第78話 模擬戦③
ベルクハルトが、騎士剣を静かに下段へと構えた。
今朝、木剣を手にしたときとはまるで違う。纏う覇気が鋼のように研ぎ澄まされている。
彼がどこまで本気なのかはわからない。
だが、油断は禁物だ。俺の知らない技を持っていてもおかしくない。
「挑戦者は私だ。まずは一手、行かせてもらおう――」
年下の俺に対しても礼節を忘れない。
団長という肩書きにふさわしい、凛とした態度だ。
「ふっ……これも、簡単に止められるのか」
宣言と同時にベルクハルトが地を蹴る。鋭い連撃が嵐のように襲い掛かった。
俺はロングソードを合わせ、その全てを正確に弾き返していく。
「は、速すぎ……団長様の剣が、あんなにも――」
「手加減に決まってるだろ!」
「手加減でも……あの剣速、見えるか?」
「……いや、全然見えねぇけど……」
演習場の壁際に押し下げられた生徒たちの戸惑いと驚きが耳に入る。
十七歳の見習いが、神殿剣士の頂点と互角に打ち合っているのだから無理もない。
「来い――」
「じゃあ、今度は俺からいかせてもらうぜ」
ベルクハルトが軽く後方へ跳ぶ。
その着地と同時に、俺は魔法を発動した。
「――<エアブースト>」
視界が一瞬、風に溶ける。
姿が消えたように見える速度で背後へと回り込み、無防備な背中へ斬撃を叩き込む。
「ぐぅぅぅっ……がはぁっ!」
ベルクハルトは咄嗟に身を捻り、騎士剣で辛うじて受け止める。
だが体勢は崩れている。奇襲を完全には防げない。
力任せに叩きつけると、ベルクハルトは砂塵を巻き上げて吹っ飛んでいった。
「まあ、この程度で倒れる男じゃないよな」
「……朝、本気を出していなかったのは――互いさま、ということか」
砂煙が晴れると、ベルクハルトはゆっくりと起き上がり、歩み寄ってくる。
吹き飛ばされたはずの体には傷一つない。既に<聖鎧>が発動しているのだろう。
厄介なオートヒールの魔技だ。
「当たり前だ。授業は長くない。俺だけがいつまでも戦ってるわけにいかないからな。――だから、遠慮なくいくぞっ!」
「そう簡単には通させん!」
騎士剣とロングソードが激しくぶつかり、甲高い金属音が演習場に響く。
俺は<エアブースト>を使って加速しているが、ベルクハルトは必死に食らいついてくる。
彼の真骨頂はどうやら隙を突くカウンターらしく、わずかな間を狙って俺の胴へ斬り込んでくる。
ただし速度はドロテイアほどではない。だから――見える。
それに、ハレスでのダンジョンブレイク後、確実に自分のレベルが上がっている実感があった。相手の動きが以前よりも鮮明に捉えられる。
「だぁぁぁぁぁっ!!」
一度距離を取ったベルクハルトが、再び踏み込んできた瞬間――その目が変わった。
物理的な色ではない。俺を仕留める覚悟が宿った暗い光だ。
どうやら、こっちも本気を出さないといけないらしい。
ロングソードの柄に力を込め、大きく振りかぶって地面へ叩きつけた。
「――<エアスラッシュ>」
「「うわあああああ!?」」
土を裂く轟音と、舞い上がる土塊と砂煙。
演習場の端に押し寄せていた生徒たちが、一斉に悲鳴を上げる。
その煙の隙間――ぼんやり見える影。
ベルクハルトだ。
純粋な視力だけなら、俺はベルクハルトの数倍はあるはずだ。
砂煙の中でも、位置は手に取るようにわかった。
俺は地を蹴り、一気に距離を詰める。
獲物を狩る獣のように低い姿勢――イアシスの村で巨大魔物を相手に何度も試した動きだ。
そのままロングソードを横一文字に払った。
「――――っ」
しかし斬った空間には、誰もいない。
一瞬、グレンが使った<陽炎>のような幻惑かと思ったが――次の瞬間、背後で気配が爆ぜた。
「とった!」
