転生伯爵令嬢は王弟殿下とともに冷蔵庫を普及させます!

祐里

1. 伯爵襲撃

 私が異世界に転生してから、十七年の歳月が過ぎた。


「お嬢様、本当にお作りになりたいのですか? 普通の家庭には手に余るものでは……?」

「そんなことないって。王宮の厨房だの貴族の屋敷の厨房だので使われているのより小さく作るつもりだし」

「それはそうでしょうけれど……」


「はぁあぁあ」と大げさにため息をつく使用人のマリアに、鏡越しに強く言う。


「いいのよ、この全身黒タイツで! 今日こそ……今日こそ!」

「……何とかなると、良うございますね」


 そう小さく言いながら、マリアは私のミルクティーブラウンの髪をお団子に結ってくれた。


 ◇


 忍び込んだのは、伯爵家の静かな執務室。ターゲットは肘掛け付きの高級感溢れる椅子に座る男。彼は今、リラックスしているに違いない。椅子に深く腰掛け、その筋肉質な背中をゆったりと背もたれにあずけているのだから。しかも執事が運んだお茶を飲みながら、お気に入りの羽ペンを手で弄んでいる。


 いくわよ、と心の中だけで呟き、私は彼の背中側にすっと降り立った。手に持つナイフはもちろん彼の……


「よさないか、カレン」

「!!」


 ナイフは羽ペンを持っていたはずの男の手によって阻止され、その喉元に届く前にふかふかの絨毯の上に落ちてしまった。気配の消し方は完璧だったというのに。


「ど、どうして……!」

「どうしてって、毎日同じ時刻に同じやり方で襲われているんだ、そりゃわかるというものだろう。いいから、こちらに並んでご挨拶なさい。ほら、フランツ様に笑われているぞ」

「えっ……? えっ? フランツ様……?」


 お父様の視線を追うと、王弟殿下のフランツ様とお付きの男性がしゃがみこんで肩を震わせている。この時間はいつもお一人でいらっしゃるターゲットのお父様以外、全然目に入っていなかった。まさかフランツ様がお見えになっていたとは。


「あ、その、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。ええと……、ご、ご機嫌麗しゅうござい……ます……」


 カーテシーをしようとして、スカートを摘もうとした手が空を切る。全身タイツってこういうとき不便。


 フランツ様は私に「やあ、カレン。久しぶりだね」と言うと、目尻に溜まった涙を拭った。その拍子に揺れたハニーブロンドの髪と紫の目がとてもきれいで、私は少しの間見とれてしまった。年は一つしか違わないのに、他国との交渉事などに従事されていて、学園を卒業される前からご活躍されていると評判だ。そんな立派な方が、どうして……?


「カレン、しばらく一緒にお茶でも飲もうではないか。フランツ様もおまえに話があるとおっしゃっているんだよ」

「お、お話、ですか……?」

「まずは着替えてきなさい」


 お父様が呼鈴を鳴らすと、お世話係としてのスキルを日々磨くことに余念がない使用人中の使用人、つまり精鋭部隊が即座にやってきた。マリアはその筆頭だ。


「お待たせいたしました、旦那様。ご用件承りました」


 そう言うと一人が左腕、もう一人が右腕、マリアが足を持ち上げて、私は床から浮いてしまった。


「ちょっ、何これ! お父様まだ何もおっしゃってないわよ、何を承ったっていうの!」

「お着替えが必要でございます。さあ、参りましょう。あまりお客様をお待たせしてはいけません」


 精鋭部隊は私を運びながらフランツ様に向かって一礼をした。しかもマリアは私が絨毯に落としたナイフを拾っていた。器用すぎると思う。


 お父様の執務室から運び出される私が見たものは、もう我慢できないというように盛大に吹き出したのち、天井を仰いで豪快に笑うフランツ様だった。

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