第2話 気づかない群れ
入学初日のことは、別に変な出来事ってわけでもない。
内野陽南の自己紹介に少し引っかかりを感じただけで、実際には何も起きてないし、あの冷たく感じた笑顔だって、よくよく考えればごく普通の表情にも見えるし、たぶん俺の気のせいだ。
そんなふうに思い込もうとしていた。いや、思い込みたかった、というほうが正しいかもしれない。
教室に入ったとき、最初に目に飛び込んだのは、やはり内野だった。
彼女は数人の女子と机を囲んで、笑いながら話をしていた。話題の中心というよりは、自然と輪の中心にいるような雰囲気。
優花のほかに、自己紹介のときにちょっとだけ印象に残っていた中村千尋も、そのグループの中にいた。少し砕けた感じに、軽い話題で盛り上がっている。
「てか陽南ってさ、居るだけで不思議と安心感あるよねー」
ふと、中村の少し甲高い声が聞こえた。
「わかるー」と、他の子がすぐに乗っかる。内野自身は「えー、嬉しいんだけど」と笑って、肩をすくめている。
この前、内野に感じた冷たさも、どうやら見当違いだったか。
教室に溶け込んでいる内野の姿を見ながら、そんなことを思った。
昼休み、俺は教室の隅のほうで、男子数人と机をくっつけて弁当を広げていた。岸本治樹と石川航、それに加えて、まだいまいち顔と名前が一致していない何人かがいる。
弁当のおかずをつまみつつ、和気あいあいとした空気の中で、話題は自然とクラスの女子の話に流れていく。
「内野ってさ、普通に超かわいくない?なんなら、スタイルもアレじゃん」
向かいの席に座っている石川が、いきなり小声でそんなことを言い出した。
石川のように、いかにも男子の中心になりそうなイケメン陽キャと絡むにはもう少し時間がかかると思っていたが、何が気に入られたのか、割とむこうからよく話しかけられた。おかげで、クラスのポジション争いは良好なスタートを切ったといえるだろう。
「そうだな。なんなら、中身も超いい子って感じがする」
石川のテンションに合わせて、適当に内野を褒める。
「わかるわ。てか、さっきちょっと話しかけたけど、実際めっちゃいい子だったよ。完璧でしょ、あの子」
治樹が軽いノリで言う。それを否定する声はなく、みんなが「それなー」と笑って頷く。
俺は箸を止めずに、会話の流れを考えつつ、静かに聞いていた。
内野のルックスは嫌いじゃない。というより、あんな絵に描いたような美少女が嫌いな男子は、余程の変わり者以外はいないだろう。
「世良さ、自己紹介のとき色々なことに興味があるって言ってたけど……やっぱそういうことだよな?」
石川がニヤニヤと笑いながら俺を見る。
なるほど、こいつは皆の前で趣味だと言っていたスポーツの話よりも、本来はこういう話の方が好きらしい。
「……てかむしろ、世良は高野派だもんな?」
治樹がいたずらっぽい視線をこちらに向けながら、ぽろりとこぼした。
「は!?まて、なんでそうなるんだよ!」
思わぬ方向から話の矢が飛んできて、声が上ずってしまった。
石川も身を乗り出してその話に乗ってくる。
「え、世良そっちなん?高野もいいよな。内野とツートップって感じ?このクラス、マジで当たりだと思うわ!」
「おい、声デカいから。あと違うし。普通に……内野のほうがよくね?」
これには若干の照れ隠しもあるが、そういう対象として優花を見るというよりは、もはや存在が当たり前過ぎて、深く考えたこともなかった、というのが本音だ。
「てか、最初から女ありきかよ、お前ら」
「うわ、うぜー。翔太郎さん、相変わらず硬派ぶってますねー。高校生男子の考えることなんて他にあるか?」
治樹が笑いながら肩を叩いてツッコミを入れてくる。
この場の空気は軽く、悪意もなく、置いていかれているような気持ちもなかった。でもどこか、ここでも内野を中心に会話が回っているような、そんな感覚は少しだけあった。
食後、教室に戻ったとき、なんとなく視線が女子グループに向いた。
数人の女子が机を寄せておしゃべりしていて、その真ん中にはやはり内野がいた。
「それでさ、そのカフェの名前が『ぽてベア』っていうの。お腹いっぱいって感じのクマのロゴがめっちゃ可愛くて」
内野がそんな話をすると、すぐに中村が笑い出した。
「えー、それ絶対可愛いやつじゃん!」
他の女子たちも、その話題に対して前のめりになる。
「ていうか、まずその名前がずるくない?絶対行きたくなるやつ」
「店内の写真ある?見たい見たい!」
内野がスマホを取り出すと、周りの女子たちが一斉にのぞき込むような体勢になった。
その様子は、誰も気を遣っているようには見えない。ただ、皆が自然に笑っていた。
でもほんの少しだが、笑いのタイミングも、話題のきっかけも、全てが内野から始まっているように見えた。
別に悪いことが起きてるわけじゃない。どちらかといえば、平和で明るい光景だ。
しかし、誰も無理しているわけじゃないのに、なんでこんなにぴたりと整った空気になるのだろうか。俺にはその整い方が、まるで演出された舞台を見ているかのように思えた。
昼休みが終わる少し前、教室前の廊下で優花とすれ違った。
「あ!」
互いにほぼ同時に声が出て、俺たちは顔を見合わせる。
「……あのさ、急に変な話だけど、内野って普通にいい子だよな」
何気ない風を装って言ってみた。本音というより、探るような言い方だった。
「……うん、そうだね。可愛いし。でも翔太郎……本当にそう思ってる?」
優花は少しだけ間を置いてから答えた
「へ?」
優花の思わぬ返答に、間抜けな声が出てしまう。
「あー、なんとなくわかる?いや、実際いい子だとは思うけど……どうかな。まだよくわかんね」
「ほら、やっぱりね。でも私も、正直まだ距離感よくわかってないよ?」
「え……そうなんだ。仲良さそうなのに、意外だな」
「女子同士なんて、最初はみんなそんなもんだよ」
優花はふっと笑うと、すぐに廊下を歩き出した。
俺はその後ろ姿を見送りながら、やっぱり優花も俺と同じ感覚でこのクラスを見ているかもしれないと、心の中で勝手に認定した同志に対して、勝手な安心感を持っていた。
確かに教室の空気は、どこもこんなもんだろう。
誰かが中心になって、そこに合わせるように日々が回っていく。それはたぶん、よくあることだ。
ただ、なんとなく、ここではほぼ全員が内野の顔を見て動いている気がする。
だとしたら、逆にこちらは内野からどう見えているのだろうか。
それについては、今は考えないことにした。
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