【2章連載中】あの日夢見た世界のふもとへ ~余命3年の令嬢は婚約を無視して世界へ旅立った~

NonD

1章 前編

第1話~行こう。もう一度、 あの日夢見た世界のふもとへ~

「ファニーはもうすぐ17歳なんだ。早く結婚しなさい」


 17歳の誕生日が迫ったある日。父の書斎で告げられたことは、まるで命令のようだった。


「いや、でも」

「20歳まで、あと3年だ。もう時間が無いんだよ。くだらない夢は諦めなさい」


 父の言葉は静かな書斎の空気を凍らせた。20歳までしか生きられないことがわかっているファニーの余命は、残り3年。

(はぁ。どうして)

 国の令嬢として生まれたファニーは、知らぬ所で婚約を決められていた。しかし結婚など望んでいない。世界を旅することを夢見ていた彼女にとって、むしろ人生の終わりを意味していたからだ。


 自分の部屋に戻り、机の上に置いてあった絵本を手に取る。幼い頃に母から読み聞かせてもらったおとぎ話の本。


「世界のふもとに行けたらね。魔法を使えるようになるのよ」


 絵本には、8人の旅人が困難を乗り越えて世界のふもとに辿り着き、魔法の力を授かり賢者と呼ばれるようになった話が書かれていた。

(お母さん。なんで死んじゃったの?)

 そんな母は20歳の誕生日に他界してしまった。そしてファニーも同じ宿命を背負っている。


 まだ幼かった頃と同じように、絵本のページをめくった。


「私ね、大きくなったら世界のふもとに行くの」


 母がいなくなってから、ファニーは毎日のように太陽が昇る世界のふもとの方角を眺めていた。何度も読み返した絵本の端は、所々すり切れてしまっている。


 ファニーは母との思い出の絵本を置き、部屋の壁に掛けている自分の弓を手に取った。それは従者ティーブが選んでくれた弓。


 世界を旅するために選んだ武器だった。戦い方も従者であるティーブに教わっていた。

(あの頃は、楽しかったなぁ)

 たった1人の従者と、近くの森で毎日のように狩りをした。ティーブが獲物を追いかけ、ファニーが弓で仕留める。こっそり建てた山小屋で肉を焼いて食べるのが何よりの楽しみだった。


「ティーブ、早く早く」


 狩り用の装備を身に着け、いっそ2人で旅立ってしまおうと思い立ったこともあった。こ密かに街から出ていこうとしたこともあったが、門に辿り着くこともできずに連れ戻されてしまった。


 今自分が着ているドレスに触れながらため息をつき、弓を元に戻した。


 生まれて初めてドレスを着たのは、12歳の誕生日。動きにくいだけの何の意味があるのかわからないものを着て、お祝いのパーティに出席したことが脳裏をよぎる。


「ファニーは、20歳までしか生きられないんだ」


 12歳の誕生日に父から通告されたこと。世界のふもとへ行く夢を話した時のことだった。


 国の令嬢であるファニーは、平民が着れないようなドレスを身にまとうたびに、もしかしたら自分の夢はただのわがままなのではと思うことがあった。旅立つことを許してもらえないかもしれない。そう思うたびに胸が苦しかった。


 意を決して話したとき、返ってきたのは残酷な事実。


 時間がないのだから、早く結婚して、早く子供を授かるべきだ。

父親からも周囲の人々からもそう言われ、婚約の話が知らない間に進んでいった。

もし母親が生きていればファニーの味方になってくれたかもしれないが、母親はもう他界していた。


 ファニーは言い返すことをしなかった。

 賢者以外、誰も行ったことのない世界のふもと。行き方はおろか、地図すらない場所へ向かうことを想像できなかった。


 幼い頃の夢がつまった絵本と、子供の頃の希望を乗せた弓矢を部屋に置き、ファニーはドレスを着て城の中を歩くようになる。

(世界のふもとになんて、行けるわけない。だけど、私は)

 令嬢としての日々を演じながら、人目を盗んで毎日のように無心で弓の練習を続けていた。

 

 未来には真っ黒な壁しか見えなかった。

 

「結婚おめでとう」

 

 早くしろというプレッシャーの中、一度も会ったことがない人との結婚式が日取りまで勝手に決まってしまっていた。全てファニーの幸せのためだと笑ってる顔が、とても冷たい。


 父親の笑顔も、周囲の人から贈られる花束も、ファニーの目には暗い影にしか見えなかった。

(誰も私のことをわかってくれない)

