02:はじっこさまの噂

 冬柴玲司を語ろうとする際、真っ先に連想されるのはどういった部分になるだろうか。

 個人的な印象では、鼻筋の通った面立ちかもしれない。少し灰色っぽい目は涼やかで、いつも口元には甘い笑みが浮かぶ。マッシュウルフの頭髪は、ダークブラウンに染められていた。染髪は本来校則違反だが、生活指導の教師はいつも注意し難そうにしていた。


 なぜなら冬柴は、学業成績が大変優秀で、校内では学年トップの秀才だったからだ。

 また洒落しゃれ身形みなりをしているからと言って、言動も放縦ほうじゅうというわけではない。むしろ人当たりが良く、物腰柔らかかった。何気ない会話に知的さがにじみ、教養をうかがわせていた。


 かくいう為人ひととなりだから、女子生徒から人気があり、率直に言ってモテる男子だったと思う。

 それでいて誰とでも公平に接し、分け隔てなく言葉を交わすような、美徳にも恵まれていた。


 そう。冬柴玲司は、物語上の美化された主人公そのもののような同級生だった。

 一見する限り、ほとんど隙がなく、すなわち唯一無二という意味でのユニークな――

 幾分皮肉な表現を採るなら、琴原が言うように「変な」男子生徒。



 だから琴原は、どうして冬柴のようなヒーローめいた男子が自分と交際したいと考えたのか、疑問に感じると言っているのだろう。

 しかし客観的に勘案すれば、疑問の余地はなさそうに思えた。

 僕の目で見る限り、琴原も充分魅力的なヒロインだったからだ。


 琴原莉音は、同級生と比べて、ほんの少し大人びた雰囲気の女の子だった。緩く波打つ栗色のロングヘアが目を引くし、眉目も綺麗に整っている。清楚さの中にほのかな艶が滲んでおり、学校指定のブレザー制服に包まれた身体には、大人と子供の気配が危ういバランスで混在しているかに見えた。


 どちらかと言えば注意深く、積極的に他者と関わろうとする性分ではないけれど、天与の美貌に自然と人が集まってくる。それで琴原は大抵、二年一組でもよく目立つ女子生徒のグループに属していた。同じ教室で過ごしていても、僕はそこまで華やかな立ち位置にいない。

 尚、こうして僕が気安く会話できているのは、過去にささやかな幸運が味方してくれたために過ぎない。琴原とは一年生の頃からクラスメイトだが、去年の学校祭準備期間に偶然親交を持つ機会があったおかげだ。



