第2話「終わりを探す者」

ミヨリノキの高く伸びた枝を、

月光をまとう影が、静かに歩いていた。

その足取りは不安定ながらも確かで、枝に揺られても崩れることはない。

夜の風に揺れる白髪と、長い耳。サクヤは思わず見上げ、息を呑んだ。


その姿に見とれていたことに気づき、サクヤはハッと我に返る。


「!!」


「あ! あなた何者? 今すぐそこから降りて!」


サクヤは慌てて叫ぶが、その人物――セレスは枝の上からこちらを見下ろし、無言で視線を流すだけだった。


「ねぇ、聞こえてるの? ……あ、降りる気になった? ……って、え? え?」


セレスが仰向けに体を投げるように、枝の上から飛び降りた。


「ちょっとちょっと! 何やってんのよ!」


慌ててサクヤは宙籠(ちゅうろう)を展開しようと手を広げる。

果たして、宙に展開された光の籠がセレスを受け止め、その命を繋ぎとめた。


俯瞰で見下ろす光景の中、セレスはゆっくりと目を開けた。


「……また死ねなかった」


その呟きに、サクヤは思わず眉をひそめる。



少し時間が経った。

サクヤはふと周囲を見渡し、違和感に気づく。


「……やっぱり宙籠が張られてない」


「ごめん」


背後から声がかかる。振り返ると、セレスが手を軽くかざしていた。


「これ、邪魔だったから取ったんだ」


その手のひらから、宙籠が音もなく解かれていく。

まるで魔法の網を解くような、柔らかくも精密な動きだった。


「……え?」


驚愕に目を見開くサクヤ。

(宙籠を、簡単に……。というより、“解いた”って感じ……一体何者なの、この……)


