011【ショートコント】四題噺『誤診、純粋、精錬、循環』

矢久勝基@修行中。百篇予定

01011【ショートコント】四題噺『誤診、純粋、精錬、循環』


【ショートコント】

もし現実世界の病院にセイレーンが診察しに来たら?


「あのぅ……」

 女は、退出を求めた初老の男に不満があるようだ。

「やっぱりおかしいと思います」

 クレゾールの匂いのする一室で、白衣を着る老人に向けて、彼女は必死に訴えた。

「あたし、怪我してるんですよ……? なのに何もせずに追い返そうとするなんてひどいと思います。職務怠慢だと思います!」

「怪我なんてどこもしとらんよ」

「もう一度ちゃんと見てください!」

 女はくるりと丸椅子で腰をひねり、医者に背中を向けた。

 そこには巨大な翼。薄紅色の美しいグラデーションのされた翼の先の方が、無残に崩れていた。人間でいえばヒジより先、指に至るまでの部分に当たる。

「折れてますよね……?」

「いいかい? こういうコスプレの道具はホームセンターとかで接着剤を買って直すものだよ」

「ホンモノです!!」

 医者は折れた場所を無造作に触れる。神経の通った骨に触れたのだ。彼女にしてみれば、激痛に決まっていた。

「痛い痛い痛い!!」

「そんな馬鹿なことがあるか」

「やめてください!」

 丸椅子をくるりと戻し、ややも睨みつける女。医者はいぶかしげだ。

「君はそのような翼を本物だと思い込んでいるようだ。メンタルクリニックを紹介しようか」

「どうやったら信じてもらえるんですか! 飛べばいいですか!?」

「飛んでみたまえ」

「怪我を治してくれたら飛んでみせます! 十分後にはお見せします!!」

 医者は鼻で笑う。

「いいかい? 人間は翼など持ってはいないのだよ」

「だからあたしは人間じゃないって最初に説明しましたよね!? セイレーンだと言いましたよね!?」

 セイレーンとはギリシャ神話にも登場する海の魔物であり、上半身は女性、下半身は鳥、背中には翼を蓄え、航行する船を誘惑して沈没させる歌を歌うとされている。

 が、彼女は下半身も人間であり、巨大な翼の他は何の遜色もない。

「言ってたね」

 もっとも、セイレーンの存在などを知るはずのない医者は、テーブルに右腕を置いて言った。

「まったく、最近のキラキラネームというのには恐れ入るよ。セイレーンだって? 漢字は〝精錬〟とでも書くのかね」

「名前じゃありません!!」

「もしくは中国名なのかな。楊精練(ヤンセイレン)みたいな……」

「勝手に苗字まで作らないでください!!」

「名前について、受付を散々困らせてくれたらしいじゃないか」

「読めないって言われました」

 カルテには〝सुन्दरसमुद्रआत्मा〟と書いてある。医者も苦笑いをするしかない。

「……いや、自分の蘊蓄をひけらかす人、たまにいるんだよねぇ。日本人なのに意味もなくハングルで書いてみたりとか」

「この国の言葉が書けないだけです!!」

「どこの国の人なんだ」

「アミャルペヴッョラヤです」

「な、なんだって?」

「アムャルぺヴッョオヤ」

「さっきと違うじゃないか!」

「女性に言う時はアミャルペヴッョラヤで、男性に言う時はアムャルぺヴッョオヤです」

「そもそもどう発音しとるんだ!」

 受付が自分のところに泣きついてきた理由が分かる。面白半分で通してしまったが、これは手ごわい。

「どこにあるんのかね。そのアミャルビラヨラヤというのは」

「アムャルぺヴッョオヤです! っていうか、あたしの国の話なんてどうでもいいんです!!」

「とにかくねぇ。お嬢さんの国がアミャルシオヤでもなんでも、脊柱生物である以上、四肢と別に羽が生えることなどはないのだよ」

 虫は六肢だが、脊柱動物に六肢は存在しない。六肢ある時点で、地球上の脊柱動物ではないのだ。……彼は医者らしい断言をし、

「よって、その翼は作り物である。作り物には接着剤を使いなさい」

「ホンモノですっっ!!」

 もちろん女は納得できない。傷ついてない片翼を広げてみせると、

「ほらほら! 動きますよね!?」

「扇風機だってルンバだって一人で勝手に動いとるわ」

 医師の示した親指の先で、ルンバがのそのそと動いている。

「あんなのと一緒にしないでください!!」

「じゃあわかった。とりあえず背中見たいから、取り外してもらってもいいかね」

「取り外しがきくものじゃないんですっ!!」

「どうして」

「身体の一部だからですっ!!」

「だから、それはあり得ないとさっき言っただろうに」

「決めつけないでください!! ドラゴンだって前足奥足に加えて、翼が生えてるじゃありませんか!」

「想像上の動物を持ち出されてもねぇ……」

「ドラゴン知らないんですか!?」

「そんな……本当にいるように言われてもな……」

「ドラゴン、見たことないんですか!?」

「……」

 絶句。お互いに絶句した。医者の方はドラゴンを疑いもせずにいる彼女を、彼女の方はドラゴンを知らぬ医者を……

 図らずも、互いの純粋な疑問が互いを見つめ合うような形となった。先に持ち直したのは彼女の方だ。

「と……とにかく、あたしは怪我をしているんです! このまま追い返されたんじゃたまりません! なんとかしてください! 飛べないんです!!」

「だから接着剤……」

「ホンモノです!!」

 悔しそうなくらい睨んでいる女。妙なことを口走ってはいるが、目鼻立ちのはっきりとした極の美人だ。長い髪は金髪というか完全な黄色で、持っている雰囲気は確かに人間離れはしている。

