第2話:Graceland


ランチタイムが終わり、食器の片付けも一段落し、わずかに落ち着きを取り戻した「フィーリン・グルービー」の店内。

温かい珈琲の香りが、残された喧騒の名残を優しく包み込んでいる。


【さおり】「マスター、今日のドロワット、いつもよりスパイシーね。何かあった?」


さおりが、カウンターに置かれた小さな皿の残りを指しながら尋ねた。

マスターは顔を上げ、さおりの視線にニヤリと応える。


【マスター】「ああ。アフリカの風が吹いた」


その言葉に、ひよりがすかさず呆れた声を上げた。


【ひより】「もう、またマスターのダジャレが始まった!アフリカの風って、ただスパイスを入れ過ぎただけでしょ!」


マスターは何も言わず、無言でカップを磨き続ける。


そんな彼らのやりとりの最中、喫茶店のドアが「カランコロン」と軽い音を立てて開いた。


見慣れない外国人の男性が、自信に満ちた足取りで中に入ってくる。

彼はあたりを見回すと、流暢な英語で話しかけてきた。


【男性】「ハロー。この店が、日本のコーヒー文化を味わえる場所だと聞いてきました。本当ですか?」


【ひより】「いらっしゃいませ!はい、そうですよ!」


ひよりが笑顔で応じ、席へ案内する。

男性はテーブルに着くと、どこか上から目線で日本のコーヒーについて語り始めた。


【男性】「いやあ、日本のコーヒーも悪くないんだが、どうも複雑すぎる。シンプルさが足りない。やっぱり本場はアメリカだ。特にミシシッピーのホットコーヒーは格別。あれこそコーヒーの真髄だ」


男性は、日本の多様なコーヒー文化を『複雑すぎる』と評し、困惑したような顔を見せる。


ひよりは少し困ったようにマスターを見る。

マスターは相変わらず無言で、しかしその手はゆっくりと、男性のために一杯のホットコーヒーを淹れ始めていた。


マスターが静かにカウンター越しにホットコーヒーを差し出すと、男性は訝しげにそれを受け取った。

そして、一口飲む。

彼の表情が、ゆっくりと変わっていく。


【マスター】「お客様。コーヒーには、その土地ならではの個性があります。エチオピアの豆が持つ野性味もあれば、ブラジルの豆の安定したバランスもあります。それはまるで、世界中の人々がそれぞれ異なる文化を持つように。それぞれの個性を尊重し、無理に混ぜる必要はありません」


マスターの言葉は、店内に静かに響く。


【マスター】「ですが、異なる風味を楽しむ心があれば、コーヒーの世界はもっと広がる。人生もまた、様々な文化や考え方が混ざり合うことで、より豊かな味わいになるものです」


男性は深く頷いた。


【男性】「……なるほど。これは、私の国のコーヒーとは違うが、確かに新しい発見だ」


彼は、ゆっくりと味わい、カップを空にした。

その顔には、先ほどまでの傲慢さは消え、どこか晴れやかな表情が浮かんでいた。


【男性】「マスター、素晴らしい気づきをありがとう」


男性が去った後、ひよりは珍しくマスターの話に感心したようだ。


【ひより】「マスター、今日は珍しく真面目に良いこと言ってたね!」


ひよりがそう褒めると、マスターは何も答えず、男性にいれたコーヒー豆の袋を手に取り、そっと棚に戻す。

そして、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。


【マスター】「ああ、このミシシッピーのホットコーヒーは最高さ」


ひよりが首を傾げたが、マスターはアフロを撫でながら、また無言でグラスを磨き始めた。

喫茶店には、多様なコーヒーの香りと、穏やかな午後の時間が流れている。


(第2話 終)

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