第2話 ケーキ
「本国では、『ありがとう』を禁止しています。よろしいですかね、旅人さん」
フリックと別れて、彼の言ったファリストという国に辿り着いたベルたちが、入国手続きを終えた直後のこと。それまで手続きをしてくれていた衛兵の男に突然、そのようなことを言われた。
「ありがとうを禁止って、どういうことですか。なんで禁止されてるんですか」
突然のことで訳が分からなくなっているベルが詳しい説明を求めて衛兵に聞き返す。しかし衛兵は「そういう規則なのです」と一辺倒の答えを返すのみで特になぜという部分には答えようとしない。理解が出来ず、なおもベルは食い下がろうとするが、それを引き留めたのはルアンだった。
「これ以上ここで揉めたって仕方がねえ。これで入国取り消しにでもなろうものなら堪ったもんじゃない。一旦引け」
そろそろ日も暮れ
「それもそうだね。なんでかは中で聞けばいいか」
「納得いただけましたか」
衛兵が聞いてくる。差し詰め入国審査の最終チェックといったところか。
「納得はしていないですけど、理解はしました。ぼくたちはこの国に入ってから、ありがとうとは言いません。この国の規則に従います」
その言葉を聞き届けて、衛兵は大仰に頷く。
「ご理解いただけたようで、何よりです」
これで審査が通ったということなのだろう。重厚な扉がギイイと口を開ける。
「歓迎しますよ、旅人さん。ようこそ、ファリストへ!!!」
「取り敢えず、宿を探さないとだね」
一先ず国に入ることができたベルたちであるが、このままでは衣食住の住なしである。日が落ちる前に今日泊まる宿くらいは確保しておきたい。そうベルが周りをキョロキョロと見回っていると、不意に、勢いよく何かにぶつかられた。左に傾いた体はバランスを失い、ベルはその場に尻もちをつく。
「いったたたた……」
「いたた……」
ひりひりと痛む尻をベルが擦っていると、同じような声が聞こえてくる。顔をあげてみればそこには、真新しいピンクのワンピースに身を包んだ女の子がベルと同じく地面に尻もちをついていた。その横には透明な袋に入った箱が転がっている。
「何すんだ、ガキ!!」
「ひぃいいい……!!」
ルアンがその女の子に向けて吠える。獣に吠えられた女の子は恐怖に顔を引き攣らせ、後退る。
「まあまあ、この子も悪気はなかっただろうしさ」
まだ痛む尻を抑えて立ち上がったベルがルアンを宥めて言う。続けて、女の子へと手を伸ばした。
「うちのルアンがごめんね。怪我はしてない?」
「だいじょうぶ……」
女の子はベルの手を掴んで立ち上がった。その直後、「リリー!!」という声と共に女の子よりも二回りほど背の高い女性が走ってやってきた。ベルは、すぐさまこの女性が女の子の母親だと直感する。ベルたちの元までやってきた女性は、ぜえはあ、ぜえはあと肩で息をしていた。
「うちの子が、すみませんでした……」
「いえいえ、ぼーっとしていたぼくも悪いんですし。お互い様です」
ベルはそう返したが、女性は納得いかず我が子に起立をさせると「ほら、あなたも謝りなさい」と女の子の頭に手をやって、一緒に謝罪させる。腰が曲がるその刹那、ベルが捉えた彼女の顔は、少し
「本当に気にしていないので。それより、大丈夫ですか? リリーちゃん?の、足元に箱が転がっていますけど」
言われて、リリーとその母親は足元に視線を落とした。そこには、彼女が尻もちをついたときに地面に落ちたであろう、袋入りの四角い白い箱が転がっている。
「あ……あ…………」
リリーはそれを拾い上げると、袋の中から、
ベルもその中身を覗き見て、彼女が泣き出した理由を察した。
箱の中身は白いホイップクリームに包まれたケーキだった。だが、落ちた衝撃で、原型を失ってべちゃりと崩れてしまっている。
遂には決壊し、リリーは大声を上げて泣き始めてしまった。日が落ちかける道の真ん中に、烏よりも大きな彼女の泣き声が響く。
「ほら、急に走り出すからこうなるのよ」
母親はリリーを
彼女の格好や、ケーキを持っていたことから、おそらく、今日はお祝いだったものと思われる。それも、彼女が主役の。
子供の泣き声に弱いルアンは耳を畳んで俯いている。
このまま立ち去ってしまっては寝覚めが悪い。それに、周りに注意していなかったベルにも非がないとは言えない。
ベルは、わんわんと大粒の涙を流す彼女に、「ちょっとだけ失礼するね」と言って箱の上、ケーキの上に右手をあてがう。そして、唱えた。
「
すると、ケーキは
その様子を見ていた彼女の顔に、笑みが戻り始める。泣き腫らした後の赤い顔で、喜びにあふれた笑顔を咲かせて、彼女はベルに言った。
「すみません!!」
直後、ベルは右頬を殴られたような衝撃を受けて固まってしまった。
「ねえみて、まま! ケーキなおった!!」
呆然と立ち尽くしているベルを後目に、リリーは母親に魔法で元に戻ったケーキを見せている。「よかったわね」なんていう母親の声が、ベルの耳には遠く聞こえた。
「ベル。おい、ベル!!」
ルアンに呼ばれて、ようやくベルは意識を取り戻した。ルアンが首だけを向けて視線を誘導する。
「この度は、娘からぶつかったにも係わらず、怒らないばかりかケーキまで戻していただいてしまって……。本当に頭が上がりません」
「い……いえ」
「本当に、本当にすみませんでした。何か、お詫びをさせてください」
「えと……、じゃあ……今日一泊できる宿教えてください」
女性の申し出に、ベルはそう辛うじて答えるのが精一杯だった。
リリーの母親に教えてもらった宿屋にて、簡単な手続きを済ませたベルは、用意されたベッドの上に腰掛ける。思い出すのは、入国時に衛兵に告げられた言葉。
――本国では、『ありがとう』を禁止しています。
それまで、ベルはその言葉をあまり信じていなかった。なぜそんなことをするのか意味が分からないのもそうだし、不便すぎるだろう。
ベルがリリーのケーキを魔法で戻してあげたことで言われたあの瞬間、ベルは背筋に悪寒が走るような気持ちの悪さを感じた。違和感、というのもそうだが、なんというか――自分のことをあくまでも下に見ているかのような歪さが、ベルの胸を恐怖で支配した。今日は、彼女が主役のはずなのに。
「夕飯食いに行かねえのか?」
ベッドの上から窓の外をぼんやりと眺めているベルに向かって、ルアンが聞いてくる。
「果物あるし、今日はいいや」
「そうかよ」
そうは言いつつも、ベルは果物に一つも手を付けようとしない。ぼーっと、窓の外を見ている。
「ねえ、ルアン。人は誕生日をお祝いするんだよね」
「ん? ああ、そうだな。そういや、エルフにはない文化なんだっけか」
寿命の短い人間と違い、ベルのような長命種のエルフは年を取る、という感覚がない。そもそも、いつ生まれたのかさえ理解している者がないのである。ベルだって、自分がいつ生まれて、それから何年経ったのかなんて覚えていない。数える必要がないのだ。
「でも、人間はお祝いする。生まれてきてくれたことに、精一杯の感謝をするんだよね」
――で、あるならば。
「『ありがとう』が禁止されたこの国で、あの家族はなんのために誕生日をやるんだろうね」
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