第3話



「……祖鑑そがんさま。本当に助けてやるんですか?」


 門から出て行く二人の男を見て、祖鑑は煙管きせるを吹かせていた。

「別にの武将が一人くらいこの世から消えたって私たちには全く関係ないでしょお?」

 女がその身体にしだれかかって来る。

「まあな。――仕事のついでだ。それに建業けんぎょうの連中に恩を売っておくのは悪くない」

「あの甘寧かんねいって男。律儀に祖鑑さまに恩を返すように全く見えなかったけど」

「よく分かったな」

 女の指摘に、祖鑑はおかしそうに笑った。

「正直な所甘寧も建業の連中の事情も、俺は全く興味がねえ」


 じゃあなんで? と両脇の女が首を傾げる。


「単なる興味だよ。

 あの陸遜りくそんって男が、こんな馬鹿な事態に巻き込まれるように見えなかったんでな」

「じゃあ、どんな風に見えてたんですか?」

 国の行く末などに全く関わらない、女の疑問は素朴だ。


 祖鑑そがんは初めて会った時に見た、陸遜の真っ直ぐとした琥珀の瞳を思い出していた。


 陸家の当主というその言葉だけで自分に対してどんな態度を取るのか、予想は付く。

 普通はそうだが、陸遜は違った。


 これは単なる彼の勘だが、陸遜には人の真価を見極める才があった。

 そして状況を把握し、その状況に応じては陸家当主などという肩書きが、何の意味も持たなくなることもあるということを理解出来る頭もある。


 見た目は如何にも良家の御曹司という感じはあったが、実際の中身はもっと機転が利く。

 若いこともあったが、あれは大物になるかもしれないというそんな予感が彼にはあった。


 甘寧かんねいとはお互いに望んだわけではないが、古い付き合いだ。

 悪縁で、どちらもお互いのことをよく知っている。


 甘寧は普段ああいう年頃の子供を自分に近づけない。

 一度、それで盛大な損害を被ったからだ。


 再会した時も淩統りょうとうの方はともかくとして、甘寧の側に十代の少年がいることに祖鑑はまず、引っかかった。

 陸家当主と聞いて、二重に驚いた。

 ついに甘寧もそんな人間に媚びを売り、取り入って生きるようになったかと嘲笑ってやろうと思ったが、違った。


 陸遜が甘寧を見上げる姿勢は誠実で、彼が賊上りの甘寧を信頼しているのだと分かった。


 甘寧が孫呉においてあげている武勲一つを見ても、彼を信頼する理由になると陸遜は真っ直ぐ祖鑑に向かって言ってきた。


『彼は貴方とは違う』と。


 甘寧が陸遜に惹かれているのは一目見れば分かった。

 その人柄や才に惚れ込んでいるのは。


 あの陸伯言りくはくげんという人間は主を変えながら生きて来た、或いは誰の配下にもならず生きて来た甘寧の、この地に居つく理由そのものになるかもしれない。

 そんな風に思ったから。



「……やっぱ縁起の悪い剣を、やっちまったかな」



 祖鑑は以前陸遜りくそんが、しょく趙雲ちょううんにそれまで使っていた剣を戦場で叩き折られたあと、武器を探していた時に出会ったのだ。

 永訣えいけつの剣――陸遜にやった双刃の剣は、奇しくもそんな物騒な異名を持つ剣だった。


 呟いた祖鑑は、それでも楽し気だった。


 所詮人は、なるようにしかならない。

 どんな豪傑でも、この時代不意に殺されて死んだりもする。

 生きているから徳があるとは限らない。

 それは自分自身が証明だ。

 

 陸遜は孫権そんけんより、息子である孫登そんとうの教育係を任されるほど信任を受けている。

 赤壁せきへきでは亡き周公瑾しゅうこうきんが側で使ったと、噂でも聞いた。

 

 真紅の双剣。


 女達にそんな風に囁かれていた彼は、孫呉の先代であった孫伯符そんはくふとその右腕だった周公瑾が死んだ後、刷新された孫呉において常に着ていた纏いを真紅から白へと変えて、戦う決意を新たにしていたようだった。

 その矢先の出来事ということになる。


 祖鑑そがんはかつて何気なく見かけた魏の軍師を思い出していた。


 陣内では異質にすら思える簡素な姿で、まるで熱も無い様子でふらりと陣の中を歩いていた。

 精強を誇る涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいを敗走させて、それまで難攻不落とされていた隴関ろうかんの砦を攻め落とし、砦と城を焼く炎の火が、涼州の空を赤く染め上げたと聞き及んでいたが、とてもそんな惨劇を作り出した人間の雰囲気ではなかった。


 あれが曹丕そうひの軍師だったと今聞けば、なるほど涼州征伐など司馬懿しばいにとって一つの足掛かりに過ぎなかったのだろう。

 熱の無いあの様子の理由がそれだ。


 もし……甘寧かんねいの見通し通り、あの紫闇しあんの目の男が自分に敗戦の味を舐めさせた陸遜りくそんを憎み、執拗に狙ったとして、陸遜は同じように曹魏の大軍相手に赤壁で大勝利を収めた周公瑾しゅうこうきんが見い出した才。


 類い稀な二つの才が出会えば、雌雄を決して必ず殺し合う。

 男とはそういうものだ。

 これで陸遜というあの人間の命は終わるのか。

 静かにそう思えば拍子抜けもいい所なのに、何か胸に引っかかる。

 逆に昂揚すら覚えるのは何故だろう。


 あの琥珀の輝きがここで終わるはずがないなどと、知らぬ間に自分は賭けていたのだろうかと、おかしくなって来る。


 導かれるこの国の行く末を見届けたいなど、思う自分ではないはずなのにだ。


 この国の雲行きが怪しくなってきたら、この国から去るまでだ。

 思い入れなどは何もない。

 孫呉がこれから良くなって行こうと悪くなって行こうと、それは彼には大した問題ではなかった。


 ただ、なにか興味を引かれるのだ。

 ああいう人間がを率いて行くのなら。



(いや、違うな)



 祖鑑そがんは消息不明だという陸伯言りくはくげんの行方に、漠然と思い巡らせる。


 普通残虐な敵の手に落ちれば、無惨に殺されて仕舞いだ。

 甘寧かんねいのあの焦り様では、そうなっている可能性の方がむしろ高いのだろう。



「あの坊やがどんな敵を、どんな顔で殺して、どこまで出世するのか。

 ちょっとばかりそれに興味が湧いただけだ」



 死んだらここまで。

 だがこれで生きて帰ったら、またそれは面白い。

 面白い生き様を見せる人間を、見届けてみたいと思うだけだ。



 果たして今、あの瞳にはどこの地の、何者の姿が映っているのか。


 彼は甘い毒気を帯びる、裏街の淫靡いんびな明かりを見つめながら、思いを馳せた。



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