俺の背中はがら空きだ。
このまま斬られれば、今は着ていない錬金加工された特別なローブでもない限り、背中はズタズタになる。
だが俺は、あえて防御の姿勢を取らなかった。
「ぐっ…………」
鋭い痛みが走る。本来なら血まみれになっているはずの痛み。
だが――
「な……っ」
「ベルクハルト。お前の剣術はその程度か」
修道服は斬り裂かれていた。
それでも背中の傷は、浅い線傷程度で済んでいた。
どうやら俺は、ベルクハルトとは比べものにならないほどレベルが高いらしい。
「ならば――<
「なっ!?」
砂煙の中でベルクハルトの右腕が膨張し、石の鎧が剣ごと包み込む。
次の瞬間、空へ突き上がるように巨大な石剣が形を成した。
「なんだ……あれ!?」
砂煙で姿は見えないが、天へ伸びる巨大剣だけははっきり見えたらしい。
生徒たちは恐怖に似た声を上げた。
「なっ、あれは……ベルクハルト殿の奥義……」
「団長殿……シュウを殺す気なのか?」
動揺した声があちこちで漏れる。
どうやら――あれを迎え撃たないといけないらしい。
「――喰らええええいっ!!」
あんな重量の武器を振り上げれば胴ががら空きになる――
そのはずが、常識を裏切る速度で巨大な石剣が振り下ろされてきた。
さすがに黙って受けるわけにはいかない。
人を容易く押し潰す巨神の一撃が、俺めがけて落ちてくる。
「――<エアスラッシュ>!!」
両手でロングソードを握りしめ、風の刃を撃ち放つ。
石剣と風刃が衝突し、演習場が揺れるほどの轟音が響いた。
「「うあああああああ!?」」
爆風が生徒たちの悲鳴をかき消す。
俺の<エアスラッシュ>では石剣を斬れなかった。
だが――それでいい。あれは止めるだけが目的。俺は魔法を発動していた。
ロングソードの刃に、複数の風の突起が纏わりつく。
細かい刃が無数に回転しながら速度を上げていく。
――ヴィィィィィィィィィィンッ!!
歪な超高速回転音が空気を震わせる。
その瞬間こそが、合図だった。
「――<エアドライブ>」
風のチェンソーと化したロングソードが、石剣へ真っ向からぶつかる。
俺は全身の力を込めて剣を振り上げ――そのまま、ベルクハルトの腕ごと叩き斬った。
石剣は宙を舞い、空中で崩れるように魔法が霧散していく。
砕けた石剣がベルクハルトの右手へ戻るのが見えた。
「――っと、危ない危ない」
俺は<エアブースト>で跳び上がり、その右手をキャッチ。
まだ砂煙の残る中、ベルクハルトへと近づく。
「……ふっ、負けたよ」
「痛がる素振りすらないのが怖いんだが。タフすぎるだろ」
「<聖鎧>……それに<石葬>まで破ったのは、君がはじめてだ」
ベルクハルトの右腕から血が溢れていた。
<聖鎧>は完全に効果を失っているらしい。
魔力を全部注ぎ込んでいたのかもしれない。
だから俺は――
「――<ヒール>」
ドロテイアの時のように、回復魔法で腕を繋いでいく。
「……下級の回復魔法でこの再生力か。とんでもない逸材だな」
「逆に言えば、他に使える魔法がほぼないけどな」
「……カナンのことは、君がいれば心配いらないな」
「やめろよ……あいつとはただの同室の友達だ。仲良くはするけどな」
「…………ん? 同室? おい、ちょっと待て」
ベルクハルトが何かに気づいたように声を上げかけた、その時――
「団長様の剣が………」
「うそ、だろ……」
土煙が晴れ、武器を手にしているのは俺だけだった。
ベルクハルトの騎士剣は地面に突き刺さっていた。
勝敗は、誰の目にも明らかだ。
「ベルクハルト殿……これは」
「ああ、俺の負けだ」
教師の問いに、ベルクハルトは素直に答えた。
……もしかして団長の威厳のために、俺が負けた方がよかったりしたのか?
