第2話



「なーんか前にも見たな……この景色……」


 建業けんぎょうの、深夜の城下町。


 城下町と言っても、ここは城のお膝元ではない。

 少し離れた界隈の街だ。

 徐々に白み出した空の遠くに建業の城が見える。

 空の向こうは静かだが、こちらは深夜だというのに煌々と明かりがついている。


 一目で堅気でないと分かる人々が、客も、商売人も、ここに集う。


 その界隈で一際大きい屋敷の前に立ち、乗って来た馬から降りた途端淩統りょうとうは半眼になってそれを見上げた。

 その脇を抜けるようにして、甘寧かんねいがさっさと歩き出す。

 

 門の近くに二人、いかにも人相が悪い四人ほどがたむろしていたが、近づいて来た甘寧かんねいに気付き振り返り、一人が怪訝な顔をして何か口を出して来ようとしたのを、他の二人がハッと気づいたような顔をして止めた。


 甘寧は特に何も言わずその脇を通り、中に入って行った。


「おい、おまえ……こんなとこに何の用だよ!」


 淩統が思わず叫んだが、甘寧の姿は見えなくなった。

「ああもう! だからあいつと行動すんの嫌なんだよ!」

 来なけりゃ良かった! と思ったが甘寧がいつになく険しい顔をしていたので、致し方なかった。

 それに、すでに淩統はここが誰の屋敷でどういう所かは知っている。

 甘寧が何故ここに来たのかも、何をするつもりかはともかく、おおよその予想はついた。

 甘寧は陸遜の失踪に何か心当たりがあるのだ。

 

「あいつ俺の連れなんで。ちょっと通してくれ」


 仕方なく、淩統は困惑したような門番たちの側を通り抜けて甘寧の後を追った。




 甘寧は案内されることも無く、まるで見知った屋敷のように歩いていた。



 淩統も諦めて、彼について行く。

 やがて前方の扉が開いたかと思うと、そこから姿を現わした。

 簡素だが質のいい衣をだらしなく身に纏い、耳や腕を飾る装飾品は、品が無いほど派手で統一感も無く光っている。

 ただ自分の財力のみを見せつけるだけの意味がそこにある。


 この一帯の裏社会に強い影響力を及ぼす――祖鑑そがん


 建業の城のお膝元ということで現在は非合法ぎりぎりではあるが、街に溶け込んで暮らしているものの、この男は正真正銘の賊出身で、


(つまりこの野郎のお友達ってことだ)


