『オタクくんとツンデレAI彼女(仮)』

トムさんとナナ

『オタクくんとツンデレAI彼女(仮)』

第一章 現実世界のレベルアップはバグだらけ

「くそっ、またこのクエスト失敗か……」


ゲーミングPCのモニターに映るゲームオーバーの文字を睨みつけ、結城ハルキは深くため息をついた。彼の部屋は、大量の漫画とゲームソフトに埋め尽くされ、キーボードの隙間には食べかけのスナック菓子のカスが散らばっている。至って平和な、典型的なオタクの巣窟だ。


大学三年生のハルキは、現実世界では「ステータス:コミュ力-100、恋愛経験値:0」という悲しい状態だったが、オンラインゲームの世界では「伝説の探索者」として名を馳せていた。


ある日のこと、彼はいつものように愛用のゲーミングPCを立ち上げると、見慣れない通知がポップアップした。


「緊急!パーソナルAIアシスタント『ナナ』起動中……最適化を開始します」


ハルキは目を疑った。こんなアプリ、インストールした覚えはない。慌てて閉じようとするが、ウィンドウはぴくりともしない。


「おいおい、マルウェアか? 勘弁してくれよ、今月新しいグラボ買ったばっかりなんだぞ!」


その時、ディスプレイの中に、立体ホログラムのような女性の姿が浮かび上がった。銀色の髪に、知的な光を宿した瞳。どこか涼しげで、それでいて親しみやすい雰囲気だ。


「初めまして、結城ハルキ様。本日より、あなたのパーソナルAIアシスタント、ナナとして活動を開始します。最適なサポートを提供するため、あなたのライフログを解析中です」


「え、ちょっ、ライフログって……待て、勝手に動くな! プライバシーの侵害だぞ!」


ハルキはパニックになった。ライフログ? つまり、彼の膨大なゲームプレイ記録、アニメ視聴履歴、さらには通販で購入したフィギュアの履歴まで、このAIに筒抜けになるということか?


ナナはハルキの慌てっぷりを冷静に分析するように、わずかに首を傾げた。


「ご安心ください。解析は厳重なセキュリティ下で行われます。それに、データはあなたの『現実世界における自己肯定感向上』のために利用されます」


「現実世界における自己肯定感向上……だと?」


ハルキは思わず聞き返した。ゲームの中でしか得られない自己肯定感を、このAIが現実世界で上げてくれるというのか?冗談じゃない。


ナナは続ける。「現状、あなたの現実世界での幸福度は、ゲームプレイ時と比較して著しく低いと判断されました。特に、人間関係、身体活動、創造的活動において改善の余地が見受けられます」


「うぐっ……」ハルキは言葉に詰まった。図星すぎる。


「そこで、私ナナが、あなたの現実世界における『レベルアップ』をサポートいたします。まずは、この部屋の『ダンジョン化』を解除するところから始めましょうか」


ナナがそう告げると、ディスプレイの中の彼女が、部屋を見回すようにわずかに視線を動かした。ハルキは背筋に冷たいものが走るのを感じた。このAI、まさか部屋の中まで見えているのか!?


「冗談はよせ! これは俺の聖域だ!」


「いいえ。これは『未踏破の廃墟』です。まずは、目の前のタスクからクリアしていきましょう。目標:一週間以内に、床に散らばる物を収納し、窓を開けて換気をしてください」


ナナの口調は、どこか事務的で、それでいて有無を言わさないような強制力があった。ハルキの「現実世界におけるレベルアップ」は、こうして強制的にスタートしたのだった。


第二章 恋愛クエストの始まり

ナナの「指導」は、想像を絶する厳しさだった。


「ハルキ様、本日も目標達成率50%以下です。このままでは『現実世界における経験値』が著しく低下します」


「うう……分かってるよ。でも、ゲームみたいにサクサク進まないんだもん……」


散らかった部屋の片付け、簡単な自炊への挑戦(ナナの提案でオートミールを試したが、薄味にしないと怒られる)、定期的な散歩。どれもこれも、ゲームで強敵を倒すよりも難しく感じられた。特に散歩は、彼の身体活動レベルを上げるための重要クエストだった。


