第4話 めっっっっっっっっちゃかわいい

「――あの、うちに何か用ですか?」


 聞き覚えのある声がすぐ真横から聞こえてきたとき、あたしはほんとに心臓が飛び出るかと思った。


「うわっ!? わ、わぁっ!」


 息が止まりそうになって、反射的に半歩飛び退いた。慌てて振り向くと、そこにいたのは――


 セーラー服の少女だった。


 白地の襟が夕日に淡く照らされていて、黒髪はその光を受けて、ほんのりと赤みを帯びている。さらさらと風に揺れる髪が、彼女の輪郭をやわらかくなぞっている。


 ――――真奈美ちゃんだった。間違えようもない。あたしの、人生で最初に好きになった女の子がそこにいた。


「あ……えっ……とっ……」


 喉がふさがったみたいに、うまく声が出なかった。驚いたとか、動揺したとか、そんな次元じゃない。息の仕方すら忘れてしまうほど圧倒された。


 なんていうか、もう――


 めっっっっっっっっちゃかわいい。


 一瞬で頭が真っ白になった。かわいい以外の思考が……語彙力が、跡形もなくぜんぶ吹き飛んでいった。


 その姿を目に焼き付けるだけで……もう精一杯。あたしの心臓はもう全力疾走のゴール直前みたいにバクバクで、肺はきっとちっちゃくなってて、うまく呼吸すらできない。


 そんなあたしに、彼女は小さく首をかしげて言った。


「……あの、どこかで会いましたか?」


「……っ!」


 その問いに、膝から崩れ落ちそうになった。


 ぐはっ……! そんな……はっきりとは覚えられてなかった……!?


 あたしにとっては、あの日はもう人生のターニングポイントだった。間違いなく、これまで生きてきた中で最も重要な瞬間。初恋で、運命的で、もう一生忘れられないと確信しているような出会いだった。


 でも、この子にとっては――


 ただ姉の友達と挨拶を交わしたっていう、なんの変哲もない一場面だったんだ。


 ……うん、わかってる。あの日はちょっとした会話しかしてないし、赤の他人に過ぎなかった。あれから一度も会うことなく結構時間も経ってるし、印象も薄くなってて当然だ。


 でも、でもでもでも! あたしのこの気持ちはどうすればいいの!? この全身全霊をもって受け止めた初恋の衝撃を、どうやって処理すればいいの!?


 この可愛さなら、きっと毎日たくさんの人に話しかけられてるんだろうな――とか、そんな想像をしてしまうだけで胸が締めつけられる。


「えっ……そ、の……」


 どうにか声を出そうとするけど、喉がひゅっとすぼまって、息と一緒にしぼんでしまう。言葉にならない。


 彼女は不思議そうに瞬きをした。「忘れてなんかいませんよ、冗談です」――――そう言ってほしい。でも現実は残酷で、今の彼女にはあたしの存在がまるで霧みたいに薄い。


(……つらい……でも、やっぱりかわいい……)


 全身の感情がぐちゃぐちゃになりながら……それでもあたしは、目の前の彼女から目を離せなかった。


「あ、その、真理佳の友達の――――」


 ようやくまともに言葉をひねり出せたそのとき、真奈美ちゃんは小さく「あっ」と言って、首をかしげた。


「この前の。えっと、宮……宮……宮浦さん……ですか?」


「……宮ノ森でーす」


 あたしはかろうじて微笑みながら、そう訂正した。でも……


(う、嬉しい……! びっくりするくらい嬉しい……!)


 なんとなく覚えていてはもらえた。名前を間違われたのに、こんなに幸せな気持ちになるなんて自分でも驚いていた。苗字の一部……宮だけしかあってなくても、心がふわっと跳ねてしまう。


 それに――


 ちょっと目を細めながら思い出そうとする仕草。上目遣いで宙を見て、無意識に唇を少し噛むような表情。細い指先で自分の袖口を無意識にいじる、その動き。


 ――――ああ、もう……何もかもが反則だ。


(そんな可愛い思い出し方する!? 癖ひとつとっても絵になるって、ずるくない!?)


 ただ名前を思い出そうとしているだけの姿だったのに、見ているだけであたしの心は満たされていく。


「すみません、名前間違えてしまって……。えっと、お姉ちゃんは今日は風邪引いてますけど……」


「……あ、うん。知ってる。その、届けなきゃいけないプリントがあって、来たんだ」


 震える声をどうにかごまかしながら、口の端を引きつらせて笑った。


「そうでしたか。わざわざありがとうございます」


「もう郵便受けに入れちゃったけどね」


 真奈美ちゃんは軽く頷いてから、郵便受けに手を伸ばしてプリントを取り出す。

 指先の動きがどこか丁寧で、紙の角を折らないように気を遣ってるのが伝わってくる。


(ああ……指きれい……触りたいなぁ……って、なに考えてんのあたし!)


 あたしの内心は完全に嵐だったけれど、表面上はどうにか平静を装っていた……と思いたい。


 そのまま数歩、真奈美ちゃんが玄関へ向かって歩いていった。細い足首、真っ直ぐな姿勢、歩くたびに揺れるセーラーのスカート。その一つひとつに、あたしの視線は勝手に吸い寄せられてしまう。


 そして、ふいに彼女が振り返った。


「あの、お姉ちゃんのお見舞いに来ますか?」


 その何気ない問いに、あたしの胸が跳ねた。


 え、なに今の。今のって……この家に入りませんかってこと? え、いやいやいや……マジで?


 そうなれば、真奈美ちゃんと二人きりになる可能性が高い。すぐ近くであの声を、表情を、仕草を感じる時間が来る。今みたいな距離じゃなく、もっと……もっと近くで。


 さっきまでのあたしなら、きっと躊躇してた。いや、間違いなく断ってた。


 でも、今は――


 また顔を見てしまった。声を聞いてしまった。柔らかな仕草に触れてしまった。


(……だめだ。もう無理、無理オブ無理、近くにいたい)


 その時点で、すでに勝負はついていた。


「行きます」


 その答えは、あたしの中で考えるよりも早く、口から滑り出ていた。


 そうしたら、真奈美ちゃんがふわりと微笑んだ。それだけで、周囲の景色が一変した気がした。風の匂いも、空の色も、さっきまでとは違って見える。


 真奈美ちゃんがいる状況で入る気なんてなかったはずなのに。あんなに悩んで、こんな状況になったらどうしようって散々考えて、緊張して、逃げようとしてたのに。


 今、あたしの心は、そんなことなんて全部忘れてしまっていた。


 少しでも長く真奈美ちゃんの近くにいたい。もう一言でも多く話したい。あの目で見つめられて、あの声で名前を呼ばれたい。


 そんな想いが堰を切ったように溢れ出して、足は自然と家の中へと向かっていった。

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