音楽の精霊・ルー①

 保健室のベッドに春ちゃんを寝かせると、私と音成はその横で向かい合うように座った。

 教室じゃあ寝かせるところがないし、話を聞くにしてもいつだれが来るかわからないから。

 雪くんにはスマホにメッセージを送っておいたし、大丈夫だよね。

 保健室の先生は会議中みたいでいなかったから、そのままそこで話をするのにも丁度良かった。


「じゃあ、話を聞かせて?」


 私がうながすと、音成の左肩の上あたりに浮かんでいるルーと呼ばれた子ライオンが話し出す。


「そうじゃのう……まずは何から話すべきか」

「とりあえず、えっと……ルー、さん? あなたは何なんですか?」


 えたいのしれない小さなライオンの正体をまず知りたい。

 姿形もそうだけれど、人の言葉をしゃべったり、宙に浮いたりする動物なんてふつうにありえないもん。


「ルーでいいぞ。口調もかたくるしいのはナシじゃ」

「あ、はい……じゃなくて、うん」

「ワシはな、音楽の精霊せいれいなんじゃ」


 器用に前足で自分の胸をポフッとたたいて得意そうにしている様子は、とてもかわいい。

 でも音楽の精霊なんて聞いたこともないし、なにそれ? としか思えないよ。


「音楽の精霊とはな、有名な音楽家が死後その功績こうせきをたたえられて精霊として第二の生を与えられた存在なんじゃ」


 私がちゃんと理解していないことに気づいてか、ルーはくわしく説明してくれる。


「まあ、音楽を守る守護霊しゅごれいみたいなものだと思えばいい」

「はあ……」


 まあ、なんとなーくはわかった……かな?


「ってことは、ルーは有名な音楽家だったってこと?」

「そうじゃよ。聞いたことあるじゃろ? ワシの人間だったころの名はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンという」

「え……?」


 ルートヴィヒ・ヴァン……。


「ベートーベン!?」


 聞いたことあるもなにも、音楽にくわしくなくても知らない人はいないんじゃないかってくらい有名じゃない!


「ほ、本当にベートーベンなの!? 病気で耳が聞こえなくなっても、幼い頃からの英才教育でつちかった音の記憶や技術を使って、その後も数々の名曲を生み出した!?」


 有名な偉人いじんが精霊になるとか、普通だったら信じられない。

 でも、ルーは人の言葉をしゃべってるし宙に浮いてるし、とつぜん空中から現れるし。

 全部を否定するには不思議なことが多すぎる。信じられないって言うことは出来なかった。


「……水谷、お前音楽キライって言ってたわりに音楽家にくわしいな?」

「うっ……」


 今までだまって会話を聞いていた音成に指摘されて言葉につまる。

 これ以上つっこまれたくなくて、答えの代わりに質問した。


「それより! そんな音楽の精霊と音成はどういう関係なの? この間音楽室で話してた相手もルーだったんでしょ?」


 誤魔化すための質問だけれど、実際気になってたことだ。

 質問に音成はしぶい顔をする。苦虫を噛み潰したような顔って、こういう感じなのか持って思った。


「やっぱ音楽室でのことも気づいてたのかよ……」


 文句を言うみたいにつぶやいた音成は、そのままの苦い表情で説明する。


「オレはマギ・スティムメルなんだ」

「まぎ? は?」


 聞いたことのない言葉にハテナマークしか浮かばない。

 そういえば音楽室でもマギ何とかって聞こえたような……。


「マギ・スティムメル。魔導調律師まどうちょうりつしとも言う」

「魔導調律師? 魔導はよくわからないけれど、調律師ってピアノの調律とかする人のことだよね?」

「そうだよ……ってか、やっぱりくわしいじゃん」


 ジトッ、としめった目で見られて私は誤魔化すように話の続きをうながした。


「ぐっ……そ、それより。マギってなに? 普通の調律師じゃないってことなんでしょ?」

「まあな。マギ・スティムメルはトリトナスを消滅させるマギ・ディリゲントが使う道具を調整するんだ」

「トリトナス? マギ・ディリ……ってなに?」


 トリトナスはさっきもルーが言ってたよね?

 もう一つの方はまたマギってつくし、よくわからないよ。

 ハテナマークばかり浮かべる私に、今度はルーが説明を続けてくれた。


「トリトナスは音をくるわせる化け物なんじゃ。不協和音を響かせて音楽をゆがませる」


 話しながら、ルーは春ちゃんの方へとふよふよ浮いて移動する。


「そしてトリトナスに取りかれた人間は、ゆがんだ音楽によって元々持っていた不安や不満を強調させられる。強くなった不安や不満は心をむしばみ、最終的には心を病んでしまうんじゃ」

「え?」


 あおむけに寝ている春ちゃんの上にトン、と降り立ったルーは、かなしそうな目で春ちゃんを見る。


「かわいそうに、この子は今トリトナスに取り憑かれておる」

「は? 取り憑りかれてる? 春ちゃんが?」


 次から次へと訳のわからないことを言われて理解が追いつかない。

 でも、さっきの春ちゃんはたしかにいつもとちがっていた。


『福雪福雪って、いっつも福雪のことばっかりで……福雪だってきっと、私の気持ちなんてわかってないんだ……』


 将来のことで悩みはあったかもしれないけれど、いつも仲の良い雪くんのことをあんな風に言うなんて……。

 さっきの春ちゃんの様子を思い出して、ドクドクと胸の鼓動がイヤな感じに早まる。

 あそこまで言っちゃったのは、そのトリトナスのゆがんだ音楽のせいなの?

 将来の悩みとか、私も知らない家での不満とかが強調されちゃったってこと?

 本当に、春ちゃんがそのトリトナスっていう化け物に取り憑かれているの?


「音楽の精霊であるワシはトリトナスを見つけることはできるが、消滅させることは出来ないんじゃ。見守る立場の精霊は、直接手出しできぬ……それは今を生きる人間の仕事なんじゃ」


 春ちゃんの上に乗ったまま、ルーは私を見る。


「嬢ちゃん、ソウカと言ったか? ソウカにはマギ・ディリゲントの素質がある。この子に取り憑いているトリトナスを消滅してくれんか?」


 かわいいライオンの姿だけれど、私を真っ直ぐ見つめてくる目は真剣そのもの。そのひたむきさに、私はゴクリとつばを飲み込んだ。

 正直言うと、マギ・ディリゲントなんてわけのわからないものになりたいなんて思わない。

 でも、春ちゃんをこのままになんて出来ないし……。

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