聖女様の祈りは今日も高火力

ミーネ

第01話 「聖女降臨」

 西暦2050年、東京・渋谷。

 かつて世界で最も有名な交差点だった場所は今や地獄の様相を呈していた。アスファルトは抉れ、黒煙が空を覆い、耳をつんざくのは銃声と悲鳴、そして異形の咆哮。


「クソッ、弾が効かねぇ! 第3小隊、後退しろ!」


 装甲車の陰で自衛官が怒号を張り上げる。だがその声は、翼を持つガーゴイルの甲高い叫びにかき消された。

 小銃から放たれる5.56mm弾は硬い皮膚に弾かれ、虚しく火花を散らすだけ。自衛隊が経験する初めての国内市街戦は、異形の存在を前にただ蹂躙されるだけの絶望的な舞台と化していた。


 空間に裂けた亀裂――後に「モンスターゲート」と称されるそこから、異形の群れが際限なく溢れ出してくる。

 都市機能は完全に麻痺し、戦後百年以上続いた日本の平和は、あまりにも脆く崩れ去った。

 無数の人々が我先にと逃げ惑うには、渋谷の道はあまりに狭すぎた。


 人の波が壁となり、自衛隊の本格的な展開もままならない。混乱の極みにあった渋谷で、母親とはぐれてしまったのだろう、一人の少女が瓦礫に足を取られて動けなくなっていた。

 一体のオークがその無防備な背中に気づき、醜悪な笑みを浮かべて棍棒を振り上げる。誰もが息を呑み、少女の死を確信した、その瞬間。


 ――閃光。


 轟音と共に光の槍がオークの巨体を貫き、塵も残さず消滅させた。


 何が起きたのか誰も理解できなかった。

 ただ、そこに一人の少女が立っていた。


 地面に届きそうなほどの流れるような白銀の髪。世界樹の紋章が刺繍された穢れなき純白のローブ。

 その姿はこの惨状にはあまりにも不釣り合いなほど神々しく、そして非現実的だった。


「……面倒で、嫌になるわね」


 白銀の女性――アイリーンは冷徹なスカイブルーの瞳で戦場を見渡した。

 彼女の視界には物理的な風景だけではなく無数の情報がオーバーレイ表示されている。敵の位置、数、行動パターン、そして味方となりうる存在。


『盤面把握』。

 彼女の最も得意とするプレイヤースキルだった。


 彼女の視界にはチェス盤のようにグリッド分割された渋谷の街が広がる。無数の赤い駒(モンスター)の動き、その中に点在する青い駒(プレイヤー候補)の潜在能力値(ポテンシャル)。地下鉄入り口で避難誘導を行うスーツの男は精神干渉と空間制御に高い適性を持つ『幻魔族』。ファッションビルの屋上で孤立している少女は驚異的な身体能力を秘めた『竜人族』。


 最適解は見えている。


「そこの眼鏡。あなたコウメイね」


 アイリーンは地下鉄の入り口付近でパニックに陥る人々を必死に誘導しようとしているスーツ姿の男に声をかけた。

 男は自身のプレイヤーネームを呼ばれたことに驚き、眼鏡の奥の瞳を見開いた。

 男の目の前に立つのはゲームの中で幾度となくその背中を追いかけたギルドマスターの姿。だがここは仮想世界ではない。崩壊しつつある渋谷――紛れもない現実だ。その事実が彼の冷静な思考を麻痺させていた。


