第30話 ねえ、真悠ってさ、もう私の方……みてないの?
その日は、曇り空だった。
放課後、吹奏楽部の部室。
練習が終わり、真悠は急いで帰る準備をしていた。
「ごめん、今日はちょっと早く出なきゃで……」
「……うん、わかった」
妃芽は、それだけ返して真悠を見送った。
(最近、こんな感じばっか)
練習後にふたりでコンビニに寄ったり、
なんとなくしゃべりながら帰ったり。
あたりまえだった日々が、少しずつ減ってきていた。
鞄を抱えたまま椅子に腰かけて、
妃芽は天井を見上げた。
(何が変わったんだろう、私たち)
(……いや、変わったのは、真悠の方じゃなくて、私なのかも)
帰り道。
妃芽は、わざと遠回りをして、近くの小さな公園に寄った。
ベンチに座ってスマホを見ていたら、
見慣れたSNSのストーリーズに似たような写真が2つ続いて流れてきた。「このアカウントって...」見慣れた、ユーザーネーム。アイコンをタッチするとやはり真悠。もう一方の方のアイコンは、アイドルの写真、タッチすると藤井渚と書いてあった。
指先がぴくっと止まった。
(また……渚くん)
この前、下校中にふたりが並んで歩いてるのを見た。
ふと視線を交わして笑うその感じが、
どうしても頭から離れなかった。
(真悠、私にはあんな顔……最近、してない)
スマホをそっと伏せて、空を見上げる。
「ねえ……真悠」
声に出しても届かない。
それでもつぶやいてしまう。
「私、気づいてたよ。
ずっと前から、私の方を“好き”だったかもしれないって」
「私も……もしかしたら、そうだったのかもしれない」
「でも、今の真悠は……」
(もう私の方、見てないの?)
胸が痛い。
わかってる。
そんな気がしてただけ。
決定的なことなんて、起きてない。
でも。
「ねぇ、真悠、私……
ずっと隣にいたのに……なんでこんなに、不安なの?」
その日の夜。
綿貫小凪から、LINEが届いた。
「最近、真悠ちゃんのことで、何かあった?」
妃芽は、すぐには返事ができなかった。
けれど、画面を見つめたまま、
涙が一粒だけ、落ちた。
「真悠のこと、ちゃんと見てますか?」
生徒会室から出てきた藤井渚は、
廊下の突き当たりで誰かと目が合った。
ふわっと揺れるセミロングの髪。
まっすぐな瞳。
その人は、間違いようのない存在だった。
「……音無さん」
「……藤井くん」
一瞬の間。
けれど、お互いが「話すべきことがある」ことは、
無言のうちに理解していた。
「ちょっとだけ、話せる?」
妃芽が口を開いた。
「もちろん」
校舎裏の植え込み。
ひんやりとした空気の中、ふたりは並んで立った。
「真悠と……よく話してるよね、最近」
妃芽の言葉に、渚は驚きもせず、ただうなずく。
「うん。
たぶん、俺のこと、ちょっと気にしてくれてる」
「……好きなんだ、真悠のこと」
渚は少し微笑んだ。
「うん、好きだよ。
最初はただ、となりの席ってだけだったけど……
気づいたら、目で追ってた」
妃芽は、うつむいたまま言葉を探しているようだった。
そして、ぽつりとこぼす。
「私……藤井くんの“好き”に、負けそう」
「……」
「自信があったわけじゃないけど、
でも、真悠の隣は私の場所だって……ずっと、思ってたから」
渚は、真っ直ぐ妃芽を見た。
その視線に、敵意も、勝ち誇りも、なかった。
「音無さん。
俺、別に勝ちたいわけじゃない。
ただ、“真悠がちゃんと幸せになれる”って信じたいだけ」
「……それが、私じゃないかもしれないって思うと、怖くなる」
「怖いよね。俺も、怖いよ。
真悠が原くんと話してた日、
隣にいたのが自分じゃなかったこと、ちゃんと覚えてる」
「……じゃあ、なんで笑ってられるの?」
「笑ってるわけじゃないよ。
でも、真悠がどこを見て、誰にときめいて、
誰に手を差し出したいのか。
それをちゃんと見届けたいって思ったから」
妃芽は、少しだけ目を伏せて、口を結んだ。
「……私、ずるいよね。
自分でも、真悠のこと……“どう”好きなのか、よく分からないのに」
「それでも、好きなんでしょ」
「……うん」
「だったら、それでいいんじゃない?」
渚の言葉は、どこまでもまっすぐだった。
ふたりの間にあった緊張が、ほんの少しだけ溶ける。
妃芽が、小さく呟いた。
「真悠のこと、ちゃんと見ててね。
あの子、全部は言わないから。
自分のこと、いつも隠すから」
「……わかった。ありがとう」
その声は、
宣戦布告でも、降参でもない。
ただひとりの女の子を、
ふたりが“別々の角度から大事に想っている”証だった。
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