第3話 オーディションで殺し合わないで!!

 あんこは、武器が並ぶ机の前で凍りついていた。

 まるで舞台装置のように整然と置かれたそれらは、冗談にも見えず、現実でもないように思えた。


「……嘘でしょ……?」


 震える声が漏れた。だが、その瞬間——


 背後からぬっと現れた夜街が、低く、冷たく言い放った。


「ここまで秘密を知って、生かして返すわけにはいかないの」


 夜街はちらりと腰の後ろに隠していた斧を覗かせた。

 刃の部分はうっすら赤黒く、使用済みであることを匂わせた。


「戦わないっていうなら——ここで殺すよ」


 あんこはゾクリと背中が冷たくなった。

 そんな目で、推しが、こちらを見ている。

 あの“れいせい”の優しい笑顔ではない。

 今の彼女は、戦場の化け物のようだった。


(勝てるわけがない……)


 夜街の戦闘力はさっき鎌を防がれたときに思い知らされていた。自分とは、腕力も経験も天と地ほど差があった。

 ——夜街から逃げることはできない。

 逃げ場のない舞台の中で、あんこは一か八か、戦うという選択肢にしがみついた。


 武器を見た。

 火炎瓶? そんなもの扱ったこともないし、火が自分に跳ねたら終わりだ。

 金属バット? 重すぎる。振る速度が遅ければ一撃も入らない。

 スタンガン? 初撃で当てられなければ反撃を食らう。


 (だったら——)


 彼女はそっと、ナイフを手に取った。

 家庭科で触ったことがある、小さな包丁。料理用に近い形のそれは、軽く、手に馴染んだ。


 (これなら……)


 夜街はその様子を見ながら、表情には出さなかったが、内心で感心していた。


 (この筋肉量と経験のなさで選ぶなら、それね……案外的確で冷静)


 ナイフ。素人が使うには最も単純かつ致死的な武器。

 それを迷わず選べるあたり、根は冷静な子かもしれない——そんな分析を脳内でしていた。



 武器の選択が終わると、ゴゴゴ……と、鈍い音とともに、部屋の片側の鉄製シャッターがゆっくりと開いた。


 目の前には黒い空間。

 あんこはゴクリと唾を飲んだ。


(相手って……誰? どんな人?)


 息を整えて、ナイフを握り直した。

 刹那、暗闇の向こうから、一つの影が走ってきた。


「っ!」


 それは、長身の男だった。

 ゴツい体格。腕には筋が走り、目は血走っていた。

 その男が、まっすぐ、あんこに向かって走ってきた——全力で。


(くる、くる、来る!!)


 あんこは思わず叫びそうになる喉を締めつけて、ナイフを構えた。


 男の手にも、ナイフ。


 奇しくも、選んだ武器は、まったく同じだった。


「っ……!」


 目の前に迫るナイフの銀光。

 あんこは咄嗟に身体をひねった。


 刃先はかすった。

 わずかに外れたナイフが、彼女の脇腹を裂いた。


「——あっ……!」


 皮膚が裂け、熱い血が溢れ出した。

 瞬間、痛みが電撃のように身体中を駆け巡った。

 足の力が抜けそうになって、視界が白く霞んだ。


 (……殺される)


 その言葉が脳内をよぎったとき、不思議と心が静かになった。

 現実感が、音もなく戻ってきた。


 ——視界が開けて、音が明瞭になった。

 相手の足の向き、手の筋肉の収縮、呼吸のリズム。すべてがクリアに見えた。


 (この男……リーチが長い。突っ込んだら、それで終わる)


 あんこは反射的に次の動きに備えた。

 相手の腕の振りと距離を計算しながら、紙一重で交わした。

 切先が頬をかすめ、空気が耳元で裂けた。


 (近づきすぎたらやられる。でも……)


 次の瞬間、あんこは男の背後へと、斜めに、低く、滑り込むように動いた。


 男の目がわずかに泳いで、そして。


 ——見失った。


 その一瞬の隙。


 あんこは身体を回転させるようにして、右手のナイフを振り上げた。


「——ッ!」


 男が殺気を察知して振り返った。


 だが、遅かった。


 ナイフの刃が、男の首の頸動脈に突き刺さった。

 手ごたえは、骨ではない。やわらかく、熱いものが刃を受け入れた。


 ゴポッ、と音がして、次の瞬間——


 ブシャッ!


 鮮血が吹き出した。

 あんこの顔、胸元、床にまで赤が飛び散った。


 男は喉を押さえて膝をつき、そのまま前のめりに崩れ落ちた。


 あんこは数秒、ただ呼吸をしていた。

 全身が震えていた。ナイフを持つ手が汗でぬめっていた。


 けれど、勝った——


 彼女は静かに、後ろを振り返った。

 血まみれのまま、安堵したような微笑みを浮かべて、夜街れいせいを見た。


 夜街は、その表情を無言で見つめていた。

 やがて、心の中で呟いた。


 (殺気の出し方がまだ甘い。手首の角度も未熟。けど……)


 その目は鋭く、そして、どこか楽しげだった。


 (死角に入る動き、存在感の消し方、そして——殺すことへの迷いのなさ。……これは、才能だわ)


 あの一瞬で、殺気を抑え、相手の裏を取るという判断。

 しかも、初めて人を殺すとは思えない覚悟と精度。


 (……いったい、どんな生き方をしたら、こんな子になるの?)


 ぞわり、と背筋に戦慄が走った。

 けれど、その戦慄は、不快なものではなかった。


「フフ……」


 夜街は、ゾクッとしたまま、ニヤリと笑った。

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