骸日ノ餞

@alew1

双子の章・壱

 かつて、癪気しゃっきに飲み込まれた東の地は、一部の時間をそぎ落として生き延びた。その残滓が積もり積もって現れた異界を、私たちは「骸日ノ餞むくろびのはなむけ 」と呼ぶ。終わらなかった日々の吹き溜まり。失敗と忘却の狭間。ここに住まうのは選ばれなかった者たち。記憶は断片となり、時間は砕け散る。誰もが自分の日付を抱えている。そして禁忌を犯す者だけがその日付を貪り、蓄え、自由を得る。けれど、自由とは何か未だに誰も知らない。

 今日は北の集会場、酒鞠邸さかまりてい魑魅魍魎ちみもうりょうたちの寄り合いがある日だった。私はどうやら長く眠っていたらしく、目を覚ました頃には暁鴉の声が夕焼け空に響いていた。下駄も履かずに障子を突き破るように外へ出ると、そのまま酒鞠邸へと足を向けた。

 酒鞠邸へ続く石階段はとにかく長い。家を飛び出して全力で駆けてきたものだから息が上がってしょうがない。これを設計したやつは暇人か性格が悪い。いや、その両方かもしれない。今すぐ顔を拝んで文句のひとつでも言ってやりたい。石段は苔が斑に生えていてところどころ滑る。両脇には青竹が生い茂っていて、風が通るたびに葉が擦れ合ってざわざわと音を立てていた。日が沈みかけているせいで道の半分はもう薄暗い。地面に映る影だけが長く伸びて別の何かに見える。やっとのことで階段を登りきると視界がふっと開ける。竹林の切れ目の先、酒鞠邸が姿を現した。黒漆塗りの高い塀と檜造りの唐破風の門。建物全体が夕暮れの朱を反射してわずかに揺らめいているようだった。中庭には泉と石灯籠、その周囲を囲むように回廊が広がっていて建物の奥行きは見渡す限りだ。いかにも見せるための屋敷といった趣きで、こんなところに魑魅魍魎が住んでいるのも、なんだか妙な話だと思う。

 この屋敷に比べたら私の家なんて犬小屋みたいなもんだ。

 縁側へ足をかけたときには、屋敷の中はすっかり静まり返っていた。遅かったらしい。急いで来たつもりなんだけど。引き戸を開けようとした瞬間、背後から風もなく気配が迫る。振り返れば、いつものように無音のまま立っていたのは酒鞠だった。黒染めの着物に身を包み、長い髪が揺れている。その顔は、今日も古びた包帯でぐるぐる巻き。目は見えないはずなのに、こっちの様子を逐一見透かしてくる。

「もう終わったわよ」

「知ってる」

 私は縁側に腰をかける。酒鞠は少しだけため息をついたような気配を見せてから、向かいに腰を下ろした。

「それで? 今日は何の集まりだったの?」

「別の骸日ノ餞から、捕食者が来たかもしれない。正式な確認はまだだけど、兆候が出ているわ」

 捕食者。禁忌を犯し、他人の記憶を喰らう者たち。

「また私がやるのね?」

「あなた以外に適任はいないでしょう」

 当然のように言われて私は肩をすくめた。いつもこうだ。自然と押しつけられて気づけば処理役になってる。でも、まぁいい。誰かの役に立てるのは悪くないし報酬もそれなりに出る。

「はいはい、了解。場所と情報」

「もう用意してある」

 酒鞠はそう言って一枚の札をこちらへ滑らせた。私はそれを手に取り、懐に収めた。

 捕食者を追う前に一度家へ戻ることにした。準備ってほどのものでもないけど、いくつか持っていくべき道具がある。爆竹を六つ。それとマッチ。爆竹は音で注意を引くのにちょうどいい。脅しか逃げの隙を作るか使い方はいろいろだ。問題はマッチの方。あちこちの引き出しを開けたり、瓶の裏や布の下も探してみたけど見当たらない。ようやく見つけたのは封の切れた箱にバラバラに放り込まれていた何本か。だがどれも湿気でふやけていたり、頭がもげていたり使い物にならない。

 嫌な予感はしてた。こんなボロ小屋、湿気が抜けるはずもないし。私は仕方なくあの選択を取る。できるだけ避けたかったんだけど。

 部屋の中央に立ってパンパンと手を二回打ち鳴らす。しばらくして軋むような音と共に引き戸がゆっくり開いた。現れたのは提灯を手にした一人の少女。腰には帳簿、袖には印判、帯には銭。いかにも商人という身なりだが、その姿形は人間のものではない。頭には獣の耳が生えているし、尻には尾が四本もある。