 しかし……と老爺は思う。今は令和の時代である。昭和にこのような者は存在できなかったが、あれから半世紀が過ぎ、女性の持つ雰囲気はまったく変わってしまった。

 ファッションも髪の色も雰囲気も……今ならあり得る。

 それは、今この歳になって未知の生物を信じるよりも、はるかに簡単な理解であった。


「精錬さん」

「セイレーーーーーンですっっ!!」

「接着剤の方がいい理由がもう一つある」

「いいわけないでしょう!?」

「キミは保険証が提示できないんだよねぇ」

「持ってませんから」

「それがないと医療というものは馬鹿高いのだよ」

「お金は大丈夫です。どうせここで使ったら海に帰るだけですから」

「持ってるのかね?」

「三百年前に海賊船からせしめた財宝を『おたからや』っていうお店に持っていったら数億になったんで大丈夫です」

「三百年……」

 もう、なにからツッコんでいいのか分からない。妄想に妄想が積み重なっていく〝妄想スパイラル〟を持つ娘に、どう言葉を並べたらいいのか分からない。

「お金は、あるんだね?」

「あの……さっきからちょっと思うんですけど、……もしかしてご高齢で認知機能が低下してませんか?」

「そんな耄碌しとらんわい!!」

「お金は数億あるといいましたよね!?」

「円で持ってるの?」

「円かは知りませんが、ほら!」

 彼女が脇から差し出したのは『おたからや』の紙袋が三重になっているもので、無防備に現金が見えている。医者は感心するよりも呆れた。

「危ないよこんな形で現金持ち歩いたら……」

「ここに来るまでに二度襲われました」

「襲われてるじゃないか。大丈夫かね」

「みね打ちにしたので生きてると思います」

「……」

「ついでに三回ナンパもされました」

「大丈夫かね」

「みね打ちにしたので生きてると思います」

 もはや訳が分からない。が、金があって彼女が無事なら関わることではないと思い直した彼は「じゃあまぁ……ちょっと見てみるか……」と呟いた。

「もう一度背中向けて」

「はい。お願いします!」

 彼女は先ほどから開きっぱなしだった片翼を畳むとともにもう一度丸椅子をくるりと回す。長い髪の毛を両手で前に掻き分けて、くっと背中を差し出した。

「傷のところはさわんないで、本当に痛いんですから」

「分かった」

「根元見てください。……ホンモノでしょう?」

 彼女の服の背中は腰のところまで開いている。首の後ろで結んで、腰の後ろで結んである布のような服を着ていた。

「キミこれ、今の季節だからいいけど、冬はやめておきなよ? 風邪ひくし」

「見るとこ違いますっっ!!」

 こんなに肌をさらしてまでコスプレをしたがる心理が分からない。令和についていけない……医者は思いながら、彼女の背中に向かった。

 そして……言葉を失う。

 確かに彼女の肩甲骨は二枚に分かれていて、それぞれに上腕骨が伸びていたのだ。

「……どうですか?」

「まさかキミ……これ、ピアスみたいに直接埋め込んだの?」

「もうそろそろ信じてください!」

 老医師は黙った。そろそろ……信じざるを得ない異常事態が目の前に現れたことに……気づき始めたのだ。

 これは……

 キメラ……といえる存在に該当する。いや……そう断言できるかも定かではない、とんでもない存在である。

 二〇二一年。サルとヒトの細胞をかけあわせたキメラが、培養皿上の胚の状態ではあるが数週間成長したと報じられた。その実験ですら倫理的な問題を問われたのだ。

 逆に言えば、その程度で大騒ぎするのが、世界の現状なのだ。なのに……

 ……目の前の少女は、誕生し成長して、平然と生きている。

「生まれてこれまで……どうやって生きてきたの……?」

「海と空を行き来する生活です」

「いや、そういうことを聞いてるんじゃなくて……」

「なんですか?」

「誰かに見つかったら、ただじゃすまないよねぇ」

「え、普通ですけど。……人間だっていろんな種族に見慣れてるでしょう?」

「キミを見慣れてる人なんていないよ。よくここまで歩いてきたね」

 医者はそう言いつつ、それが実現してしまうのが令和という時代だなとも思った。

 原宿を歩けば彼女よりも奇抜な姿をしている若者も珍しくない。ハロウィンともなれば渋谷を練り歩く者たちのファッションは本当に何でもありだ。

 そんな世の中なのだから、彼女がちょっと翼を背負っていても……奇異な目で見られたとしても……意外に気にはされないのかもしれない。

「これ……飛べるの?」

「飛べるって言ってるじゃないですか」

「誰が作ったの?」

「だから作りものじゃないですっ!!」

「そうじゃなくて……キミみたいなキメラを……」

「普通に生まれました!!」

「まぁキミ自身はそう思っていても無理はないか……」

「あの……ホントに普通に生まれましたよ……? お母さんいますよ。確かにセイレーンは希少種ですけど……」

「そういうことにしておこう」

 会話も途切れ、もくもくと症状を確認していた老医師。どちらかといえば未知の生態への興味に時間を取られていた感もあるが、あるところでふぅと鼻に抜けるため息をつき、言った。

