第4話 兄と弟


 炎が空を赤く染め、黒煙があたりに立ち込める。部隊は倒したケオヴァスの遺骸を焼いていた。殻がひび割れる音が響く中、治療を終えたエウェルは救護所で横になっていた。

 幸い、打撲で済んだが呼吸をすると脇腹に痛みが走る。こんな時に足手まといになるなんてと自分を責めていると、「入るぞ」とランヴァルトの声がした。


「……起き上がることはできるようだな」

「こんな時に申し訳ありません」

「ケオヴァス本体はこちらで狩る。動けるようになったら別動隊と一緒に巣穴を掃討してほしい」

「承知しました」


 そう言うと、ランヴァルトは天幕を出ていく。再び横になろうとしたその時、小さな袋が胸に直撃した。恐る恐る開けてみると、濃い緑色の丸薬がいくつか入っている。


「(毒……ではないよな)」


 恐る恐る口に含むと丸薬はたちまち溶け、痛みが引いていく。他にも重傷の兵はいるのに、なぜこんな貴重なものを分けてくれたのだろう。しかしそんな疑問は空腹によってかき消された。ひとまず作戦に復帰するのが先だ。


 

 


 部隊は翌日からケオヴァスを一体ずつ確実に撃破していった。怪我から復帰したエウェルも別動隊と共に巣穴を徹底的に破壊。日が経つにつれてケオヴァスは徐々に気配を消していった。

 作戦開始から十日目の夜。ランヴァルトは作戦の成功を高らかに宣言。兵達が作戦成功を祝うなか、エウェルが二人分の食事を手に天幕へ戻ると、トモエは自分の弓をじっと見つめていた。

 

「どうした?」

「なんでもないわ」


 笑っているが、声に元気がない。エウェルがそれに気がつくと、トモエは気まずそうに目を伏せる。


「……足手まといになるんじゃないかって不安なの。自分から一緒に魔女を倒そうって言ったくせに、ごめんなさい」


 弓に自信があることに変わりはない。しかし初めて本格的な戦闘を経験したトモエは自分が井の中の蛙であることを痛感させられた。式神もいるが、大鷲のように戦闘向きではなく、索敵がせいぜいだ。


「敵の弱点を最初に見つけたのはトモエだ。それだけでも十分すごいよ」

「……」

「帰ったらまた手合わせしよう?」

「……うん」


 大鷲が二人を援護したおかげで、兵達の態度は幾分和らいでいた。練兵場の隅なら貸してもらえるかもしれない。

 二人が食事をする頃、部下からとある報告を受けたランヴァルトはあまりの怒りに持っていた羊皮紙を握りつぶした。彼の側近である老兵ロバートが視線で諌めると、頭をガシガシと掻き、「長は常に冷静に」ランヴァルトはボソッと口にする。


「大公がきちんと対処する。お前の役目は、部下たちを都に連れ帰ることだ」

「……わかってる」


 ここから歩いて一日もしない距離にある、かつての貿易の中心都市キアス。部下の報告では領主は自身の保身と引替えに、弱った領民をケオヴァスの餌として差し出していた。力を持つ者は弱き者を護らねばならない。領主ともなればなおさらだというのに、この非常時にそんな愚か者がいたなんて。はらわたが煮えくり返るのを我慢しながら伝書鳩を飛ばすと、ランヴァルトは隊に撤退の号令を出した。




 

 隊が都に凱旋すると、人々が歓喜の声で彼らを出迎える。大公であるデクランも隊の健闘を讃え、殉死した者達への弔辞を示すと彼らを労うための宴を催した。


「おい」


 それぞれ部屋に戻ろうとするエウェルとトモエにランヴァルトが声をかける。


「宴には出ないのか」

「私がいては盛り上がりに欠けてしまいます」

「……奪還作戦への助力感謝する。部屋に料理と酒を届けさせよう」

「お気遣いありがとうございます。殿下」


 そう言うと、ランヴァルトは二人に背中を向けて兄デクランが待つ塔へ急いだ。階段を二弾飛ばしで駆け上がると、デクランは塔の胸壁に腰を下ろしていた。焦げ茶の髪を靡かせながら月を背に佇むその姿が亡き父と重なる。