「コウメイ、あなたはその程度の混乱で思考を止める男だったかしら?顔を上げなさい。目の前の惨状はあなたが分析し攻略すべき『盤面』よ」


 アイリーンの言葉は彼の本質を正確に射抜いていた。

 そうだ。私は聖愛教会のサブギルドマスターで戦略家のコウメイ。目の前の現実は分析し最適解を導き出すべき課題。恐怖はノイズだ。排除しろ。

 恐怖を理性でねじ伏せた瞬間、蓮の身体が淡い光に包まれ幻魔族の軍師としてのアバターへと変貌を遂げる。


「……礼を言います、聖女様。この盤面を攻略すればいいのですよね?」


 覚醒したコウメイは眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ主君に問う。


「私は空を制圧し、亀裂を破壊する。コウメイ、あなたは自衛隊を掌握し、地上戦線を構築。ヒナの突破力を最大限に活かせるよう盤面をコントロールしなさい」


「ヒナのこの場にいるのですね。承知いたしました。聖女様の望む盤面に整えてみせましょう」


 次にアイリーンの視線はモンスターに囲まれたファッションビルの入り口へと向けられた。そこには恐怖に震えながらも他の人を守るように立つ若い女性の姿があった。

 アイリーンは陽菜までの最短ルートに群がる魔物を光の魔法で薙ぎ払いながら一直線に駆け抜け女性に声をかける。


「そこのポニーテールちゃん。あなたはヒナね」


 アイリーンの声に少女はびくりと肩を震わせる。


「ひっ……!」


 目の前に現れた神々しい女性の姿に陽菜はただ圧倒される。


「ヒナ、怖がるのは終わりよ。あなたの役目は怯えることじゃない。早く立ち上がりなさい」


「む、無理だよ! 私、なんにも……!」


「いいえ、できるわ。あなたの内に眠る竜人族の力、その力を自覚しなさい。……面倒な問答は抜き。覚悟を決めて全力を出しなさい」


 アイリーンがそう言って陽菜の額に指を触れた瞬間、彼女の身体が燃えるような赤い光に包まれた。

 髪は鮮やかな赤色に染まり瞳は琥珀色に輝く。


「こ、これが……私の、力……?」


 自分の身体に起きた変化に戸惑いながらもヒナは恐怖が薄れ、内側から力が湧き上がってくるのを感じていた。


「行きなさい、ヒナ。あなたの力で地上を蹂躙し、全てを守るのよ」


 アイリーンは覚醒した彼女に改めて命令する。


「……うん、わかった!」


 先程までの弱気な声が嘘のように彼女は力強く頷くと、振り返り様に一番近くにいたオークの顎を蹴り上げた。

 竜人の力が宿った一撃はオークの巨体を紙屑のように宙に舞わせ後方のモンスターを巻き込んで派手に吹き飛ばす。


 アイリーンは飛翔スキルを発動し重力を振り切るように静かに宙へと舞い上がる。

 その背後で、地上の戦いが新たな局面を迎えていた。


「坂上一佐、聞こえますか」


 突如、自衛隊の現場指揮官である坂上の耳に謎の声が届く。


「誰だ!」


「私は聖愛教会のコウメイ。これより聖愛教会が介入します。自衛隊にはその支援をお願いしたい」


 声の主は一方的に続ける。その言葉は混乱の極みにあった坂上の思考を強制的にクリアにしていくような、異様な説得力を持っていた。


「第2小隊に方位3-5-2への集中砲火を。第1小隊は赤い女性――ヒナの進路確保支援に。自衛隊には敵の気を引き付けてもらい、こちらが敵を順次叩きます」


 坂上は一瞬ためらった。だが、現状を打開する術がないのも事実。何よりその声が示す戦術は絶望的なこの戦況において唯一の光明に思えた。


「……賭けるしかないか! 全隊に告ぐ! 第2小隊、10秒後、方位3-5-2へ集中砲火! 第1小隊は赤い少女の進路を確保せよ!」


 坂上の決断と怒号が、機能不全に陥っていた自衛隊の戦線を再び一つに束ねていく。


「うおおおおおっ!」


 ヒナは考えるより先に体が動いていた。コウメイが作る道を、自衛隊の援護射撃が切り開く一瞬の隙を彼女は決して逃さない。赤い旋風と化した彼女は敵を次々に敵を光の粒子へと変えていった。


 空からその光景を見下ろしていたアイリーンは、満足げに口元を緩めた。


「見事よ、二人とも」


 彼女が静かに右手を掲げると、空が光で満たされた。


「【裁きの光】」


 天から降り注いだ無数の光の矢が戸惑うガーゴイルたちを正確に貫いていく。


 断末魔の叫びと共に空を覆っていたガーゴイルの群れが次々と地に墜ちていく。

 光の粒子となりながら次々と空から降ってくる魔物たち。それを地上の人々は恐怖よりも先に畏敬の念で見上げていた。


 その想像を絶するような光景に「空が……晴れた……」と誰かが呟く。


 空中の脅威が消え去ったことでコウメイが再構築した自衛隊の防衛線は一気に安定を取り戻した。ヒナの赤い旋風は残った地上のモンスターを蹂躙しその数を確実に減らしていく。


 戦況は、ほぼ決した。

 そして今彼女のスカイブルーの瞳はただ一点、空に開いた禍々しい亀裂だけを捉えている。


「――これ以上、私の世界を乱さないで」


 静かな、しかし絶対的な拒絶の言葉と共に彼女の瞳が神々しい金色へと変わる。

 両腕を広げると渋谷の空全ての魔力が彼女一人に収束していくかのような凄まじいプレッシャーが戦場を支配した。


「【破魔の矢】」


 放たれた光の矢は禍々しい亀裂に触れた瞬間、空間そのものが悲鳴を上げたかのように歪み、亀裂はガラスのように砕け散った。


 拠り所を失ったモンスターたちが、断末魔を上げる暇さえ与えられずに光の粒子となって霧散していく。

 後に残されたのは破壊された街と、完全な静寂。そしてまるで何もなかったかのようにゆっくりと地上に舞い降りる一人の聖女の姿だけだった。

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