 ファニーは大きくため息をつきながら王城の中を独り歩く。思わず世界のふもとの方角を眺めた時、頭の中に声が聞こえてきた。


「誰?」


 何を言っているのか聞き取れないのに、確かに聞こえる。声に導かれるように、息を殺し、城の廊下を進む。すれ違う人達は、声に全く気付いていない。

(ここって)

 気付けば城の地下に来ていた。目の前には扉。父から開けてはいけないとだけ教えられていた。その扉は開け放たれ、暗がりの向こうに男の影が1つ。


「え?」


 真っ黒な髪に、紫色に光る瞳。地下の扉の先にはちょうど人が1人入れるくらいの空間。


 男はファニーを一瞥すると、何も言わず地下から立ち去ろうとした。それを、弓の鍛錬を怠らず狩人として成長していたファニーは見逃さない。


 掴まれた腕を振りほどこうとする男性に、ファニーは飛び切りの笑顔で挨拶した。


「こんにちは。お話しましょ?」


 諦めたのか、それともファニーが敵ではないと思ったのか、男性は抵抗をやめる。

(と、止めちゃったけど、どうしよう)

 早鐘を打つ心臓の鼓動が、男性を掴む手にまで伝わらないように気を付ける。そして猛獣と対峙する時のように、ジッと目を逸らさない。相手の瞳は、とても深く沈んだ色だった。


「私はファニー。この城に住んでいます。あなたは?」

「俺は、ルイス。昔、世界のふもとへ行ったことがある。賢者、なんて呼ばれてるらしい」


 声が震えそうになるのを我慢しながら聞くと、男性はルイスと名乗った。ファニーの耳に一番残ったのは、世界のふもとという言葉。母に読み聞かせてもらった絵本を思い出す。


「えぇ!?じゃぁ魔法を使えるの?」


 子供のような無邪気な声にファニー自身が一番驚きながら、ルイスの瞳を凝視した。おもむろに挙げられたルイスの片手に、どこからともなく大きな鏡が現れる。


「これが、俺の魔法だ」

「へ~。鏡、ですよね?」

「まぁ、そうだな」

「じゃぁ本当に賢者なんだ。えっと、じゃぁどうしてこんなところに?」


 ファニーの心臓がさらに早鐘を打つ。全身から、何かが湧き出てくるような感覚。ルイスは静かに語りだした。母が絵本を読み聞かせてくれたような優しい声。


「賢者、は知っているんだね」

「はい。たった8人で世界のふもとに辿り着いて、魔法の力を手に入れたって」

「魔法か。それだけじゃない。俺達は、永遠の命も手に入れた」

「永遠の、命?」


 肩を落としながらうつむき、地下の暗い床を見つめる。残り3年の余命と、永遠の命。世界のふもとを思い描いていたのに、今見えるのは城の地下の真っ黒な壁。


「どうかした?」

「えっ、いいえ。なんでもないです。それで、どうしてこんなところに?」

「あぁ、そうだったね。まぁ、ちょっと喧嘩しちゃったんだよ」

「喧嘩?」

「そう。もう一度、世界のふもとに行くべきかどうかでね。無理して行こうとして、封印されてしまったよ」


 もう一度、世界のふもとに。そのフレーズがファニーの頭の中を何度も駆け巡る。目の前にいるのは、絵本の中にしか登場しないはずだった賢者。


「ファニーさん、見逃してくれないか?俺には叶えたい願いがある。そのために、もう一度世界のふもとに行かなきゃいけないんだ」


 もう一度、世界のふもとに。頭の中で何度も繰り返す度に胸が高鳴る。そんなファニーに、ルイスは静かに語りかけていた。


「いいよ。お城から出してあげる」


 答えを聞いたルイスの紫色の瞳が揺れ、そして目を細めた。他に誰もいない地下に静寂が訪れる。


「どう、して?」


 その声はわずかに震えていた。まだ揺れ続けている瞳からは動揺の色が見て取れた。ファニーは静かに微笑む。

(こんなチャンス、もう二度とこないから)

 残り3年の命。ドレスを着て城の中で過ごすのか、それとも着替えて世界のふもとに旅立つのか。


「準備するから、待っててね」


 急いで自分の部屋に戻ったファニーは狩りの装備に急ぎ着替え、弓と最低限の荷物、それにルイスを変装させるための服を手に取り地下へ走る。

(ちゃんと待っててくれてるよね)