「来たか」

「彼は?」


 その時。遠くから大きな羽音が響き渡る。強風で木々がしなり、獣たちは急いで巣穴へ駆け戻った。次第に音が近づいて大きな影が落ちたかと思うと、二人の目の前に城を覆うほど大きな年老いた鷲が現れた。


偉大なる大鷲ハーパルニゴス、此度は我らへの助力感謝する」


 跪いて礼を述べるデクランにハーパルニゴスは老いて白んだ瞳を向けた。


『あの虫共には我らの巣も荒らされた。当然のことをしたまでよ』

「それで、話とはなんです?」

『魔女の娘の旅についてだ。月の神メノンの息子ランヴァルト、お前も彼女らについて行け』


 ハーパルニゴスの言葉に二人は眉を上げた。デクランには実子が二人いるが、ランヴァルトは依然公国の継承者の一人であり、軍の指揮官の一人である。


「ハーパルニゴス、我らは交易路を取り返したばかりだ」

『魔女は日に日に力を増している。そう遠くないうちにこの大陸は魔物共に覆われるであろう。ノイクラッグとて相応の対価を払わねば、この波は止められぬ』

「っ……!」


 交易路一帯の魔物は駆逐したが新たな脅威が出現する可能性は残っている。しかしエウェルが魔女を倒せる確証もない。ならば公国の中でも特に武勇に優れたランヴァルトが代表として旅に参加するのも1つの手だ。

デクランはしばらくの間沈黙し、「承知した」と声を絞り出した。足早にその場を去ろうとするデクランの表情に気がついたランヴァルトは思わず「兄さん!」と呼び止める。


「俺以外にも優秀な奴はいる。そいつを旅に……」

「馬鹿を言うな!原初の獣の末裔たる大鷲からの助言を無碍にしようとするなど、貴様それでも大公家の人間か!?」


 デクランは激昂すると、思わずランヴァルトの胸ぐらを掴んで胸壁に押し付けた。


「大公として命じる。奴らに随行し、魔女の首をとってこい。月の神メノンの息子ならそれぐらい造作もないだろう……っ!?」


 そう言うとデクランは足音を響かせながら塔を後にした。ノイクラッグの民は原初の神々のひと柱である月の神メノンを奉じている。月の輝きをその身に宿した男神は狩猟神の側面もあり、銀の髪と白い肌を持つ男性の戦士を月の神メノンの息子と呼んでいた。


『あやつは死んだ父にそっくりだ』

「……無礼をお許しください」


 その外見ゆえに数多戦場に駆り出されてきたランヴァルトとは違い、兄はその立場故に機会に恵まれなかった。月の神メノンの息子と呼ばれることはノイクラッグの男にとって最上級の誉である。しかしたった一人の肉親との間に溝が生まれるくらいなら、兄と同じ黒髪でいたかった。


『良い。あやつの気持ちも分かるからな。兄を大事にせよ』


 飛び去っていくハーパルニゴスを見つめながら、ランヴァルトはこの外見で大公家に生まれた自分の運命を呪った。

 すぐ部屋に帰る気になれず、ランヴァルトはその場に座り込んだ。ハーパルニゴスの助言は正しい。しかしエウェルの存在が彼に大きな影を落としていた。想像していたような悪い人物ではない。婚約の話も魔女による襲撃で有耶無耶になっていたものの、まさか未亡人の髪型で現れるとは予想しなかった。


「……俺には、関係ない」


 民を苦しめる魔女の手からノイクラッグの民を解放する。覚悟を決めたランヴァルトは立ち上がると、沈んだ心を鼓舞するような足取りで宴が続く広間へ向かった。

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