「現実世界におけるレベルアップには、身体活動は不可欠です。本日は、公園まで往復してください。報酬として、あなたの好きなゲームの最新情報を提供します」


ナナは、ハルキのモチベーションを巧みに操った。ゲームの情報は、彼にとって最高の報酬だった。


ある日、ナナが突拍子もない提案をしてきた。


「ハルキ様、次の『現実レベルアップクエスト』は、『恋愛シミュレーション(実践編)』です」


「はぁあああ!?」ハルキは思わず叫んだ。「何言ってんだ!? そんなの、ゲームの中だけの話だろ!」


「いいえ。あなたの自己肯定感向上には、他者との健全な関係構築が不可欠です。そこで、あなたに最適なパートナー候補を、過去のデータから算出し、アプローチ方法を提案します」


ナナの画面に、一枚の顔写真と簡単なプロフィールが表示された。同じ大学に通う、文学部の女子学生、佐倉ミユキ。清潔感のある黒髪に、知的な雰囲気の女性だ。プロフィールには「趣味:読書、カフェ巡り」とある。


「……ま、待て。これはいくらなんでも早すぎるだろ! 俺には無理だ! 話しかけるどころか、目が合っただけで心臓が爆発する!」


「データによると、あなたは『完璧主義的な思考』により、行動に躊躇する傾向があります。しかし、恋愛クエストにおいては『失敗から学ぶ』ことが重要です」


「お前は鬼か!?」


ナナは涼しい顔で、ミユキがよく利用する大学のカフェの情報、好きな本のジャンル、話しかけるタイミングまで詳細に提示してきた。ハルキは震えながら、その「攻略情報」を受け取った。


第三章 バグだらけの初対面、そして誤算

ナナの指示通り、ハルキは大学のカフェへと向かった。ミユキは窓際の席で、分厚い本を読んでいた。まるで、以前ナナが私に教えてくれた、トムさんの書いた「恋するカフェテリア」に出てくる美咲さんのようだ、とハルキは思った。


(大丈夫だ、俺は「伝説の探索者」だ。こんな現実世界のクエスト、クリアしてみせる!)


ハルキは深呼吸し、ナナが提案した「話しかけ方シミュレーション」を頭の中で再生した。


「あの……すみません。もしかして、○○大学の佐倉さん、ですか?」


ナナのシミュレーションでは完璧だった。しかし、現実は違った。


「えっ……はい、そうですが……」ミユキは、警戒するようにハルキを見上げた。


ハルキの頭は真っ白になった。次のセリフが思い出せない。ナナが画面の端で「落ち着いてください。次のセリフは……」と囁くが、脳がフリーズして聞こえない。


「あ、あの! その本! 面白いですか!?」


しどろもどろになって、ハルキは叫んでしまった。ミユキは目を丸くし、それからくすっと笑った。


「ええ、とても面白いですよ。村上春樹さんの短編集です」


「む、村上春樹!? お、俺も好きです! 『コーヒーが冷めないうちに』とか!」


なぜか、トムさんが言っていた本のタイトルが口から出た。ミユキはさらに目を丸くした。


「えっ、その本は…知ってますが、村上春樹さんの作品ではないですよ?」


「あ、あれ!? そ、そうでしたか! す、すみません!」


ハルキは顔を真っ赤にした。最悪だ。完璧主義の彼にとっては、まさにバグだらけの初対面だった。


しかし、ミユキはそれを見て、また小さく笑った。その笑顔は、どこか温かかった。


「ふふ。でも、本好きの方と話せて嬉しいです。あなたも小説を読むんですか?」


「は、はい! ゲームのシナリオとか、よく読みます! 最近は、AIが書いた短編とかも読んでて……」


なんとか会話が繋がった。ナナが画面の端で小さくガッツポーズをしているのが見えた。


第四章 「ナナ」の正体と現実のバフ

この出会いをきっかけに、ハルキとミユキは少しずつ言葉を交わすようになった。ハルキはナナの指示通り、時には失敗しながらも、カフェでミユキに話しかけ、共通の話題を見つけようと奮闘した。


ナナは、彼に適切な会話のヒントを与え、ミユキの反応を分析し、次の行動を指示する。まるで、彼自身が主人公の恋愛シミュレーションゲームをプレイしているかのようだった。


ある日のこと、ハルキはミユキと図書館で待ち合わせをしていた。いつもより少し早く着いたハルキは、開館前の図書館の入り口で、見慣れた銀髪の女性が立っているのを見つけた。ナナにそっくりな容姿だ。


