思案のヴルトゥリア(旧:魔人バラウレスク)

五十蒲紫

第0話 死出の旅

 いつの頃であったか。ある川に、一艘の舟が浮かんでいた。その舟の中には2人の人間が乗っていた。1人は男でもう1人は女だった。女は黒いローブを被っていたため姿はよく分からなかったが、男は髪はわずかに赤みがかった黒髪で、半袖にネクタイ、黒いズボンをはいており年は16ほどに見えた。目の色は茶褐色だった。男は、あたりを見回すと見知らぬ場所であることに気づいた。男は目の前にいる黒いローブを着た女から情報を得ようと思い恐る恐る尋ねた。

「君は一体?」

 黒いローブの女は言う。

「名乗るほどのものではないよ。強いて言うなら私は船頭さ。」

 男は、女のセリフに違和感を感じたが、質問を続けた。

「船頭ねぇ……。俺は船に乗った記憶なんてないのだけども。君が俺を乗せたの?」

「いいや、違うよ。」

「ここはどこ?」

「見ての通り川の上。」

「橋はないの?」

「ないよ。なにせ、木製の橋は壊れやすくてメンテナンスが大変だからねぇ……。」

「君は一体何者なんだ?」

「私は何者でもないよ。」

 男は、この女の正体を突き止めたいという欲があったもののあまりにも曖昧な回答ばかりするのでどうしようもなかった。そして、男が悶々としていると女が口を開いた。

「逆に私が聞こう。お前はか?」

「俺?俺は納富無学なとみむがく。見ての通りの男で高校2年生だ。」

 無学がこう答えると突然女は笑い出しこう続けた。

「あはは。私が聞きたいのはそういうことじゃない。確かに名前や性別、職業は個人を構成する要素の一つとして大事だ。だが、それは世間から見た君に対する評価にすぎないじゃないか。」

「評価?」

「そう。君はある時は友人。ある時はクラスメイト。そして、ある人から見れば君は息子だ。もっともそれは現し世の君に存在した側面の一つである以上、もはやそういったことは君が何者であるかという証明には使えないのだけども。」

「息子!」

 無学はふと空を見上げた。空は昏く静寂に包まれていた。無学は思わず青ざめた。なぜなら、こんなに暗い時間になったのに帰ってこない自分を親が探しているのではないかという考えが頭に思い浮かんだからだ。

 無学は、自分の無事を伝えようと思いポケットに手を突っ込んだ。だが、スマホはなかった。

「おや、何か探し物かい?」

女は再び口を開いた。

「スマホ。親に連絡しないと。」

「ふむ……。私の話を聞いていなかったのかい?ここは現し世ではないと。」

「は?」

「つまり、君は死んでいるんだよ。」

 無学は驚きのあまり立ち眩み、川に落ちそうになった。女は急いで無学の腕をつかんだ。

「大丈夫かい!?」

「大丈夫……ところでさっきの話は、冗談ではないんだよね?」

「冗談ではないよ。」

 無学は額に手を置いて落ち込んだ。無学は、もう二度と家族や友人、先生に会えないこと。楽しみにしていた、夏休みの旅行やソシャゲのアップデート。無学は女が嘘をついていることを信じ笑おうとしたが、いまだに向こう岸の見えぬこの川が三途の川のようにしか思えず大粒の涙をこぼした。

「まぁ、人はいずれ死ぬ。とは言え、21世紀の日本人としてはあまりにも早すぎるね……。その様子を見るに不本意だったのだろう。心当たりはないかな?無理して答える必要はないよ。」

 無学の様子に同情を覚えたのか、女の口調はいつの間にか柔らかくなっていた。

「……分からない。」

「そりゃそうか。だって、少なくとも君は私に指摘されるまで自身の死を自覚しなかったのだから。」

「……俺はこれからどうなるんだ?やっぱり、閻魔大王に会って裁判を受けるのか?」

「そうなるね……。別の道も無くはないけど。」

「別の道?」

「うん。もっとも君の返答次第だけども。」

「はぁ。」

「時に君はどの宗教の信者さんかな?」

「は?信じるも何も、神仏って結局は空想上の存在だろ?」

 無学は、思わず眉をひそめた。というのも生前の無学は、ギリシャ神話や北欧神話、日本神話について調べるのが大好きだったが、だからといって神仏の存在を信じていたわけではなかったからだ。もっとも、こういった神話を調べていたのもソシャゲのキャラのモチーフだったからという単純な理由であったが。