 この異界に棲む魑魅魍魎の一柱、商売の神を名乗る存在。名を――

「これはこれは、九葩紫ゑこのひらしえ殿。今日はどのようなご入用で?」

 祀澄牙ナ還魂屋まつりがなかんこんや

 正式名称はもっと長い。名前というより名乗りが暴走した結果のような響きで、もはや名詞ですらない。寿限無にも引けを取らないその名を、私はちゃんと覚える気が起きたことがない。

「マッチが欲しいからよこしなさい。そしたらさっさと帰って。あんたと関わるとろくなことがないんだから」

 真正面から彼女を睨む。

「ははは。相変わらずの毒舌っぷりですね。まぁ、いつも贔屓にしてもらってるんで、今日はおまけしておきますよ。お代は結構ですぁ」

 “ぁ”という語尾が妙に癖になるのがまた腹立たしい。

「あんたを贔屓にした覚えなんてないわよ」

 マッチを受け取ると、冷めた声で言い捨てた。

「もしかしてこの前みたいに、次の支払いで金額ちょろまかそうとしてるんじゃないでしょうね?」

「おぉぉう……その節は申し訳ねぇでした。もう二度としないんで、前みたいに半殺しは勘弁してくだせぇな……」

「分かってると思うけど、私以外の人にもそういうことしたら許さないからね」

 一歩近づき、彼女の顔のすぐそばで言い放つ。

「そういう話を聞いたら、真っ先にあんたをしばきにいくから。覚悟しておきな」

「へい、肝に銘じますぁ……」

 還魂屋はすごすごと下がって、提灯を掲げ直す。私はマッチの箱を袂にしまい込み、踵を返して小屋を出た。外はすっかり暮れていて、空は群青の帳を下ろしていた。息をつけばどこか湿った土の匂い。懐からそっと札を取り出して確認する。酒鞠から渡されたの札には、墨が滲むような字でこう書かれていた。



【──亡仙峡ぼうせんきょう


 酒鞠邸よりもさらに北、骸日ノ餞の最果て。

 誰も近づかない山深い谷で、捕食者たちはいつも、そこから里の方へと降りてくる。


 静かで、見つけにくくて、逃げやすい。

 潜伏や殺し合いにはうってつけの場所。そして、他の骸日ノ餞との境界が薄くなっている。


 そこから入り込んだ。まだ詳しい調査はされていない。】



 亡仙峡へ向かう道はいつも静かだ。踏みならされた形跡もほとんどなくて、ただ獣と風の匂いが残るだけ。ぬかるんだ土を避けて歩いていたら、いつの間にか竹も杉も消えて岩と草ばかりになっていた。月は雲に隠れたり出たりを繰り返しながら足元を白く照らしていた。黙って歩く。何も喋らない。喋る相手もいない。そして見えた。

 崖下の影に一人、天蓋を深く被った虚無僧が立っていた。尺八を抱えて動かない。こちらを見ているようで、見ていないような。

そして、その足元。魂の殻が転がっていた。人のもの。けれどもう光はない。干からびて薄くひび割れている。触れなくてもわかる。これはずっと前に亡仙峡で死んだ誰かの残りかすだ。

 殺しの痕はない。喰われてもいない。ただ拾われただけ。つまり、まだ禁忌の一線を踏み越えてはいない。境界は今も保たれている。今なら言葉も届くかもしれない。

「おーい」

 私は崖の上から夜気に乗せて、わざと明るく声を投げた。

「あんた、他の骸日ノ餞から来たでしょー?今ならまだ見逃してあげるわ。少しだけ話をしようー」

 返事はない。けれど聞こえていないとは思えなかった。私は崖をゆっくりと降りていった。転ぶほど急いでもいないし、手出しされる様子もない。だからこそ妙に気味が悪い。岩場を踏み抜いた先、虚無僧の立つ平地に足がついた。目の前。

