第12話 矛盾してる

 プールサイドによじ登った墨田業平は、振り返って空っぽのプールを眺めた。

 心臓がどきどきと鳴っている。

 魚になって泳いだときの気持ち良さが忘れられない。

 また泳ぎたいと思った。今度は魚ではなく、自分の足で。

 障害者スポーツに挑戦しよう、と墨田業平は決意した。

「ねえ、なんでそんな能力になったの?」

 墨田業平の隣で、荒川紅緒が白金みなとに詰めよっていた。

「なんでなんて聞かれても、おれにもわかんないよ」

「人を引きつける能力だなんて……そんなに皆に好かれたいの? それとも、な、ナンパでもするつもり?」

「そっ、そんなわけないだろ! おおおれが引きつけたいのは、べべ、紅緒だけだよ」

「えっ……」

 なんだか甘い雰囲気になる予感がして、墨田業平は距離を取った。


 空っぽのプールの底で、中野弥生は指先をサカエに向けていた。サカエとコウホクは手足を拘束され、寝転がされている。それでもサカエはぎろりとにらんできた。中野弥生は震え上がったが、隣に阿逹仁の存在を感じると、冷静になれた。

「よっこらしょ」

 川戸栄太が、コウホクの背中に乗った。体重八十キロの川戸栄太に乗られて、コウホクはうめいた。

「コウホクといったな。教室を制圧しているのは、全員お前の分身だな?」

 阿逹仁が聞くと、コウホクはうなずいた。

「そうだ」

「いますぐ、すべての分身を消せ」

「何を言ってる。消すわけがないだろう」

「よし、栄太、やれ」

「おう」

 阿逹仁が命令すると、コウホクの顔がみるみる苦痛にゆがんだ。見た目ではわからないが、川戸栄太が体重を増やしているのだ。

「さあ、早く分身を消せ! でないと、栄太の体重がどんどん増えるぞ!」

 なんて恐ろしい拷問だろう、と中野弥生は震えた。

 しかし、コウホクは阿逹仁をにらみ返した。

「拷問のつもりか? 残念だがこのくらい、屁でもない」

「いいのか? 栄太の体重はいくらでも増えるぞ」

「やってみろ」

 コウホクはドスのきいた低い声で言った。それは、三人をビビらせるのに十分だった。

「あの分身たちは、決して消さない。我々の生命線だからな。消したければ俺を殺すしかない。ガキのお前らに、そんな覚悟があるのか? あぁ!?」

 コウホクが大声を出す。中野弥生は震え上がった。

 川戸栄太も体を震わせて、コウホクの背中から下りた。

「仁、俺には無理だよ……こいつ怖えよ」

「仕方ない……。神田さんたちに任せるしかないか」

 阿逹仁は眉をひそめた。

「そもそも、お前らの目的はなんなんだ?」

 答えてもらえるとは思えなかった。

 しかし意外にも、コウホクはあっさりと答えた。

「我々の目的は、この国の再生だ。我々ウォードグループがこの国を支配し、現政府に代わり日本を立て直す」

「それでなんで、吸った人を超能力者にする煙なんて作ることになるんだ?」

「我々はこの国に戦争をしかけるつもりだ。そのためには武力がいる。だが、警察や自衛隊に匹敵する武器など、簡単に用意できるものではない」

「ところが、用意できちゃったのよ」サカエがおどけた調子で言った。「それがあの煙、サイキックフォグ。私たちは超能力という全く新しい武力で、この国を圧倒する予定なの」

「元々の計画では、数人の子供を超能力者にするつもりだったんだ。通学路に箱を置いておけば、誰かが拾って開けるだろう。そのとき、その場にいた子供は超能力者になる。そいつらを誘拐し、我々のグループの一員として育て上げる。そういう計画だったんだが……」

「まさか学校に持っていって、一クラスまるまる超能力者にしちゃうなんて、思わなかったわ!」

 つまりこの状況は、杉並洋一が彼らの想定を上回るお調子者だったことが原因なのだ。

「わからないのはそこだ。どうしてお前らは、六年一組全員が超能力者になったことを知っているんだ? オレたちがジュウロクを倒したことに、どうやって気がついた?」

 中野弥生は、そういえばどうしてだろう、と思った。ジュウロクは、たしかにボスに連絡しようとしていたが、その前に神田千代が気絶させた。六年一組が超能力集団になったことは、あの時点ではボスに伝わっていないはずだ。

 サカエとコウホクは目を合わせると、にやりと笑った。

「さぁな」

「六年一組に内通者でもいるんじゃない?」

「内通者?」

「スパイってことよ」

 中野弥生は動揺した。私たちの中にスパイ……裏切り者がいるってこと?

 頭を振って冷静さを取り戻す。そして、勇敢にも口を開いた。

「それは矛盾してます。さっきの話では、私たちが超能力者になったのは偶然です。なのに、いつ、どうやってスパイを送り込んだっていうんですか?」

 するとサカエは笑い出した。

「矛盾なんて、難しい言葉を知ってるのね」

 中野弥生は不愉快な気持ちになった。

「阿逹君、どう思う?」

 小声で聞くと、阿逹仁は首を振った。

「わからない。たぶんハッタリだと思うけど……」

 それでも、もしかしたら本当に、という疑いが二人の中にくすぶった。

「おぉい、みんな無事か?」

 そのとき、プールの入り口の方から声がした。二人はどきっとして振り返った。

 渋谷道玄が駆け込んできたところだった。彼は太い眉をつり上がらせ、真剣な顔でプールを見渡した。

「……水はどこへ行ったのだ? この間掃除したばかりなのに……」

 近くにいた墨田業平が、説明しようと口を開いたが、すぐに諦めた。

「色々あったんだ」

「よくわからんが、とにかくみんな、無事のようだな」

「おおおおう、もちろんだぜ!」

 顔を赤らめた白金みなとが、何かを誤魔化すように言った。よく見たら、荒川紅緒も顔が赤い。何かあったのかな、と中野弥生は首を傾げた。

「それならよかった。みんな、こっちへ来てかまわんぞ!」

 渋谷道玄が、プールの入り口の方に向かって大声を出した。

 すると、神田千代と田ヶ谷加世子が入ってきて、その後ろからぞろぞろと、何十人もの一年生と二年生が入ってきた。その集団の一番後ろから、目黒のどかがゆっくりとついてきた。