 とにかくそういうわけで、冬柴玲司と琴原莉音のカップルに対し、多くの人は「よく釣り合いの取れた美男美女の二人」だという所感を持っていたように思う。

 ただどちらも異性に好かれる特徴を持ち合わせていたから、自分が恋人になるチャンスを喪失したことに失望した向きは、男女問わず多かったに違いない。


 ……そうして言うまでもなく、僕も憮然としている側の一人なのだが。



「たぶんほぼ間違いなく、玲司くんはどこかの誰かに殺されたんだと思うけど」


 ほんの少し物思いに沈んでいると、琴原が静かな口調で言葉を継ぐ。

 僕は、やや面食らった。冬柴の死について、殊更ことさらに踏み込むべきかで躊躇ちゅうちょしていたせいだ。にもかかわらず、琴原の側から話題を進めてきた。


「わからないことが沢山あるよね。そもそも、玲司くんを殺した動機がわからないし。どういう凶器で彼の身体を切って、それはどこへいったのか、とか……」


「やっぱり琴原は、事件の真相が気掛かりなのか」


 まだ若干の逡巡を覚えつつ、僕は探るように訊いてみる。

 琴原の反応は、表面的な様子に限ると、普段の会話と変わりなく感じられた。

 故意の素振りかもしれないが、こちらの心配に気付いていないかにも見える。


「そうだね。それは当然、お付き合いしていた男の子の身に起きたことだから。まだ私は高校生だし、玲司くんのご家族みたいに強く訴えたりできる立場じゃないと思うけど」


「できることなら、ある程度納得のいく事件の背景が知りたい、と?」


「うん、そういう感じかも。どちらかと言えば、気持ちの問題としてね」


 問い掛けて意思をたしかめると、いったん琴原はこちらを振り向いた。

 儚げな瞳は、わずかな潤みを帯びて、奥に寂しげなかげりがのぞいている。

 僕は一瞬、息が詰まりそうになった。



「本当のことがわかれば、自分が今より次へ進みやすくなるかもしれないから」



 そう言うと、琴原は再び前へ向き直る。

 僕も彼女から逃げるようにして、視線を外した。

 次いで、ベンチの傍に立つ柱時計を見上げる。

 昼休みの時間は、残り一五分ほどだ。今更昼食を取るつもりはなかった。たぶん琴原も同様で、口にするのは手元の紅茶だけだろう。食欲が湧かないのかもしれない。



 琴原の言葉を、僕は頭の中で反芻はんすうした。

「気持ちの問題として」「次へ進みやすくなる」

 だから、冬柴の死の真相が知りたいという。


 でもそれで、僕はどうすればいいのだろう。

 容疑者はおろか、犯行の動機も手段も不明な、警察も手を焼く怪事件。

 例えば、仮に僕が素人探偵気取りで、独自に事件の調査をはじめたらどうか。やがて謎を解き明かせば、琴原の気持ちを軽くし、彼女を次へ進ませることができるのだろうか。


 しかし受け売りの知識だが、日本の警察は世界的に見ても優秀らしい。

 犯罪捜査の専門家集団が行き詰っている事件を、一介の高校生が解決に導けるとは、常識的な感覚で考えれば不可能に思われた。



「実は数日前にSNSで、鐘羽東の生徒らしいユーザーの投稿を見掛けたんだよねー―」


 不意に琴原が思いも寄らないことを言って、話題を転じてきた。


「生徒の中には、玲司くんの件を『はじっこさま』の仕業だ、って噂している人がいるみたい」


「……『はじっこさま』?」


 思わず鸚鵡おうむ返しでつぶやく。

 琴原は、ちいさくうなずいた。


「なんて言うか……『学校の怪談』みたいなのに出てきそうな幽霊のこと、かな。そういうの、子供の頃によく流行ったでしょう。玲司くんは、その幽霊に呪い殺されたんだって」


 僕は、まず失笑しそうになり、次いでいきどおりを覚えた。

 いわゆる怖い話に興味を引かれ、面白がっていた時期は誰にでもよくあると思う。

 とはいえそういったものを本気で信用できるのは、せいぜい小学校高学年までだ。

 高校生にもなれば、娯楽コンテンツの一種として楽しむ場合はあるかもしれないけれど、真に受けるなんて馬鹿げている。


 しかもそれを、身近で亡くなった人物の不幸と結び付け、いたずらに消費しているとしたら、はなはだ不謹慎なことと思われた。



 もっとも琴原は幽霊の風聞を、それほど容易に無視できないらしかった。


「SNSの書き込みによると、『はじっこさま』は女の子の幽霊なんだって」


 溜め息混じりの声で、ぽつりぽつりと続ける。


「事件が謎だらけなのも、警察の捜査が難航しているのも、そのせいかもしれないって……」


「ちょっと待ってくれよ琴原。そんな噂話が本当にあり得ると思っているのか」


「さすがにそうは思わないよ。でもどうして突然、そんな話が出てきたんだろうなって」


 いったん制止して真意を問うと、琴原は苦笑しながら否定した。


「やっぱり殺人犯が逮捕されないと、妙な憶測が飛び交ったりするものなのかもしれないよね。それで何となく、もやもやしているだけ」


 それから、ごめんね、こんなこと小杉くんに言ってもどうにもならないのに、と付け足す。



 琴原の言葉に耳を傾けながら、僕は彼女の横顔をながめていた。

 綺麗な眉目が秋の陽の中に浮かび上がって、いっそう強く美貌を印象付けられる。

 絵画的な容姿から滲む心情を、僕は今一度汲み取り、把握したくてならなかった。


 琴原は誤魔化ごまかしていたが、幽霊の噂を気に掛けていることは、明らかに思われる。


「……ねぇ琴原。僕は平凡な高校生でしかないし、警察が手こずる事件に首を突っ込もうとするには、無力で役立たずかもしれない。でも自分なりに自分にできることで、どうにか親しい友達のちからになりたいと考えている」


 そうして気付けば、思うままに自分の意思を表明していた。


「だから殺人犯を捕まえることは無理でも、噂の出所を突き止めて、それが根も葉もないデマだと証明する程度のことなら、僕にだってできるかもしれないと思うよ」

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