 いつも見ているはずの城の廊下が、いつもより煌びやかだった。気持ちを抑えきれず、地下への階段を飛び降りていく。


「待った?」

「いや、本当に良いのか?」

「うん。こっち」


 使用人姿に変装したルイスを連れ、城の裏口へ向かう。城を抜け出して狩りに行くときにいつも通る廊下。ほとんど人のいない所で、たまに人とすれ違う時に歩き方がぎこちなくなってしまった。


「みんな、ごめん。でも私、世界のふもとへ行ってみたい」


 小声でつぶやきながら、ファニーは城を抜け出した。狩りのために何度も訪れた森を風を切るように進み、途中で何度も振り返ってルイスが追いつくのを待った。


 振り返るたびに城の灯りは遠ざかっていき、城下町に入ると武器屋や道具屋といった店が立ち並ぶ。


 城下町を抜け、街道を出るころに、ルイスは一言だけファニーに感謝を言い残し独りで先に行こうとした。


 ファニーはその後ろを追いかけ、ピッタリとついていった。今にもスキップをし始めたくなるほど足が軽い。ルイスは何度も振り返り、城下町が小さくなるころ立ち止まった。


「えっと、城に戻らなくて良いの?」

「はい。気にしないで下さい」


 ルイスはファニーの顔と遠くに見える城下町を交互に見比べていた。日が落ち始めた街道を通る人々は、真っ直ぐ城下町に向かっている。


「行きたい所があるの?」

「それは、世界のふもとへ」


 立ち止まったまま、太陽が落ちる世界のふもとを見た。城下町へ全速力で帰っていく1台の馬車が真横を通り過ぎ、砂埃が立ち昇る。


「俺と?」

「お願いします。他に、道を知っている人がいないんです」

「道、か。そう簡単な話じゃないよ」


 近くの手頃な岩の上にルイスは腰掛け、ファニーも隣に座る。赤い夕日が街道を染め、木の葉が静かに揺れる。


「遠い、んですよね。いいんです、辿り着けなくても。そうじゃなくて、残りの人生を世界のふもとへ向かう旅に使いたいだけなんです」

「いや、そういうことでもなくて」

「えっと」

「言ったと思うけど、世界のふもとにまた行くべきかどうかで喧嘩して封印されたって。だからきっと、また止めてくるはずだ」


 夕日に照らされた城下町を見た。旅立ちについて父と何度も口論し、止められ、強引に結婚まで決められてしまった場所。ルイスの話と鏡合わせのようだ。


「そもそも、今すぐ世界のふもとに行けるわけじゃない」

「え?」

「ずっと封印されてたからね。失った魔力を取り戻しながらになるから。遠回りで、それになにより危険だよ?」


 誰もいなくなってしまった街道。ルイスは立ち上がり、そしてまた1人で先に行こうとする。ファニーはその背中に向かって叫ぶ。 


「それでも!それでも行きたいんです。私の、夢だったから」

「夢?」

「そう。それにわたしはあと3年しか生きられないから。世界のふもとに行くために使いたいんです」


 余命3年と聞いた瞬間、ルイスはファニーに駆け寄った。そして肩を掴み、ジッと顔を見つめる。逆行のせいで、ファニーからはその表情が見えない。


「そう、だったのか」

「あ、あの」

「ご、ごめん。あぁ、わかったよ。出来る限りのことはしよう」

「ほ、本当ですか!?」


 肩を離し後ずさりながら話すルイスに、ファニーは逆に駆け寄った。その手を掴みながら、照れ笑いする顔を見る。


「本当さ。それより急ごう。もうすぐ日が暮れる」

「はい」


 2人は城下町の逆にある街に向かって全力で走る。息継ぎすら忘れ、笑い過ぎて動けなくなるまで走り続けた。


 それから2人で街から街へ歩いた。互いの歩幅にも慣れていく。城から持ち出せたお金はごくわずか。なんとか工面していると、とある人物が城から追いかけてきた。


「ファニー様。ご無事でしたか」


 ファニーの従者ティーブ。一緒に昼食を食べていたルイスとの間を、引き裂くように割り込んできた。


「ティーブ、ごめんね。黙って出てっちゃったりして」

「あっ、いえ。連れ去られたのではないのですか?」

「えぇ?」


 1人で追いかけてきた従者は、ルイスへ警戒の眼差しを送り続けている。そんなティーブにファニーは食べ物を差し出す。

(来てくれたんだ)