視線の先、月光に照らされたセレスの耳が、長く尖っているのが見えた。

先端付近には金属製の耳飾りがすっぽりと耳を覆っていた。


「エルフに会うのは初めてかい?」


セレスは微笑んだ。


その笑顔に、なぜかサクヤの胸が少しだけ高鳴る。


「あなた、エルフなの?」


「うん。西の森から来たんだ」


セレスが差し出した手を、サクヤは自然と取って立ち上がる。


「そんな遠くから? 何しに?」


「ん~~~……」


セレスは空を仰ぎ、小さく微笑むと、決め顔で言った。


「“終わり”を探しに」



――月が、静かに輝いている。


「終わりを探しに? それって……死に場所を探してるってこと?」


「まぁ、簡単に言えば、そうなるのかな」


「でも……」


「ん?」


セレスは夜空を見上げ、陶酔するように目を細めた。


「ここ、死ぬには美しすぎて。もうちょっと、生きてみようかなって気になった」


「え、えぇ……!?」


サクヤは思わず引きつった声を漏らす。


「まぁ、ちゃんとこの装置が作動するかを確かめたかったけどね!」


セレスは枝を指差しながら、楽しげに語る。


「落ちたら棺に自動で収容されて、地中に埋められる“死のピタゴラスイッチ”。完璧でしょ?」


「その心遣い、生きてるうちにやって欲しい!」


思わずツッコまずにはいられなかった。



「アンタ、本当にどうやってここに来たか覚えてないの?」


道を歩きながら、サクヤが尋ねる。


「うん。調べ物をしてたら、大樹のそばに居たんだ。たぶん、ルーンに転移系の呪いの残穢があってさ」


「調べ物? ……ずいぶん物騒な物を触ってたのね。まさか、それ、ここに持ってきてないわよね?」


「手には持ってたはずなんだけどね。残念ながら持ってこれなかったよ」


「ホッ……よかった。私がある日突然どこかに消えたら、ここにいる皆が……」


「……?」


セレスは不思議そうにサクヤを見た。



二人は連れ立って、村――ミコルハナミヤへと向かう。

あれからサクヤはセレスを自宅へ泊め、一晩を共に過ごす事になってしまった。

眠たい目をこすりながら歩くと何処からかヒソヒソと声が聞こえてきた。


「外から来た? でもどうやって……」「これは、“導き”か、あるいは試練かも……」


建物から覗く巫女たちや夜店で酒を楽しんでいた者達の視線が、セレスに注がれる。


「なんだか、すごく見られてるね」


「というよりも、監視されている……」


セレスの目元が鋭くなる。


サクヤは歩きながら説明する。


「そりゃ、こんな山奥に西側のエルフが来たらね。普通じゃないもの」


「皆やけに若い……というより、幼いね。大人はどうしたんだい?」


「今アンタが見てるのは全員大人よ。私たち“トキノビ”は皆、こうなの」


「呪い、か。神々が罪人に刻みし絶対服従の“理”……。東西の神々の戦から、もうすぐ100年か」


「102年よ」


「細かいね」


「細かいなんてこと、絶対にない……! 今あんたが忘れた2年で、私たちは皆死ぬわ」


「薄命の呪い……か。すまない、謝罪するよ」


「……あんた達には分からなくて当然よ。長生きなんでしょ? どれくらい生きるの?」


「まぁ、だいたい何事もなければ100年以上は生きるかな」


「すごい。そんなに……」


「でもね、何年生きようが、何百年生きようが、結局死ぬときは独りだし、死んだ者なんてすぐに忘れられる。大した違いはないよ。君だって、今まで死んだ同胞のこと全部ちゃんと覚えてはいないだろう? 自分の命がこんなにも早く尽きるんなら、覚える意味もなさそうだよね」


「ちゃんと覚えてるわ!!!!!」


サクヤが怒鳴った。


「ちゃんと覚えてる。私たちは死んでもミヨリノキに還る。私たちの記憶や経験は、次の実に引き継がれていくんだから」


彼女は目を伏せ、吐き捨てるように言った。


「ていうか私、あなたのこと結構嫌いかも。ていうか、大嫌いに近い」


「おやまぁ」


セレスは笑ってみせる。


「君はずいぶん僕にストレートに感情をぶつけてくれるんだね。そういうの、家族みたいでいいと思うよ」


サクヤは口を開きかけて――何も言えずに、視線を逸らした。

その表情には、ほんのわずかに刺さった棘のようなものが残っていた。



静かな回廊に、足音がひとつ。


「……サクヤ」


背後から呼びかけられ、サクヤは立ち止まって振り返る。


「シデちゃん……?」


そこには、いつもの気の強さをひとまず隠したような、真面目な表情のシデがいた。


「サクヤ、ローズ様より、旅人の“観察役”を命じられたわ」


「わ、私が……ですか?」


思わず声が上ずる。

だが、シデの顔は変わらない。


「“外の者”は風穴。良くも悪くも、変化を連れてくる。けれど拒めば、それは神への逆らいでもある――」


サクヤは一瞬ためらい、それでも顔を引き締めてうなずいた。


「……はい。分かりました」



「旅人のエルフ様……お名前をお伺いしても?」


儀礼に従い、サクヤは静かに問いかけた。


「セレスだよ。――ああ、そういえばまだ名乗ってなかったね」


セレスは軽やかに微笑んで名乗る。


「セレス様。まずは我が種族を束ねているローズ様に、謁見して頂きます」


すっと姿勢を正したサクヤの口調は、自然と儀礼的になっていた。


だが、セレスは手をひらひらと振って笑う。


「それには及ばないよ。ここへは意図して来たわけじゃないし、さっさと立ち去らせてもらうよ」


「……そんな勝手な」


思わずサクヤの声が強くなる。

そのとき、隣で静かに佇んでいたシデが口を開いた。


「“神々の監視すら欺くこの地”に、外部からの転移が起きた。それ自体が、無視できる問題ではありません」


「なるほど。事故とはいえ、“報告案件”ってわけか」


セレスは腕を組んで納得したように頷いた。


「誠にご足労をおかけしますが」


シデは丁寧ながらも淡々と続ける。


「……分かったよ。ルールは大事だもんね」


セレスは少しだけ肩をすくめて、苦笑を浮かべた。



「では……行きましょうか、セレス様」


謁見の場へと向かう廊下で、サクヤが声をかける。


その背後で、セレスがにやっと笑って振り返った。


「どうしたんだい? 急に名前で呼ぶなんて。さっきまでは“アンタ”ばかりだったのに」


「うっ……!」


顔を真っ赤にして言葉に詰まるサクヤの間に、シデがピシッと割って入る。


「サクヤ! そんなはしたない態度を!」


「ははは。じゃあ行こうか、サクヤ」


セレスはサクヤの肩を軽くぽんと叩いて歩き出す。


「なんで呼び捨てにしてんのよ!」


思わず怒鳴るサクヤの横で、シデが眉をしかめた。


「サクヤ、礼節を――」


「大丈夫大丈夫。“礼儀”なら心得てるから。――君と同じでね、あんまり使わないだけ」

セレスは振り向きもせず、軽く手を振って笑っていた。

少しムッとするサクヤは、視線を逸らす。


二人の後ろ姿を見送りながら、シデは小さくため息をついた。


(……本当に、大丈夫でしょうか)



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