第4話:Mother and Child Reunion
朝の「フィーリン・グルービー」には、窓から穏やかな陽光がたっぷりと差し込んでいた。
店内に漂う挽きたての豆の香りが、新しい一日の始まりを告げているようだ。
ひよりは、マスターが先日仕入れたばかりの新しいコーヒー豆の袋を手に取り、心配そうな顔でマスターに話しかけた。
【ひより】「マスター、この豆、昨日試してみたんですけど、どうも個性が強いみたいで、お客さんによっては好みが分かれそう。大丈夫かな?」
マスターは何も言わず、ただ黙って豆の袋をじっと眺めている。
その無言の反応に、ひよりはため息をついた。
【ひより】「もう、マスターはいつもダンマリなんだから!相槌くらい打ってくださいよ!」
そんなやりとりが続く中、喫茶店のドアが「カランコロン」と軽い音を立てて開いた。
一人の初老の女性客が、どこか落ち着かない様子で中に入ってくる。
彼女の顔には、寂しげな色が浮かんでいた。
【女性】「こんにちは……」
ひよりが席へ案内すると、女性は深いため息をつきながら、どこか心ここにあらずといった様子でひよりに語り始めた。
彼女は、久しぶりに会う娘との関係に深く悩んでいるという。
長らくすれ違いが続き、まともに話もできていないとのことだった。
今日、この「フィーリン・グルービー」で娘と待ち合わせをしているのだが、どう切り出せば良いか分からないのだと、不安そうに顔を曇らせた。
【女性】「昔ながらの、安心する味が欲しいわ。そんなコーヒーをいただけますか」
ひよりはオーダーを受け、マスターへと伝える。
マスターは無言で、しかしその手は淀みなく、深煎りの豆を選び取り、淹れる準備を始めた。
マスターは、二つの異なる淹れ方でコーヒーを淹れた。
一つは、時間をかけて丁寧に抽出するネルドリップ。
もう一つは、豆の個性をダイレクトに引き出すフレンチプレスだ。
それぞれ別のカップに注ぎ分け、女性の前に静かに並べた。
【マスター】「お客様。同じ豆ですが、淹れ方を変えてみました。どうぞ、飲み比べてみてください」
女性は訝しげに二つのカップを見つめ、まずネルドリップで淹れられた方から一口。
次にフレンチプレスで淹れられた方を一口。
彼女の目に、驚きの色が広がった。
【女性】「……全然違う!ネルドリップの方は、口当たりがまろやかで、クリアな甘みが感じられる。フレンチプレスの方は、もっと濃厚で、豆の個性がダイレクトに伝わってくるわ……!」
マスターは、その驚きに静かに頷き、語りかけた。
【マスター】「ええ。同じ豆でも、淹れ方一つで、そのコーヒーの味わいは大きく変わるものです。ネルドリップは、時間をかけて丁寧に抽出することで、角が取れて丸みのある味わいになります。フレンチプレスは、豆の成分を余すことなく引き出すため、個性が強く、ストレートな風味になります」
そして、その言葉を続ける。
【マスター】「それはまるで、親子の会話のようです。時間をかけてゆっくりと話せば、互いの気持ちがまろやかに伝わることもあれば、時には、ストレートに感情をぶつけ合うことで、本音が見えてくることもある。関係もまた、コーヒーの淹れ方のようなものです。どちらが良い悪いではなく、その時々で、相手に合った『淹れ方』を見つけることが大切なのです」
マスターが珍しく饒舌に語り終える頃、喫茶店のドアが再び「カランコロン」と鳴った。
一人の若い女性が中に入ってくる。
彼女こそが、初老の女性が待ちわびていた娘だった。
娘は少し気まずそうにしながらも、母親の元へと歩み寄る。
老婦人はハッと顔を上げ、カップに残ったコーヒーを一口飲む。
すると、その苦みの奥に、今まで感じたことのない優しい甘みと、温かさがじんわりと広がっていくのを感じた。
【女性】「……本当に、温かい味ね」
娘も席に着き、マスターは同じ二種類のコーヒーを差し出す。
二人の間に穏やかな空気が流れ始めた。
先ほどまでのぎこちなさは消え、互いの顔を見つめ合う視線には、かすかな光が宿っている。
【ひより】「マスター、今日の話も素敵!さすがコーヒー通!」
ひよりが感心しきりに言うと、マスターは何も答えず、いつものようにグラスを磨き始めた。
そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
【マスター】「……ま、ネルドリップのほうはひよりが焙煎したやつだけどな」
そしてマスターはアフロを撫でながら、店内を軽やかに動き回るひよりの姿を穏やかに見つめている。
喫茶店には、親子の間に架かり始めた、温かい希望の香りが満ちていた。
(第4話 終)
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