 畏れ多いと断るティーブに、無理矢理押し付ける。座って食事を口に運び始めた従者の頭には普通の人には無いはずの角。


「ねぇ、連れ去られたってどういうこと?」

「はい。地下の扉が開き、ファニー様が見知らぬ男と城を出たところが目撃されておりました。そのため、連れ去られたのかと」


 特徴的な黄緑色の髪を見ながら、ファニーは顔をほころばせる。窮屈なドレスではなく動きやすい狩りの装備を着て、いつも隣で手伝ってくれた従者。


「来てくれたんだね。ありがとう。でも私は大丈夫だから、行かせて?」


 ティーブの食事の手が止まる。ルイスとファニーの顔を何度も見比べている。

(お父さんから、なんて言われてきたんだろう)

 追いかけて連れ戻すように父から命令されている所が目に浮かぶ。従者として、その命に従うことに文句は言えない。


「どちらに行かれるのですか?」

「世界のふもとへ」

「なるほど。では私も共に参ります」


 即答するティーブにファニーは椅子から飛び上がりそうになる。国に仕える従者が、国に反抗するとは。そんなティーブの手を取る。


「それは、ファニーさんのガーダンだよね?ただ命令すればいいだけじゃない?」


 友達が一緒に旅してくれることを喜んでいるファニーに、ルイスはティーブを種族名で呼んだ。まるでただの道具を見るかのように、そして命令することが当たり前であるかのように。


「そ、それだなんて。物扱いしないで下さい」

「ん?うん。だけどガーダンだよね?」

「どういうことですか?」


 ティーブが気を悪くしていないかと様子を見ながら返すファニーの声が自然と荒くなる。対してルイスの声はとても落ち着いていた。 


「いいか。人間が欲望に逆らえないように、ガーダンは従順に逆らえない」

「えぇ?」

「だから、ガーダンを人と同じように扱うのは良くない。お願いじゃなくて、ちゃんと考えて命令した方が良い」


 まだ持っていた食器を強く握りしめ、そして割ってしまった。ファニーの手は赤く染まり、血が床にしたたり落ちる。


「不快にさせたのなら、すまない。だけどこれは大事なことなんだ。いつかファニーさんを傷つけることになるかもしれない」


 真っ直ぐファニーから目を逸らさないルイスと、傷の手当てを始めようとするティーブ。割ってしまった食器を謝りながら店員に渡し、その後しばらくルイスとは口を利かなかった。


 それでも3人の旅は始まり、やがて山に到着した。

 落ちたら絶対に助からないほどの切り立った高い崖を迂回するように登り、山頂の村に一晩泊まることになる。


 山頂の村でもファニー達のことが話題になっていた。

 開けてはいけない扉の先に封印されていた賢者が、令嬢の1人を連れ去り逃げてしまったという話。


 バレたりしないかとファニーは周囲を見渡すが、見知った顔はおらず、村人からは挨拶されるだけ。王国の姫が弓矢を持って狩りをするとは、誰も思わないのだろうか。ガーダンであるティーブの角の方が人々の注目を集めていた。


「ファニー様。宿を準備いたしました」


 当のティーブ本人は全く意に介していないようで、平然とした様子で泊る宿を手配している。まだ日は落ちていなかったが、旅の疲れが溜まっていた3人は眠りに落ちる。


 虫の小さな声が鳴りやまない真夜中。その静寂を切り裂くように人の悲鳴が響いた。

闇夜に光る無数の魔物の目。夜襲により人々は我先にと逃げていく。

人の波に逆らうようにファニーは弓を構えた。暗闇に矢を放つたびに何かが倒れる。1匹たりとも逃さぬように集中していたが、その背後から現れた手に足首を掴まれる。


「いや!放して」


 魔物はファニーを地面に引きずりながら、連れ去っていく。

ファニーは必死にもがき、なんとか振りほどこうとした。

持っていた矢をなんとか突き刺すが、魔物はファニーを投げ飛ばしてしまう。


 宙を舞った。

ティーブが手を上げるように叫ぶ。

その通りに伸ばしたファニーの手をティーブはしっかりと掴んだ。


 落ちたら絶対に助からない切り立った崖の上で、ファニーは宙吊りになっていた。

ティーブはファニーを引き上げようとするが、魔物との戦いのせいなのか体が思うように動かないようだ。


「ティーブ、手を放して!」


 そんなティーブに、ファニーは思わず言ってしまった。

このまま2人落ちてしまうくらいなら、私だけ落ちたほうが良い。そう思ってのこと。


「はい。かしこまりました」


 ファニーは宙に投げ出された。

それはあまりにあっけない出来事だった。ファニーが最後に見たのは、いつもと全く変わらないティーブの表情。


 世界のふもとへ、行きたかったな。

真っ逆さまに落ちながら、ファニーは静かに目を閉じた。

(あぁ、こういうことだったんだな)

