かわいらしいふたり

幸千……そんなこと言わないで。

声は出なかった、さっきとは違う感覚……まるで声帯に石ころが詰まったように息しか漏れない。

目の前の幸千は、俺が一番見たくなかった幸千で……どうして、そんなことをそんな顔で俺に告げてくるんだと、俺のからっぽの頭はパニック状態だ。

だって、誰か聞いてくれよ。



俺の好きな子が、涙を流して今にも苦しみで死にそうな顔をしながら……俺に別れを告げているんだぜ?



こんなこと、あってはならないって俺は瞬時に思った。 それと同時に俺の身体は、後先も考えずに動いていた。

俺は幸千の顔が周りに見えないように抱きしめた、強く。 強く。

抱きしめた幸千の身体は、少しだけ冷たくて小さく震えていて……怖がっていた。 俺は幸千の言葉を少しだけ聞きたくなくて、強めに抱きしめてしまっていたみたいで、胸元で「苦し……ッ」と声が聞こえた。

「ごめ、少し、緩めるから、俺の話も聞いて…欲しい」

うなずく感触がした、俺は息ができるように力を緩めた。 すると、幸千は離れようと両手で腕を押してきた。

俺は幸千の要求に応えたかったけど、今離したら……幸千が本当に遠くへ行きそうで、怖くなった。

俺は、幸千に顔を見られないように抱きしめながらぽつりとつぶやいた。


「……やだ」


抱きしめられたまま顔を上げたであろう幸千が、息を呑むのを肌で感じた。 俺は抱きしめたままぼそりぼそりと話し始めた。

「俺、幸千がいい。 無理、してないし……幸千が好きだから、そばにいたい。 いやじゃない、荷物じゃない、俺、幸千が見られない日なんて、耐えられない」

話しているうちに涙が下に落ちていく、鼻水だって出てきた。 猶更、全部言い終わらないといけない状況になった。

俺は、思いの丈を少しずつ幸千に伝えていった。

「俺は、出会ったときから……幸千が、好きだ。 幸千のこと、ずっと見てて、ずっと飽きなくて、反応もいつも素敵で、ウマが合って、幸千以外の子、考えたことないぐらいなのに……お別れなんて、したくない」

「幸千が離れたいって、思ったら……離れてくれて、かまわないから、だから、俺頑張るから……さちちゃん、自分を荷物とか言わないでよ」


「俺は、さちちゃんと結婚したいぐらい、大好きなんだよッ」


言い切ったと思う、これ以上言葉は出てこなかった。

あと嗚咽だけ……と思っていたら、幸千が強めに力を入れて俺の胸を押してきた。

「ちょっ……と、離れて、わかったからッ!」

「ぶえ?」

俺は情けない言葉を放ちながら離れた、顔を見せずごそごそと手荷物からハンカチを取り出し、俺に手渡してきた。

俺はハンカチを受け取るか悩んだ……けど、やっぱり受け取ることにしたんだ。


それはなぜかっていうと……幸千の瞳に、さっきの苦しそうな光がなかったからだ。


俺はハンカチを受け取ったけど、どうしたらいいかわからずにとまどった。 それを見かねた幸千がハンカチを奪い取ると、俺の涙と鼻水を優しくふき取ったのだ!