 淩統は半眼になって前を歩く甘寧の背を見遣る。

 陸遜りくそんがいたら、こんな男に会うのは止めただろうなと思う。


 甘寧は今や呉軍において孫権そんけんからの信頼も、仲間からの信頼も厚いが、年だけ食ったお歴々の文官などには未だに「賊出身」などとその粗暴さを毛嫌いされている。

 別に出自が卑しい人間は甘寧だけではないので、それ自体は働き次第でどうとでも評価される。

 だが、あらぬ疑いを掛けられないように暮らすということは大事だ。



「よう、甘寧」



 案の定、昔の友達のような挨拶を受けたが甘寧は挨拶も返さなかった。

 同じ臨江りんこう出身の賊だが、縄張り意識なのかなんなのか、賊のことは淩統はよく分からなかったが、別に仲がいいわけではないらしい。

 甘寧の部隊にはそういう臨江時代からの部下なども多いが、その連中とは大層仲がいいので、まあ祖鑑そがんとは臨江時代からかなりの敵対関係にあったのだろうと感じられる。


 甘寧は別に会いたくてこの男に会いに来たわけではないらしいが、

 祖鑑の方も、甘寧からの挨拶には興味は特にないようである。


 ほとんど裸同然の格好をした女を両脇に侍らせて現われた彼は甘寧、淩統と順に見遣り、肩を竦めてみせた。


「なんだ、お前らだけか。

 こんな時間に飛び込んで来るから、またなんか面白い問題でも起きたかと思って出て来てやったんだが。

 相変わらず気が利かねえな甘寧。どうせお前が来るならあの陸家の坊やでも手土産に連れて来いってんだ」


 ぷう、と右の腕に枝垂れかかっていた女が頬を膨らませて、祖鑑の頬を抓る仕草をした。


「祖鑑さま。また目移りですの?」

「あなたこの前いなかったものね。もう一人、可愛い子がいたのよ」

 左の女が何故か勝ち誇ったように言う。

「知らないわよそんなアバズレのことは。なによ皆して喜んじゃって。軍なんて祖鑑さまの敵じゃないの」

「アバズレじゃないわよ。男の子♡

 可愛いのよ~ あぁん、今日こそあの柔らかそうなほっぺたぷにぷにしたかったのに」

「その陸家の坊やって男なの? 祖鑑さま、いよいよ男にも手を出す気?」


「俺ァ男には全く興味ねえが、あいつは別格だ。

 あと毛色が珍しいから気に入ってる。

 陸家の御曹司だっつうのに、甘ったれた剣筋してねえのもいい。

 戦場で陸遜りくそんが敵を斬る様を、是非とも高みの見物したいもんだ」


「うるせえな」


 賊なんかに、陸遜の名を出してほしくも無い淩統はびしりと注意をした。


「んで、なんだ甘寧。らしくなく焦ってるみたいだな」


 おかしそうに男が言ったので淩統りょうとうは隣の甘寧を見る。

 甘寧の顔色は淩統からすると、いつもと何ら変わらないように見えた。


「お前とごちゃごちゃ無駄話する気はねえ。

 雷迅らいじん。てめーどうせ得意の武器商売相手、にもいんだろ?」


 古い名前で呼ばれ、祖鑑は面白そうに腕を組んだ。


「俺は一番の高値で買ってくれる奴に品を卸すんでな。

 言っとくがそんなことで睨むなよ。俺に国への忠誠心がどうとか求めて来たら、お前も相当焼きが回って来たってことだぞ」


「前に言ってた話、覚えてるか。

 曹魏そうぎが涼州の隴関ろうかんを急襲した時に、お前通りかかった曹魏の陣で変な奴を見かけたとか言ってただろ」


「ああ……あの、紫闇しあんの目の色した珍しい奴か」


 淩統は色々と口を挟みたかったが、今は黙っていた。

 甘寧が不愉快そうに髪を掻きながら、続ける。



「――――あの野郎は司馬懿しばいっていう、魏軍の軍師だ」



 それまで緊張感のない様子だった、祖鑑そがんが少しだけ表情を変えた。

 それを感じ取ったのか、それまで五月蝿くしていた両脇の女たちも口を閉ざす。


「そりゃ次期皇帝になる見立ての、曹丕そうひの右腕じゃねえのか?」

「そうだよ。そいつだ」

「……。へえ、あの野郎がねえ。

 俺の見た感じ、今まで曹丕の奴は親父に頭の上がらねえ大人しめのガキって感じだったが……そうか。ああいうクセのある側近を飼う器量と度胸はあるのか。

 こりゃあ意外なことを聞いた。

 曹操そうそうの軍は曲者揃いだが、あいつ曹丕の側近だったのか」


「おまえ、あいつの周辺のことちょっと探れ」


 祖鑑と淩統りょうとうが同時に甘寧の顔を見る。

「どうせ向こうに手下もいんだろ」

 祖鑑そがんは少し考えたようだが、口の端で笑んだ。

「いやだね」

 甘寧の額に青筋が立ったのが分かる。


「てめえと今、そういう風に遊んでる暇はねえって言ってんだろうが」


 凄んでみせたが、祖鑑は全く気にしていない。


「うるせえ。何が遊んでる暇はねえだ。

 その言葉の通り、お前は今、焦りまくってんだよ甘寧。

 八方塞がりでこんな所まで助けを求めに来た。

 そうだ遊びどころか、今のお前はこの俺様に助けを求めてんだ。

 それが分かった以上、誰が頷くか。

 てめーの為に汗かいて働いて俺に何の得がある。バカらしい。

 城にだって間者くらい山ほどいるだろうが。それ使ってやれよ」


「ここでお前をぶっ飛ばして頷かせたっていいんだぜ」


 甘寧かんねいは威嚇したが、淩統にはこの男の言う通り明らかに甘寧の旗色が珍しく悪いのが感じ取れた。


 甘寧が確かに殺気を纏った途端、祖鑑そがんの後ろに控えていた女が前に出て来て、彼を背に庇うような仕草を見せた。

 体の線も露わに、透けた薄布を纏いながらも女二人はすでに利き手に短刀を構えている。

 勿論どちらも【鈴鳴すずなり】と呼ばれる甘寧の武勇は聞き及んでいるだろう。

 自分が傷一つ与えられずに首を刎ねられるほどの相手だと知っている。

 だがどちらの女にもひるんだ様子はなかった。強く甘寧を睨みつけ、何があっても自分たちの主を守ろうとする意志を見せる。


 祖鑑は女二人の後方でフッ、と薄く笑った。


甘寧かんねい。お前なんか隠してることがあるだろう。

 それを洗いざらい話せば、助けてやらんことも無いぞ」


 挑発するような言葉に甘寧が押し黙ったので、淩統が右から進み出た。


「重ねて悪いけどな。俺もあんたらのそういう元賊同士の縄張り争いには全く興味ないんでね!」


 陸遜りくそんは陸家の当主だ。

 名誉がある。守らなければならない。

 こういう人間と付き合いがあるというだけで、非難されることだってある。

 

 しかし淩統りょうとうは彼が非難されるような人間ではないことを知っている。

 人間であることもそうだが、

 呉の将官として今まで、実際にそう尽くして来たこともだ。

 

 彼にとって確かだと信じ抜けることは、陸遜はこれからの呉にとって重要な人であり、陸遜が何か、呉の害になるようなことを望んでするようなことは無いということ。

 彼の行いには必ず深い意味があり、それは呉の為なのだということ。


 そして同じく父、淩操りょうそうの代から孫呉に仕える自分は、そういう陸遜をこれからの呉を導いて行くべき使命を負った彼を、何があっても守り抜いてやらないといけないのである。