 ルイスがずっと警告していたことは、つまりはこういうこと。崖の上で手を放せと言ったら、放してしまうということ。


 真っ逆さまに落ちながら、ファニーは走馬灯を見た。

幼い頃に読み聞かせてもらった絵本と、子供の頃に練習した弓と、そして出会った賢者。


 そんな夢も、もう終わり。


「ファニー!死ぬには早いだろ!手を上げろ!!」


 ルイスが崖から飛び出して、ファニーを追いかける。追いかけてしまっている。

落ちたら絶対に助からない高さから、2人は落ちていく。

そしてルイスはファニーに追いつき、抱きしめた。

引き剥がそうともしないが、ファニーは睨むように目を開ける。どうして追いかけてきてしまったのかと。


 2人は真っ逆さまに落ちていく。


「なんで?なんで来ちゃったの?もう死ぬ覚悟は出来てたのに」

「そんなこと言うな」

「だって!・・・だってルイスは永遠に生きられるのに。だけど私は、どうせあと3年しか生きられない」


 抱き合ったまま2人はさらに落ちていく。耳を横切る風の音が鋭くなっていく。


「ファニーはただ、生きることをあきらめているだけだ」

「え?」

「死ぬ覚悟なんてできるわけないじゃないか。だってまだ、やりたいことをやりとげていないんだろ?」


 夜明けの光が空を照らし出した。夜の冷たい風に、ほんのりと温かみを感じた。


「だからファニーは、世界のふもとへ行くべきだ」


 魔法の光と共に鏡の盾が現れ、真っ直ぐ地面に向けていた。もう一方の腕はしっかりとファニーを支えている。


「掴まれ!!」


 空が朝焼けに染まっていく。真っ赤な朝焼けの中を、ファニーはルイスと落ちていく。太陽に照らされた、暖かい朝だった。


 着地と強い衝撃。2人は地面に投げ出され、無傷のファニーと血だらけで倒れているルイスの姿。


 ファニーはあわてて駆け寄った。大怪我はしているが、生きてはいる。

何度も謝るファニーのことを、心配するなとルイスは励ましていた。


 動けないでいる2人のもとに、山からティーブが降りてきた。

無表情のまま、何も言わずにファニーが怪我をしていないか確かめようとする。


「私は大丈夫。それよりルイスを診て」


 骨が剥き出しになってしまっているルイスの体を、ティーブは丁寧に固定していく。その従者の肩を、ファニーは思わず叩く。


「いかがしましたか?」

「ううん。なんでもない。続けて」


 朝日が昇り、昨日と同じ風が吹く。一通り治療したルイスの体を近くの洞窟まで運び、静かに横たわらせる。

(ティーブは、悪くない。ちゃんとルイスの話を聞かなかったから、こんなことに)

 村まで必要なものをティーブに取りに行ってもらいながら、ファニーは一日中ルイスの介抱をし続けた。また夜になるまで続け、つい目を閉じてしまう。


「ファニー、おはよう」

「おはよう。って、えぇ!起きたの!?」


 呼びかけられたルイスの声にファニーは飛び起きた。ほとんど死にかけだったはずの顔に、血の気が戻っている。起き上がろうとするルイスは止めながら、ファニーは胸をなでおろす。


 それからまた1日。ルイスは歩けるほどに回復していた。


「ルイス。本当にもう大丈夫なの?」

「大丈夫だって。賢者はこんなもんなんだよ」


 一週間ほど洞窟で過ごし、出発しようとルイスは笑った。一見すると何事もなかったかのように怪我は治っている。

本当なのかと歩く姿をジッと見るファニーだったが、ただただ普通に歩いていた


 街道にまた戻り、頬をなでるのは今まで感じたことのない自由な風。。


 そしてファニーは旅立った。

同じ夢を持つ賢者のルイスと、人間ではないけれど信頼できるティーブと共に。

独りでは行けなかった旅。あきらめてしまっていた夢。残り3年の人生。


 行こう。もう一度、

あの日夢見た世界のふもとへ。

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