ちゃんがあたしに気づいて、顔を上げてまっすぐこちらを見つめてくる。その瞳に自分が映ってると思うと、それだけで心拍数が跳ね上がる。
「えっと……抱き枕に抱き着いて寝言を言うくらいには元気だったかな」
「あー、いつも通りのお姉ちゃんですね。なら大丈夫そうです」
「……あー、家族公認なんだ」
……いやいや、そりゃそうか。一緒に住んでるんだから知ってるよね。でも今はそんなことよりも――
(この流れ……もしかして、聞けるんじゃない?)
あたしの中の何かが、そっと背中を押してきた。
(今なら自然に聞ける。重くならずに、さりげなく、かるーい感じで言えば……!)
「ね、ねぇ真奈美ちゃん」
「はい、なんですか?」
不思議そうな顔でこちらを向く真奈美ちゃんに、喉がきゅっと締めつけられる。
(落ち着け……さらっと、さりげなく……!)
「真奈美ちゃんも、真理佳みたいに……その……好きなキャラっていうか、好きな人とか、恋人とか、いたりするの?」
……言えた。言ってしまった。もう心臓がバクバクでおかしくなりそうだった。
「……いえ、別にそういうのは。告白されることはありますけど、大して話したこともない間柄だったりするので断ってますし」
「…………ソッカー」
(誰だあああああああああああ!!!!)
心の中で机をひっくり返す勢いで怒鳴りながら、表面上はあくまで冷静を装った。
そりゃそうだよね。こんなに可愛いんだから誰かしら告白するよね。誰か知らないけどフッてくれてありがとう真奈美ちゃん……!
あたしの恋は完全に終わったわけじゃない! チャンス、あるかも……!
……まぁ、そのチャンスは宝くじの一等くらいの確率かもしれないけど。
「あの……そろそろ勉強に戻ってもいいですか?」
「あっ、ご、ごめんね邪魔して! また今度……暇だったらお話しようね!」
言いながら、あたしはもう舞い上がってた。
「? えっと……はい。私でよければ」
その一言に、ガッツポーズを取りたい衝動をなんとか抑える。
「私でよければ」――ってこれ……もしかして脈アリ? いやいや、気を遣っただけかもしれないけど……! でも! でもでもでも! 好きな人はいない! そして、暇だったら話してくれる! これは大収穫もいいところだ!
「それじゃ! お邪魔しました!」
最後にぺこっと頭を下げて、リビングを後にした。
玄関を開けると、少しひんやりした夕方の風が肌を撫でる。でも、心はぽかぽかしていた。足取り軽く、なんなら小さく鼻歌も口ずさみながら帰った。
あたしはその日、世界一幸せな片想い中の女子高生として、真奈美ちゃんの家をあとにしたのだった。
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