第35話 ファミレスでの別れ


その日は、冬の始まりだった。


街中にクリスマスの装飾が増えて、誰もが浮き足立つような空気のなか。

今日は妃芽が付き合ってた倉地貴秀と別れ話をするそうだ。結構前から疎遠になり、別れをなあなあにしていたらしい。私は制服の上からコートを羽織りながら、一緒に妃芽とファミレスの中に入った。ここのファミレスは妃芽と真悠の思い出のファミレスだった。

私はこう言いたい。自分たちでさっさと別れ話しておけよ、と。

テーブルにはもう、倉地が座っていた。

私は静かに会釈をして、テーブルに座る。

水を口に含むふりをしながら、内心はぐちゃぐちゃだった。

本当はここに来るべきじゃなかった。

だけど妃芽に頼まれて、「立ち会ってほしい」と言われてしまった。

彼女が倉地くんと別れると、泣きそうな声で打ち明けてきたとき、

私は反射的に「行くよ」と言ってしまった。

(私は…何をしてるんだろう)

倉地くんの視線は妃芽の顔をまっすぐに捉えたまま。

彼女の口から出る言葉を、ただ黙って聞いていた。

「…ごめんね、私、うまくいかないと思った。

 私の気持ちが、あやふやになってきたの。倉地くんにはちゃんとした気持ちで向き合ってほしいから…」

「…そうか」

それだけを言って、彼は視線を落とした。

私の方を一瞬も見なかった。

……結局、私は、なんなんだろう。

妃芽の「恋人役」にもなれない。

倉地くんの「次の恋人」にもなれない。

私はただ、二人の“終わり”の証人でしかなかった。

ファミレスのBGMが、場違いなほど明るい曲を流していた。

ファミレスの薄暗い照明の下、

別れ話のテーブルには、静かな緊張が漂っていた。

倉地貴秀は、いつもの強がりな表情を崩しきれずにいたが、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

その涙は、誰にも見せたことのない弱さの証だった。

「……ごめん」

震える声で、彼は小さく呟く。

自分の中に渦巻く闇に押しつぶされそうになりながら、

それでも妃芽を失いたくないと思っていた。

しかし、その闇が彼を蝕み、

妃芽を傷つけ、距離を遠ざけてしまったことは紛れもない事実だった。

妃芽は彼の涙を見ても、もう迷わなかった。

自分のために立ち去ることが、二人にとって唯一の選択だと確信していた。

「さよなら」

その言葉とともに、静かに立ち去る妃芽。ファミレスの片隅、真悠と倉地が向き合って座っていた。

空気は重く、言葉を選びながらも倉地は静かに口を開く。

「真悠さん……俺のどこが悪かったのかな」

その声はどこか震えていて、ただの問いかけ以上に、自分自身への問いでもあった。

真悠は黙って倉地の顔を見つめる。

心の中で揺れ動く感情があった。

「……わからない」

正直な気持ちを伝えようとしたが、言葉が詰まる。

倉地は苦しそうに続ける。

「妃芽のこと、大事にしてたつもりだった。

でも、気づいたら壊してた。

俺は何を間違えたんだろう」

その瞳には迷いと後悔、そして闇の影が見え隠れしていた。

真悠は静かに息をつき、言葉を選んだ。

ファミレスの片隅、真悠と倉地が向き合って座っていた。

倉地の表情はどこか影を帯びていて、その瞳には抑えきれない欲望の痕跡が見え隠れしていた。

真悠は言葉を探しながらも、倉地の本当の問題が欲望にあることを感じ取っていた。

「……正直に言うと、あなたの欲望が妃芽を苦しめたんだと思う、妃芽から聞いた話だから本当かよくわからないんだけど、彼女の気持ちより、自分の欲求を優先してしまったんじゃない?」

倉地は一瞬言葉を失い、しかしすぐに苦しそうに続けた。

「そうだったかもしれない……でも、俺は彼女が好きだった。

好きだから、どうしても触れたくて、そばにいたくて……」

その言葉の裏にある重さは、単なる愛情以上のものだった。

自制できない欲望が二人の間に暗い影を落とし、妃芽との関係を蝕んだのだ。

真悠は静かに息をつき、言葉を選んだ。

「その欲望を、自分でコントロールできなかったことが一番の問題だよ。

それがある限り、誰かを本当に愛することと愛されることは難しいかもね」

倉地は俯き、真剣な眼差しで真悠を見返した。

「……分かってる。俺は間違ってた」

二人の間に重い沈黙が流れる。

そこには憎しみでもなく、ただ深い哀しみと理解が交錯していた。ファミレスのテーブルを挟んで、倉地は真悠をじっと見つめた。

その目には熱があり、言葉には強い説得力があった。

「でもな……本当に好きなら、好きな人になら、触れられたいと思わないのか?

もっと深いところまで、行きたいと思わないのか?」

倉地の声には、自分の欲望を肯定し、理解してほしいという切実な願いが混ざっていた。

「俺は妃芽が好きだった。だからこそ、求めてしまったんだ。

それが間違いだってわかってるけど……どうしても抑えられなかった」

真悠はその言葉を聞きながらも、倉地の“好き”と“欲望”の境界線が曖昧なことに胸が痛んだ。

「でも、それはあなたのエゴだよ。

相手の気持ちや限界を尊重しないのは、愛じゃない」

倉地は黙り込み、深く息をついた。

その言い訳の奥に隠れた孤独と矛盾が、彼の心を締め付けていた。

帰り道、「ありがとう、来てくれて」

店を出たあと、妃芽が私の腕をそっとつかんでそう言った。

その目には、涙がにじんでいた。

思わず抱きしめたくなった。

でも、それは“親友として”なのか、“それ以上”なのか、自分でもよく分からなかった。

「…ねえ、妃芽は、私のことどう思ってる?」

ふと、口が勝手に動いてしまった。

妃芽は一瞬きょとんとして、でもすぐに笑った。

「真悠は、大事な人だよ」

その言葉は、やさしすぎて残酷だった。

私は笑ってうなずいたけど、心の中は泣いていた。

(私はまた、主役にはなれない)

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