「精錬さん」

「セイレーーーーーンです!」

「わかったわかった。……確かに中手骨に当たる部分は折れているよ」

「はい。激しい戦いだったので」

「なにと戦ったのかね」

「リヴァイアサンです」

「リヴァイアさんって……?」

「海の王です。やたら関税かけまくって海を困らせてるので殴ってやりました」

「名前はトランプサンの間違いじゃないのかね」

「いえ、リヴァイアサンです。それと、サンは別に敬称じゃないです」

「ふむ……」

 もはや争わない。

 なにが起きているのか……医者の思考はそちらに注力したが、実はそれ以前の問題もあった。

「……キミはやっぱり、来るところを間違っておる」

 その正面からの否定に女はたじろぎ、

「え……? ここ、病院ですよね……?」

「病院ではある」

「怪我や病気をしたら病院、ですよね!? あたし……間違ってないと思いますっ!」

「いや、間違っとるんだ」

「なにがですか!!」

「ここは循環器内科なのだよ」

「循環器内科ーーーーー!!」

 叫んでみて、彼女は止まった。

「……って、なんですか?」

「キミ……ホントに人間?」

「セイレーーーンですーーーー!!」

「セイレーンもいいけど、今のZ世代はもう少し常識を身に着けた方がいいな」

「ちゃんと話聞いてます!? それに、なんならあなたより年上ですけど!!」

「何を世迷言を」

「言っておきますけど、四百五十年前に起きたマイルファーレイン王国の反乱は、あたしがいなかったら成し遂げられてないですから!」

「キミはすごいな」

「分かってくれたなら光栄です!」

「皮肉の分からん娘だ……」

 医師は呟き、しかしこのめまいがしそうな会話の中でふと、脳裏に一つの仮説が浮かぶ。

 その純粋な瞳の訴えは、果たして本当に嘘なのだろうか。もしくは心のどこかに異常をきたしたものなのだろうか。

 ……浮かんだ仮説は、それを否定しえるものだった。

「……キミは、この怪我が治ったら飛んでみせると言ったね?」

「はい。あたしが飛べることを信じてないみたいなので」

「その時、君はこう言った。『十分後には飛んでみせる』と」

「言いました。でもそれは、もちろん治してくれたら……です」

「キミはどうやってその骨折を治そうとしとるのだ」

「え……?」

「言葉の裏を返せば、十分で治るつもりなんだよねぇ?」

「治りますよね……?」

 医者の眼球は、折れている翼の方へと動いた。

「キミの翼は解放骨折をしてる。……つまり、骨が見えるほどにバックリ折れてるのだよ。……なのにそんなに平然としてるから、わしは今までキミの怪我という部分が信じられんかったが、キミの翼がもし本物なら……今の状態は、感染症を視野に入れなければならない危険な状態なのだ」

「ええっ!?」

「十分どころか、緊急で手術をして、後は安静に保存しなけりゃならない。……一ヶ月やそこらじゃ完治しないよ」

「そんなはずないです」

「だよねぇ」

 医者はそれを否定しない。

「キミは、当然十分あれば治ることを前提に来た。それを聞きたいのだよ。どうやって治すつもりで来たのだ」