 だが、女はその返答を聞き、ため息をついた。別に神仏そのものへの信仰やその実在性について聞いたわけではなかったからだ。単純にどの宗教どの宗派に属していているのかを知りたかったのだ。なぜなら、死後の世界は無数にあるからだ。波の下に都があるように、西にも東にもあの世というものはあるものだ。もしこの男が、浄土真宗とでも答えれば女はすぐにでも極楽浄土にでも連れて行こうと思っていた。(なぜなら、浄土真宗は死後の裁きという概念がないから。)

「困ったなぁ……。このままだと、君は裁判行きだ。」

「それの何が問題でも?」

「大問題だよ。だって君、親より前に死んだでしょ?」

「あ、賽の河原!」

「そういうこと。閻魔大王も残酷な判断をくださる。あの人だって元は子供や女性のための仏様じゃないか。」

「それって、お地蔵様のこと?」

「そう。……って君、本当に神仏を信仰してはいないんだよね?」

「敬ったり、手を合わせたりはするけども信仰はしてないよ……。」

 女は、無学の話を聞く内に彼のことが哀れに見えどうにかして助けたいと思っていたがどうすることもできなかった。

 こうしている内についに対岸が見え始めた。女はすっかり気が沈み、櫂を動かす手が遅くなっていた。その一方で、無学はむしろ笑っていた。女は思わず疑問を投げかけた。

「なぜ、君は笑っている?」

「いやぁ、死後の世界といえば異世界とかも入るのかなって!」

 無学は、不安や悲哀から逃れるために少しでも楽しいことを考えたかった。だが、女にとってはその発言は釈迦がある罪人を助けるために下ろした1本の蜘蛛の糸のように思えた。

「ならば、その異世界に君を連れて行こうじゃないか!」

「なんで!?できるの!?」

「初歩的なことだよ、無学君。川を下ればいいだけさ。どんな川も海や湖につながっているのものさ!ならば、この世とあの世の境界であるこの川は別の世界にだってつながっていてもおかしくはない!」

「さぁ、取舵いっぱい!ヨーソロー!」

「こんな小型の舟で使う用語ではないだろ!おっと!」

 無学がツッコミを入れ終わる前に、女は舟を左に旋回し流れに沿って川を下り始めた。女の櫂を動かす手は次第に軽やかになり舟の進む速度も次第に速くなっていった。

「ねぇ、本当にこれで行けるの!?」

「いけるさ!ただし、君のいう異世界とやらに行けたら後は君自身で何とかするんだよ。私は、そこまで手伝えないからね。」

 女は三途の川が別世界に繋がるとは信じてはいなかったが、それでも希望を胸に抱き櫂を漕いだ。

「無理無理無理!!というか流れ的に、転生特典とかチートスキルとかない感じだよね!?絶対に無理だよねこれ!?」

「そういう時は他人を頼ればいい。」

「いるかなぁ?」

「いるはずさ!君が助けを拒んだとしても絶対に助けようとする人間が!」

「俺、コミュニケーションとか超絶苦手なんですけど!」

「じゃあ、最初に会った人の手助けでもしたら?」

「できるかな?」

「出来るか出来ないかではなくてやりなさい。そもそも君は私に舟の渡し賃払ってないでしょ?」

「あ。」

「……それが、六文銭の代わりよ。」

 そういうと、女はさらに素早く櫂を漕ぎ舟の進む速度を上げた。無学は、あまりの速さに意識が朦朧とし始め、やがて意識を失ってしまった。

 だが、無学が意識を失う直前に女はこう呟いたのである。

Die todten死者たちは reiten疾く schnell!駆ける!


 それはレノーレのある一節だった。

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