「ち、ちさちゃ」

「うるさい、うごくな」

最初は優しかったのに、俺の顔を拭く幸千の力が強くなっていく。 最後にはまるで、頑固な汚れを取るようにごしごしし始めた、あと拭いた鼻水を自分の顔に塗りたくられた。

「っつ、いったいよ、さちちゃん」

「……のぶみちくんの、わからずや」

小さいころの呼び方にハッとして、拭いている手に触れた。 ハンカチを少しずらして幸千の顔を覗くと、幸千は大粒の涙をたくさんこぼしていた。

俺はハッとし、掴んだ手を慌てて離す。 いつものタオルは教室のバッグの中で取りに行くなんて暇はない、俺は学ランの袖で幸千ちゃんの涙を拭いた。

ゆっくりと幸千の左掌が、俺の右手の甲を包む。 視線を泳がせながらも幸千を見て、俺の世界は幸千でいっぱいになった。




俺の大好きな万華鏡のような瞳は幸せいっぱいで、表情は今までで一番可愛らしく、嬉しそうに幸千が微笑んでいた。




胸が痛い、心臓が波打ってうるさいって、すごい今思うんだ。

俺があまりの綺麗さに言葉を失っていると、今度は幸千がぽつりぽつりと話してきた。

「……私、最初逢ったときそんなに好きじゃ、なかった」

「それ今言う?!」

いつも通りに突っ込んでしまった、わたわたする俺の様子に幸千は少し笑う。 反応は間違ってないらしい、俺はほっとして、幸千はそのまま話を続ける。

「あの日からずっと、信道はわざわざ私の病室に来てくれてたくさん……話を聞かせてくれた」

「信道の友達の話から、学校で習ったことの話とか……道で見た小さなことも、たくさん」

「私それで、信道が見てるもの、見てみたくなってだから……だから、入院生活も頑張って、退院しても頑張って……今、ここにいるの」



知ってるよと、俺は言いかけたがやめた。 

だってそれは俺が一番そばで見てきたんだ、幸千が泣きながらも怒りながらも頑張って……ここまで来たことを知っているから、だからこそ。

幸千が笑う奇麗さも、嬉しそうな瞳も、全部知っているしこれからもたくさん見たいって、思うんだ。

ここまで思っているのに、さっき泣かせてしまったことは本当に悔しかった。

あんな言葉を幸千に言わせてしまった自分の不甲斐なさに、俺は自分自身に怒りが沸きそうだ。

表情に出さないように我慢している俺に気づいたのか、幸千は俺の手の甲を優しくなだめるように撫で始めた。 初めての行為に吃驚している俺を無視して、幸千は言葉を続ける。


「私さ、本当は大学に行く気なかったの……だって、信道と……別れるのが、いや、だったから」

「え…??」

意外な告白だった、幸千はこの学校でも上位の成績を取るぐらいには頭がいい。 先生たちからの勧めもあって、幸千は受験して大学へ主席合格した。 俺も受けだが、勿論不合格だ!!

「悩んでるとき、信道が一緒に受けて一緒に合格しよう!って言ってくれて……私の背中を押してくれて、うれしかった」

「……落ちて、ごめん」

「そうよ、落ちたから……ずっと考えてたんだから」

幸千が愚痴をこぼす、なのになんで俺の掌へ頬を擦り寄せてくれるんだろう?

まるで猫みたいだって思っていたら、幸千が瞼を伏せがちになる。 俺はその様子に、ちょっと落ち込んだ。

「なにを……考えてたの?」

恐る恐る幸千に聞いてみる。 幸千はそのままの状態で、俺の質問に答えてくれた。


「…………信道に他の女の子ができて幸せになるっていう、未来」


とてもつらそうに答えてくれた後、幸千は話を続けた。

「そしたら、手術して完治した心臓がまた痛くなった……けど、痛みが全然違う。 あの痛みは、ただ苦しくて痛くて、残酷な痛みなのに……信道への痛みは、すごくすごく……すごく、切なくて寂しかった……ッ」

「その時ようやく気づいたの、私、私……」







「のぶみちくんのこと、好きなんだって」



どくんっと、俺の心臓がなる。

なんて言えばいいか分からないとは、このことなんだなって感じる。 幸千に触れている右手が、かつてないほど熱くなる感覚。 ここにきて、俺の内心はバタバタと足音を立てるように気持ちが暴れ始めたんだ。

まず、考えたのはこれだ。


待って俺、今どんな顔してる? かっこいい? イケてる? 大丈夫??


そんなわけないって、わかってる。 さっき散々泣いたし、ハンカチで鼻水も顔じゅうにバターみたいに塗られたし。

けど、けどさぁ……そこは男としての最後のプライドみたいなのがやっぱりあるわけで。 と、うだうだ考えている俺に向かって幸千がさらに俺に向かって畳みかけてきた。

「だから、さっき信道が……大好きって言ってくれて、しかも……結婚まで考えててくれて……本当に、心臓止まるぐらい嬉しかった。 私だけじゃなくて、両想いだったんだって…そしたら、涙止まらなくて」

「信道……のぶみち、くんあの、聞いてください」

いつになく可愛い声色、不安が見え隠れする視線、赤くてあったかい頬に優しく触れる左手。 俺は頷いた、幸千は消え入りそうな声で俺へと問いかけてくれた。






「お荷物じゃないって言ってくれて、ありがとう……素直じゃなくて、口も悪くて……身体も弱い私を、のぶみちくんの伴侶に……してくれますか?」





俺は、幸千の問いにしっかり答えようと思った。 どんな顔でもいいし、鼻水が顔じゅうに引っ付いててもかまわない。

鼻水がついているハンカチを優しく幸千の手から自分の手に移して、自分のポケットへと入れる。 ズボンにハンカチが入っていることを感じる間もなく、俺は左手で幸千の右頬へと触れて……はっきりと答えた。






「……はい、俺はさちちゃんを一番幸せな、俺の伴侶にします」






幸千が笑った、今までで一番かわいらしい笑顔だった。

まるで、万華鏡の中で美しい花が永遠に咲き誇っているような笑顔だった。

俺も笑った、どんな顔かなんて知らなかったけど……後日、幸千ちゃんから言われたのは「すっごく最初に逢ったときのような、キラキラでかわいらしい太陽みたいな笑顔」だったみたい。

それはそれで……すごく、恥ずかしいけれども。



亀戸 信道は、今日を以て長い長い片思いに終わりを告げたのです!

そして、これからは……いや、ここから先は。

鶴野 幸千とともに、今日からは長い長い両想いの日々を誓います!

めでたし、めでたし!


聞いてくれたみんなにありがとうを込めて。

亀戸 信道  より!

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【完結】かわいらしいふたり 篁 しいら @T_shira

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