 中野弥生たちが目を丸くしていると、神田千代は堂々と言った。

「一年生と二年生、ほぼ全員連れて来たわ。あとは、加世子ちゃんの能力で全員をここから脱出させる。ちょうど裏口も近いからね」

「さっき新奈ちゃんに聞いたんだけど、裏口の外に、機動隊の人たちが集まってるんだって!」

 おそらく、大田稲荷が「遠くを見る能力」で知ったのだろう。

「その人たちに保護してもらおうと思う。ただ……」

「ただ?」

 神田千代は悔しげに言った。

「二年生から四年生までの何人かが、教室から連れ去られたらしい」

「教室から? どこに?」

「放送室だって。理由はわからないけど」

 阿逹仁は、コウホクをちらりと見た。中野弥生も釣られて見る。各教室を制圧したのは、コウホクの分身だ。だから彼なら何か知ってるかもしれないが……コウホクは知らんぷりした。

「私はすぐ、放送室に行く。渋谷君とのどかちゃんも行く予定。みんなはどうする?」

 神田千代が聞くと、

「俺は行くよ」

 と、墨田業平がすぐに答えた。

「戦力になるかわからないけど」

「平気。人数は多い方がいいからね」

 阿逹仁も手を挙げた。

「オレも行く。まだ超能力者の敵がいるかもしれないし」

「ありがとう」

 川戸栄太も白金みなとも荒川紅緒も、一緒に行くと答えた。あとは中野弥生だけだ。

 中野弥生は迷っていた。自分の能力を考えれば、ここは名乗り出るべきだ。敵を一瞬で凍らせる能力なんて、戦闘で絶対に役に立つ。

 テロリストと戦うなんて怖い……でも、みんなと一緒にいれば、冷静になれる。冷静なら戦える。

「あの……私も行く」

 中野弥生が手を挙げると、神田千代はにこりと笑った。

「ありがとう。じゃあ、みんなで行こう」

 神田千代がそう宣言したときだ。

 上空から、ヘリコプターの音がした。

 全員が一斉に空を見上げる。うっすらと曇った空の下で、数台のヘリコプターが近づいてきていた。

「うちのヘリ?」とサカエが言った。

「いや、あれは警察とマスコミのヘリだ」コウホクが答えた。

「お前ら、ヘリまで持ってるのか?」

 阿逹仁が聞くと、サカエは笑った。

「当然でしょ? 私たちがどうやって脱出すると思ってるの?」

 言われてみれば、二十三人もの超能力者を誘拐するのは、簡単なことではない。彼らはヘリコプターに全員を乗せ、逃げるつもりなのだ。

 神田千代がコウホクたちをにらみつけた。

「でも、警察の方が先に来たってことは、私たちの勝ちね。あなたたちはもう、制圧される寸前よ」

 それを裏付けるように、学校の周辺から一斉に、大きな声が聞こえた。

『武装集団ウォードグループに告ぐ』

 スピーカーを通した声だった。学校の周囲にスピーカーが設置されているようだった。

『きみたちは完全に包囲されている。いますぐ人質を解放し、投降せよ。繰り返す――』

 神田千代は勝ち誇った顔になり、再びコウホクを見下ろした。

「どうする? あなたたち、このままだと捕まるよ」

「さぁ、どうかな」

 コウホクがにやりと笑う。

 すると今度は、学校のスピーカーが鳴り始めた。

『警察に告ぐ。俺はウォードグループの一員、イチバン。いま、この学校の放送室にいる。そしてここには、人質が六人いる』

 彼らが生徒たちを連れて行ったのは、このためだった。放送室に警察を突入させないための人質だ。

『この六人だけではない。この校内に、数百人の人質がいる。もし警察が校舎に侵入してきたら、警官一人につき人質を一人殺す』

「もう、数百人もいないでしょ」

 神田千代が再び言うと、コウホクは笑った。

「そうだな。だが、警察には正確な人数はわからない。それに、一人でもいたら警察は突入できない」

「……」

 神田千代は悔しげに顔を歪めた。

『我々は警察の求めには応じない。我々は六年一組の生徒全員を連れて、この学校から脱出する。その後、人質を解放しよう』

「脱出って言ったって、どこから脱出するんだ?」

 川戸栄太がコウホクに聞いた。

「屋上だ」

「屋上?」

 たしかに、ヘリコプターをとめられそうな場所は屋上か校庭しかない。屋上には鍵がかかっているが、ウォードグループのメンバーが一人いる。おそらく、そいつが鍵も持っているに違いない。

「神田さん。放送室より、屋上に行くべきだ」

「え、どうして?」

「屋上は脱出経路。重要ポイントだ。なら、そこをボスが守ってるんじゃないか? コウホクの分身をひとりずつ倒すより、ボスを捕まえた方が早い」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る