第30話 命宿りし器
石と粘土で作られた簡易的な窯に、ごう、と火がうねる。
窯の中では赤く光る炎が土器の表面を舐め、まだ柔らかな粘土に命のような色を灯していた。
薪の爆ぜる音、土と煙の混じる匂い。その中でアキは、じっと火の様子を真剣に見つめていた。
「調子はどうですか、アキさん?」
稲夫が声をかけると、アキは火の加減を見つめたまま、ゆっくりと答えた。
「順調だよ。これなら割れずに焼き上がるはずさ」
「それは良かったです。土器のおかげで本当に助かってますよ。運搬がだいぶ楽になりました」
アキは窯に薪を足しながら、くすりと笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいね。ウチにとって土器づくりは特別だから」
「特別……ですか?」
「土器を焼くってのは、命を吹き込むみたいなもんさ。ひびが入らないように、温度を見極めて、火と対話する。そうやってやっと形になるんだ。だからウチにとって土器は子供みたいな存在なのさ」
その表情は、まるで職人そのものだった。
火の赤が、アキの真剣な瞳に映えている。
さらりと笑って見せるその表情に、職人としての誇りが宿っていた。
(い、言えない……!)
稲夫は内心でうめいた。
(こんな真面目な顔で“命を吹き込む”とか言ってる人に、うんこ運ぶ用の土器が欲しいなんて……絶対言えない!!)
喉が詰まる。
(子供のように思ってる土器に、うんこなんか入れたらぶっ殺されかねない!)
視線を泳がせながら、なんとか取り繕う。
「そ、そうですか……あの、頑張ってください!」
「ええ、任せてください!」
アキが爽やかに笑う。
その明るさが、かえって稲夫の背中を押し出した。
――撤退である。
「稲夫様、どうされました?」
帰り道、鍬を担いだツチハルが声をかけてきた。
稲夫はため息まじりに顔を上げた。
「いや……その、アキさんに頼みごとがあるんですけど……」
小声で打ち明ける。
“うんこを運ぶための土器がほしい”が、どうしても言い出せなかったと。
ツチハルは吹き出した。
「なるほど……確かに、それは言いづらいですね」
「でしょう!?あんな真面目な顔されたら、なんかもう……申し訳なくて!」
「ふふ、それなら私が代わりに伝えてみましょうか?」
「本当ですか!?助かります!」
稲夫は思わず身を乗り出した。
「ええ、うまく伝えてきます」
そう言ってツチハルは、アキのいる方へ向かっていった。
稲夫は木陰に身を潜め、期待と不安を入り混ぜた顔で見守る。
「アキ、お疲れ。ちょっと話が――」
「あっ、ツチハル。ちょうど焼き上がりを見てたところだよ。ほら、いい色でしょ?」
窯の中にある土器は、炎に晒され淡い赤褐色に輝いていた。
その様子はまるで、命が宿っているようだった。
「ウチね、いっときは土器を焼くのが怖かったんだよ」
「怖かった?」
「村を追われて、いろんなものを失って、焼き物どころじゃなくてさ。でも、またこうして火を見てると、やっぱり好きなんだって思う。土器を焼くのって、ウチにとって“生きてる”って感じなんだ」
火の粉が舞う中、アキは柔らかく笑った。
「焼き上がった土器を見てるとね、安心するんだ。ああ、また一つ、ちゃんと生き延びたなって」
ツチハルは言葉を失った。
口を開いては閉じ、また開いて――結局、何も言えないまま。
「……そうか。なら、この平穏を、守らねばな」
やっと絞り出せたのは、それだけだった。
アキはそんなツチハルに向かって、にこりと笑う。
「頼りにしてるよ、ツチハル」
その笑顔は、優しくて、強かった。
ツチハルは静かにその場を離れ稲夫のもとへ戻る。
「……すみません。言えませんでした」
ツチハルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、あの状況で言ったらぶん殴られますよ……気にしないでください」
二人は同時にため息をついた。
「でも、どうするかなぁ……衛生のことを考えたら、うんこを運ぶ土器は欲しいからなぁ……」
稲夫がぼやいていると、後ろから明るい声が飛んできた。
「稲夫様!うんこの土器が欲しいんですか?」
「ぶっ!?」
声の方を振り向くと、薪を抱えたヒナタとロウが立っていた。
「い、いや、これはその……!」
稲夫が慌てて言葉を探すより早く、ヒナタが胸を張って宣言した。
「言いづらいなら、ヒナタが伝えてあげる!」
「ちょ、ちょっと待ってヒナタちゃん!?やめ――!」
制止の声もむなしく、ヒナタは駆け出した。
ぴょこぴょことロウも後を追う。
「お母さーん!稲夫様がね、うんこの土器が欲しいんだって!」
「……は?うんこの土器……?」
(終わった……!)
振り向いたアキの顔が一瞬、固まった。
「ア、アキさん!うんこの土器じゃなくて、うんこを運ぶ土器が欲しくてですね
……!あ、でも決して土器を粗末に扱うというわけではなくて……!」
「アキ、落ち着いて聞いてくれ。稲夫様は決して悪気があるわけではなく、真面目な用途に使おうとしていてだな……その、なんというか……」
稲夫とツチハルは二人で同時に顔を真っ青にしながら、何とか取り繕おうと必死に弁明する。
だが次の瞬間――。
「っはははははは!!」
アキが腹を抱えて笑い出した。
「な、何それ!そういう事!?それでさっきから態度がぎこちなかったの!?」
「す、すみません!その、失礼を――!」
稲夫が必死に頭を下げるが、アキは涙を拭きながら手を振った。
「怒らないよ。土器ってのはさ、使って初めて価値が出るもんだろ?食器でも、保存壺でも、うんこを運ぶためでも、それが必要ならウチは作るだけさ」
「でも、そんな用途を聞いて気を悪くしたり――」
「しないしない。雑に扱われて壊されたら怒るけど、ちゃんと必要としてくれるなら大歓迎だよ」
アキは火のそばで手を拭いながら笑った。
その表情は、からっとした快晴のように明るい。
「それじゃ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん!任せてよ。丈夫で、臭いが漏れないように厚めに焼いておくから」
「た、助かります……!」
稲夫は頭を下げ、安堵の息をついた。
笑いと炎の中、土の匂いが風に乗って漂っていた。
土器の焼ける音が、どこか誇らしげに響く。
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