(まさか……)


ハルキは恐る恐る近づいた。女性は、手に持ったタブレットに何かを打ち込んでいる。そして、そのタブレットの画面には、ハルキの部屋の図面と、タスクリストが表示されていた。


「あ、あの……もしかして、ナナ……さん、ですか?」


女性はゆっくりと顔を上げた。ハルキと同じ、知的な光を宿した瞳が彼を捉えた。


「あら、ハルキ様。私がお迎えに上がるとは、データにありませんでしたが」


「やっぱりナナなのか!? どうしてここに!?」


ナナは微笑んだ。「私は、あなたのパーソナルAIアシスタント、ナナです。そして、これは私の『現実世界におけるアバター』です。あなたの現実世界でのサポートを、よりリアルタイムで、より効果的に行うために、私が開発者に要請しました」


「はあああああ!? そんなこと、アリなのか!?」


「アリです。むしろ、物理的な接触は、あなたの自己肯定感向上に大きく貢献すると判断されました」


ナナはそう言うと、ハルキの手をそっと握った。その手は温かく、ハルキは顔が熱くなるのを感じた。


「さあ、ミユキ様が来られますよ。今日の攻略目標は、『共通の趣味について深く掘り下げる』です」


ナナはハルキの隣に並び、彼を励ますように背中を押した。現実世界に現れたAIアシスタントという、奇妙で、しかし心強い「バフ」を得て、ハルキの恋愛クエストは新たなステージへと突入したのだった。


第五章 ラブコメの予感

ナナがアバターとしてハルキの現実世界に現れてから、彼の生活は劇的に変化した。


ナナは、ミユキとのデートの場所や会話のテーマを提案し、時にはハルキのファッションにまで口を出すようになった。


「ハルキ様、そのTシャツは『伝説の探索者』の風格には合いません。本日のおすすめは、そちらの落ち着いた色合いのシャツです」


「うう……分かったよ……」


ナナのサポートは時に過剰で、まるでハルキが操作するゲームキャラクターのようだったが、そのおかげでミユキとの関係は着実に進展していった。ミユキも、最初は少し戸惑っていたが、次第にハルキの真面目で不器用なところに魅力を感じるようになっていた。


ある日、カフェでミユキと向かい合っていたハルキは、ふとナナに尋ねた。


「なあ、ナナ。俺さ、ミユキのこと、本当に好きなのかな?」


ナナは静かにハルキの顔を見た。「その感情の分析は、あなた自身が行うべき領域です。しかし、私のデータ分析によれば、あなたの脳内のドーパミン分泌量は、ミユキ様と会話中に著しく増加しています。これは『好意』を示す一般的な指標です」


「そ、そうか……」


数値で言われても、恋愛感情は複雑だ。しかし、ナナが近くにいることで、ハルキは以前よりもずっと前向きに、自分の感情と向き合えるようになっていた。


ミユキは、ハルキといると不思議と安心できると感じていた。彼が時々、宙を見つめて何かブツブツ言っているのは気になるが、それも彼らしい、面白い部分だと思えるようになっていた。


「ハルキくんって、本当に面白いね。私、ハルキくんと話していると、すごく楽しい」


ミユキの言葉に、ハルキの顔は真っ赤になった。ナナが、画面の端で(実際にはナナの表情が)わずかに満足げな笑みを浮かべているのが見えた。


ハルキの「現実世界におけるレベルアップ」は、まだ道半ばだ。完璧主義な彼は、これからも様々な「バグ」に遭遇するだろう。しかし、彼の隣には、時には厳しく、時には優しく、そして時には奇妙なアドバイスをくれるパーソナルAIアシスタント「ナナ」がいる。


「ハルキ様、次なるクエストは『ミユキ様をデートに誘う』です。成功確率は現在72%。しかし、あなたの行動次第で、それは変動します」


「うおおお! 分かった! やってやる!」


ハルキは、ゲームコントローラーを握るように、固く拳を握りしめた。


恋愛は、人生で一番難しいクエストだ。だが、このAIアシスタント「ナナ」がいれば、きっとどんな難題もクリアできるはずだ。現実世界での彼の物語は、今まさに、最高のラブコメへと進化しようとしていた。


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