 その天蓋の内側から声が響いた。

「これはこれは、お嬢さん。こんなところまで……。いかがなさいましたか」

 老翁の声だった。温かく柔らかい。得体の知れない姿をしているくせに妙に安心感を覚えてしまいそうな、そんな声音。

「それはこっちの言葉。てか、さっき私の話ちゃんと聞いてた? あなたは本来ここにいるべきじゃないのよ。自分のいるべき所へ帰りなさい。今ならまだ見逃してあげるから」

 風が少し吹いた。木の葉がどこからかカサリと鳴る。その音が消えた頃、虚無僧は静かに答えた。

「それはできぬお話ですねぇ」

 断られることは分かっていた。けど、やっぱりちょっとだけ残念だった。

「……そう。なら、悪いけどここで死んでもらうわ。年寄りって頑固だから苦手だわ」

 そのまま一気に背後へ回り込む。首の後ろ。急所のひとつ。そこへ迷いなく手刀を振りかぶったそのときだった。

 笛の音。

 尺八から流れたその音はゆっくりと水の中に響くように私の耳を満たした。たった一音。たったそれだけで私の動きは止まった。視界の端で木々がぐにゃりと歪んで見えた。

「何……、これ……」

  ──音が止んだ。

 体が動く。私はすっと距離を取る。虚無僧の正面に戻って、じっと観察した。

「僧侶が殺生なんて聞いて呆れる。その恰好はお飾りってことね。破戒僧……、というのかしら」

 すると、虚無僧は天蓋の奥でふふふと笑った。

「どうせお嬢さんは死んでしまうので、すべてお話ししましょう。私は僧侶でも人間でもありません。この姿は、骸日ノ餞に迷い込んできた僧侶を殺して奪ったものです。大丈夫です。あなたを殺したあと、その綺麗なおべべも、私が着て差し上げましょう」

 その口ぶりには悪びれた様子もなく、ただ楽しげな響きがあった。声が柔らかい分だけ言っている内容の気持ち悪さが際立っている。

「……キモすぎ」

 額に手をやって小さく嘆息した。

「何も大丈夫じゃないし。本当に殺されたいようね」

 懐から爆竹を二つとマッチを取り出して火をつける。虚無僧の左と右。私は狙いすました位置にそれぞれ投げつけた。バチバチと爆竹が裂けるような音を立てて破裂した。音は大きく、耳に刺さるように響く。そして次の瞬間、虚無僧がびくりと肩を揺らした。

「な、なんだ! こんな玩具ごときで!」

 腰が抜けたのか、しゃがみ込んでいる。私は少し口角を上げた。

「驚いたわ。爆竹を知らないなんてね。それに、こんなものでビビっちゃって……。本当に年寄りね」

 私はすぐさま足を踏み出す。爆竹の煙をすり抜けて虚無僧の間合いへと滑り込んだ。天蓋の内側、そこへ手を伸ばす。指先に力を込めて首の後ろ、骨の継ぎ目を狙った。狙い通り掌に感触があった。

 骨が鳴った。衝撃は掌から肘を伝って肩へと抜けた。そのまま勢いを殺さず私は虚無僧の袈裟の袖を掴んで地面に叩き伏せる。ゴツンと鈍い音が響いた。岩に頭が当たったようだった。だが、それでも死んだようには見えない。

「まだ生きてるのね」

 私は手を離さず、虚無僧の背中に膝を置いた。動こうとするそぶりがあれば、すぐに再度打ち込める体勢を取る。

 天蓋がずれていた。中から覗いたのは乾いた皮膚と爛れた額、そして――どこか人の形をしていながら人ではない目。焦点の合わないその瞳が、わずかに揺れていた。

「ねえ...あんた本当にまだ捕食者じゃないのよね?」

「私は僧侶以外、手をかけていません」

 かすれた声。痛みに耐えているのか、それとも諦めているのか判断はつかなかった。

「……殺したければ、ご自由に」

 あぁ、そう。そういう言い方をするんだ。なんというか、一線を越えなかったことが自分なりの誇りになってるみたいな。

 でも、こちらとしてもそれは好都合だった。酒鞠たちが言っていたように今回の肝はどうやってこっちの骸日ノ餞まで来たのかだったわけだし。ここで殺したらそれも全部うやむやになる。

「命だけは助けてあげてもいいわ。その代わり私と一緒についてきてちょうだい」

 反論も抵抗もなかった。私はそのまま虚無僧の手を引いて崖を下りる。体はふらついていたけど引きずるほどではない。途中、あの尺八だけはちゃんと奪っておいた。きっと何かしらの術具。あれを持たせたままじゃ油断もできない。

 

[newpage] 向かった先は、もちろん酒鞠邸。到着したころには朝をとっくに過ぎていた。裏手から静かに入り、縁側を歩いて中へと向かう。酒鞠を呼ぶと、襖がすっと開いて酒鞠が顔を出す。