「どうやってって……仙医術で……」

「なんだねその仙医術というのは」

「あの……あなたホントに医者ですか……?」

 彼はその答えも否定せず、むしろうなずいた。

「つまりその仙医術というのを使うのが医者なのだな?」

「ですよね……?」

「キミはその治療を受けたことがあるんだな?」

「この千年間、数えるほどではありますけど」

「わかった。キミね。異世界に転移しとるわ」

「は……?」

「ここは、もともとキミのいた世界ではない」

「は…………?」

「ドラゴンは誰もが見るモノなのかね?」

「存在を知らない人間はいないと思います」

「で、キミの国の名前はアムールナントカなんだよね?」

「アムャルぺヴッョオヤですっ!」

「日本という国は知っておるかな?」

「知りません」

「アメリカは……?」

「……」

 ふむ……医者は、呼吸を一度置くようにして、言った。

「今ここに、信じられない仮説が二つあるとする。一つは、キミのような存在が現代で生まれ育ってしまったこと。もう一つは、キミがパラレルワールドから舞い降りたこと」

 これのどちらかを信じなければならないとするならば……と、医者は続け、

「キミの身体は、現代のゲノムテクノロジーでは到底存在することはできないキメラなのだよ。しかし未知の生物とするには、あまりにキミはわしらに慣れ過ぎている」

「これまでも何度も人間と関わってきましたから……」

「だからね。信じがたいが、医学者のはしくれであるわしとしても、前者を信じるより、後者を信じるほうが楽なのだよ。……もちろん、キミを今から監禁して研究させてくれるならもっと正確な答えを出せるし、ノーベル賞も夢ではないかもしれないが……」

「そんなことしたらセイレーンの歌で呪い殺します」

「うん。いやだよねぇ。わしも、がっついて研究を始めたいと思うほど若くもないしね」

「……」

「だからキミのことを、わしは見なかったことにする。あとは自分で答えを見つけてくれ」

「そんなの困ります!!」

「困るよねぇ。これ真面目に追ったら、十万文字レベルのノベルが描けちゃうよねぇ」

「まじめに追ってください! あたし困る!!」

「世界は、キミの存在をこそ、困ってしまうのだよ。できることなら、キミが今まで言ったことはすべて妄想で、背負ってる翼は作り物であるのが一番都合がいい」

「そんなこと言われても……」

「だから……その翼は接着剤で直しなさい」

「無理ですっ!!」

 まぁ、そうだよね……と呟き、

「じゃあ一応、腕の立つ医者のいる動物病院は紹介してあげよう」

「あたしは動物じゃありません!」

「翼が鳥だから仕方がないのだよ精錬さん」

「セイレーーーンですっ!! ここで治せないんですか!?」

「循環器内科だから純粋に無理なのだよ精錬さん」

「……」

「四題噺のお題をことさらに強調したところで……まぁ、わしの判断した異世界からの転移というのが、誤診であることを祈ってはおくよ」


 ありがとうございましたーーー(←コントの最後)

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