いや、そんな器用な真似、俺にはできない。
こうして俺とベルクハルトの模擬戦は幕を下ろし、続いて彼とセイラ、それぞれの生徒たちとの模擬戦へと移っていった――。
◇◇◇
「――おい、カナン。アイツは何者なんだ?」
「あ、ガイツくん。起きたんだ」
「途中からな……」
A組の生徒に敗北し、壁際で意識を失っていたガイツが目を覚ましたとき、すぐ横にはカナンが座り、シュウとベルクハルトの戦いの結末を見届けていた。
「ほら、見て。A組の子、シュウくんにやられちゃったんだよ」
「あ? ……なんだよ、俺の敵討ちでもしてくれたってのか?」
「ふふ。どうだろうね。シュウくんは少しぶっきらぼうだけど、根は優しいし……ガイツくんみたいに突っかかる人にも、ちゃんと情はあると思うよ」
「頼みもしねぇのに……勝手なことしやがって。お前の父親、普通にやられてんじゃねーか」
戦いはちょうど終わったところだった。
土煙で詳細までは見えなかったが、途中の鋭い剣戟だけははっきりと見えた。
「お父さんが負けたって、別に何も思わないよ」
「お前……結構冷たいよな」
「セイラ様が負けたなら、シュウくんに怒っちゃうかもしれないけどね」
「団長に勝ったってことは、実質勝ってるようなもんだろ……」
「やってみなきゃわからないじゃん」
「お前……身体だけは細いくせに、性格は図太いよな」
「そう? ガイツくんだって負けず嫌いでしょ」
「けっ……当たり前だろ」
笑いはしない。
だが、ガイツはシュウの実力を認めざるを得ないと感じていた。
自分なりに鍛錬は積んできた。
だからこそ、目の前の戦いが普通じゃないことくらいはわかる。
自分の弱さと、相手の強さを素直に受け止められる。
ガイツはその点だけは真っ直ぐだった。
ベルクハルトを模擬戦とはいえ打ち倒した事実は、教師にも生徒にも大きな衝撃を与えていた。
神殿騎士団の頂点に勝つなど、本来起きるはずのない出来事。
だが、それが現実となった。
信じようとしない生徒もいたが、半分は、すでにシュウの実力を疑いようのないものとして受け止めはじめていた。
◇◇◇
「――シュウくん、お疲れ様!」
「カナン……お前、父親が負けたってのに、あっけらかんとしすぎじゃないか?」
「それ、ガイツくんにも言われたよー」
模擬戦の授業が終わり、カナンと話す。
「お父さんとは仲はいいけど、それ以上でも以下でもないよ。家にいた頃なんて、ボクに構ってばっかで、ほんっとウザかったんだから」
「カナンでもウザいなんて言葉使うんだな……」
「だって事実なんだもん。だから負けても全然平気!」
「なら良かったけど……お前、セイラ……様、と模擬戦してたじゃないか」
「うんっ! 幸せすぎて全然覚えてないけどね!」
ベルクハルトとセイラ、どちらかと戦う形になり、俺はベルクハルトとの戦いのあと休みに回され、代わりにカナンとセイラの模擬戦を見ていた。
だが、まともな戦いにはならなかった。
憧れが強すぎて、カナンはセイラの一挙一動にうっとりするばかり。
さすがのセイラも途中でため息をつき、喝を入れていたが、カナンは何をされても嬉しそうだった。
……あれで神殿騎士になれるのか、本気で心配だ。
「って、背中!?」
「ああ、お前の父親にやられた傷だ」
修道服の背中には、ベルクハルトの剣が残した大きな裂け目があった。
「でも……シュウくん、傷がないよ?」
「ああ、回復魔法で治したからな。ただ、このままの服だと困る」
「ならボクが直してあげる!」
「裁縫できるのか?」
「うんっ、夜になっちゃうけどいい?」
「もちろんだ。頼む……あ、そうだ。俺、夜出かけるけど平気か?」
「えっ、出かけるの? 門限あるけど……ちゃんと戻ってきてね?」
「げ、門限か……まあ、なんとかなるだろ」
「心配だけど……シュウくんなら大丈夫、かな」
そうして俺は、予定していた通り、セイラに会いに行くことにした。
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