「その方は?」

「あんたらが言ってた捕食者よ。生け捕りにした。どうやってこっちに来たのか、一緒に尋問しようと思ってね」

 酒鞠は一瞬だけ私を見て、それから虚無僧の方を見た。何も言わなかったけど多分、同意したってことでいいだろう。

 虚無僧を庭の中央に正座させる。足の上にそこらに転がってた重めの石を載せた。尋問というより、ほぼ拷問に近かったと思う。最初こそ虚無僧は余裕を見せていた。声も落ち着いてたし口も滑らかだった。でも時間が経つにつれて言葉の端が曇っていき、表情が少しずつ崩れていった。

 やがて音を上げた。

「亡仙峡、あそこは境界が薄くなっているんです。向こうの骸日ノ餞で境が消えるのを見た。……それで、越えられるかもしれないと思ったんです。結果、本当に消えていた。気がついたらこっちの地にいた。それだけです」

「いい情報が手に入ったわ。もうこの方は用済みだから──処分をお願いしていいかしら?」

「わかった」

 私は虚無僧の正面に立つと、両手でその頭をしっかりと掴んだ。力を込める。骨が軋んだ音がしてそのまま一気に引き上げた。ズルリと音を立てて、頭と一緒に脊髄や血が噴き出す。体は抵抗もなく、その場にコロンと倒れた。

 汚れた袴とシャツを脱いで酒鞠に渡す。

「洗濯、あとシャツのボタンも取れたから、ついでに補修お願い」

「分かったわ」

 淡々と受け取る酒鞠。まあ、こういうのはもう何度目か。慣れてるってわけね。私はそのまま屋敷の縁側を歩いて中へと入った。捕食者狩りの後はだいたいこうして酒鞠邸で休憩を取るのが通例になっている。もちろん、彼女に許可を取った覚えはないけど今まで何も言われたことはないし、たまに普通にお茶を出されたりもする。つまり問題無いってことだ。

 いつも使っている部屋の畳にごろりと大の字になって、しばらくそのまま。空気がひんやりしていて気持ちいい。半刻ほどぼーっとしていると、庭の方から聞き覚えのある声がした。

「きょうは、しえねぇがいるって」

「じゃあ、あいさつしにいかなきゃねー」

 ──げ、あの二人か。

 この格好じゃ人前に出られない。

 私は慌てて立ち上がり、タンスを開けた。中から誰のものか分からない藍色の浴衣を引っ張り出して手早く羽織る。帯は適当に結んだ。細かいことは、あの子たちは気にしない。

 声は庭から縁側、そして廊下へと近づいてくる。そして私のいる部屋の前で止まった。襖がスッと開く。その瞬間、二つの影が勢いよく飛び込んできた。

「しえねぇ!こんにちはー!」 

「こんにちはーっ!」

 咲蘂しょうずい兀鞠ごつまり七歩蛇しちほだの双子だ。姿は人間の少女そっくり。でも口を開いた時に見える発達した犬歯と頭の上の角が特徴的。姉の咲蘂には一本、妹の兀鞠には二本。どちらも黄金色で竜の角のように鋭く伸びていた。

「おー、大きくなったな。角も立派に育っちゃって……。かわいいやつらめ」

 私は二人に押し倒されたので仰向けのまま、二人の頭をくしゃくしゃ撫でる。

「んふふー! しえねぇもかわいいよ!」

 咲蘂がにこにこしながら言った。

「そのゆかた、にあってるー!」

「うちらとおそろいのふくだねー!」

 兀鞠も笑って浴衣の裾をひらひらさせる。私は浴衣の襟元をちょっと整えて、ため息をつく。

「……まあ、あんたたちがそう言うなら、そういうことにしとこうかね」

 浴衣の裾を引っ張られながら私は仕方なく体を起こした。咲蘂と兀鞠は膝をそろえて座り、私の膝枕を狙っていたようだったけど、さすがにそれは阻止した。布団の上に並んで座り、三人で縁側の方をぼんやりと眺める。

「きょうは、しえねぇのいえにいこうかっておもったんだけどねー」

 兀鞠がぽつりと言った。

「でも、しえねぇんちって、てんじょうにあなあいてるから、あんまりいっちゃだめだよって」

 咲蘂がすかさず補足する。その言葉は私に効く。

「そうそう。それにかやくのにおいがするから、おやつがまずくなるってごつまりがいってたー」

「いってないもん、それしょうずいがいってたくせにー!」

 二人はまた始めた。

「……ところで、ちゃんとご飯食べてんの? 」

「うん。きょうはさつまいもと、おみそしると……、あときのこ!」

 二人は誇らしげに胸を張って見せる。

「そ。ならいいわ」

 私はそう言って軽く背を伸ばした。ちゃんと食って、ちゃんと生きてる。それだけで合格点。十分過ぎるのだ。

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