 それが国に対しての貢献にもなる。


 今は何より消息不明の陸遜の安否を確認し、もし彼の意思で戻って来れない状況にあるのなら、助け出さなければならないということ。

 名誉など、後だ。

 関係ない。


 陸遜が無事で戻れば、あの人は自分の力で誰の目にも明らかに、この人は孫呉にとって必要だとそう思わせることは出来る。


「陸遜様は先日から行方が知れないんだよ。

 故郷の蘇州そしゅうに行く途中で行方知れずになったみたいだけど俺は、違うと思ってる。

 だけど万が一のこともあるから俺は明日……まあ今日だけど。蘇州の方まで行くつもりだった。


 そしたらこいつがこんな明け方訪ねて来てここに連れて来たんだよ。

 そんで俺には何のことか全く分かんねえけどこいつがその【司馬懿しばい】って名を出したからには、陸遜様の行方を追う手掛かりにそいつが関わってるってこいつが思ってるからなんだよ!


 もっと言うと、どうも陸遜様は【飄義ひょうぎ】とかいう名前のこいつの副官に、連れ出されたんじゃねえかって見立てがある。陸遜様と同じ時期に、行方が知れなくなったんだ。

 評判は悪い奴じゃないから、陸遜様ごと事故に巻き込まれたって思えなくも無いけど、こいつはその飄義って奴が魏の間者かんじゃだったんじゃないかって考えてんだ。

 なんでそう思うんだって聞いても答えなかったけど今、司馬懿の名前が出たから分かったよ。そいつと陸遜様に、なんか関係があんだろ」


 最後の問いは、これは甘寧に向かって投げつけた。


「今は陸遜様の無事が何よりだろ! 全部話せよ! 

 その司馬懿とかいう奴と陸遜様と何の関係があるんだよ⁉」


 甘寧は不愉快そうな顔をしていたが、顎を横に逸らした。


「…………例の、甄宓しんふつが開いた宴で。

 最後陸遜が手傷を負って帰って来ただろ」


 淩統りょうとうは一拍おいて、眉を顰めた。

 意外な話が出たと思ったのだ。

 彼が漠然と考えていたのは、もっと簡単なことだったから。


「……。ああ……あの背中と目に傷を負って戻ったやつか? いや、違うな。目は傷ついてなかったんだ。顔に血を浴びてて、敵の返り血とか言ってた……」


「あの時陸遜を襲ったのが、その司馬懿しばいって野郎なんだよ」


「あいつがあそこにいたのか⁉ ……けどあの宴は曹丕そうひの命令じゃなく、あの女が独断で開いたことじゃなかったのか? なんでそいつが」


「知るか! そんなこと……それだけじゃねえんだよ!

 あの野郎は陸遜が南陽なんように着任した同時期に、あいつも南陽の魏軍の砦にいて、陸遜が手柄立てた時に戦った相手なんだよ!」


 忌々しそうに甘寧が舌打ちをする。

 淩統は驚いた。

 何故、甘寧が飄義ひょうぎを魏の間者だと思ったのかようやく分かった。


 甄宓しんふつの宴。

 南陽。


 司馬懿という男は確かにそのいずれの戦いにも絡んでおり、しかも陸遜と斬り合い敵対しているのだ。


「それでお前あの飄義って奴が、司馬懿の放った間者じゃねえかって疑ったのか」


「単なる勘だ! けど俺に間者なんかつけたってそんな大した情報なんか得られるかよ。

 頭のいい奴なら呂蒙りょもう魯粛ろしゅくにつけるに決まってる。

 俺のところに間者を潜り込ませる野郎なんか、何も考えず呉軍に手当たり次第間者紛れ込ませようとしてるだけか、」



陸伯言りくはくげん個人をつけ狙ってる奴だけか」



 祖鑑そがんを振り返る。

 男は笑みを浮かべていた。


「なるほどな。ようやく話の全体が見えて来たぜ。

 久しぶりに会わねえうちに、随分面白いことになってんじゃねえかお前ら。

 司馬懿しばいの放った間者に陸伯言が拉致されたなんて、本当なら陸家の当主を迷いなく拉致するような馬鹿、あの紫の目の軍師――ヤバそうに見えたが、本当にイカれた奴だったみたいだな」


「わくわくすんじゃねえ」


 笑い出した男を、淩統が睨みつけた。


「大物狩りとは聞いてたが。涼州りょうしゅうを火の海にした後は、呉の名門の当主を狙うかねえ」


 祖鑑そがんが笑い始めると、自然と女達は手にした刀を収めて、彼の後ろへと下がって控える。

 ひとしきり笑った後。


「――いいぜ。退屈してたとこだ。お前らに協力してやる。

 あの司馬懿とかいう軍師の周辺、調べてやろう。俺様に感謝しろよ甘寧」


「誰がてめえに感謝するか。俺が今ここで暴れ回って危害加えられなかったことをお前が俺に感謝しろってんだ」

「今、話がまとまりそうなんだから余計なこと言うんじゃねえ!」

 淩統が、我慢ならなかったように悪態をついた甘寧の背中に蹴りを加える。



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