第0.3話:残、だから、進む

「え……、俺……?」


 睡方は人差し指を自分の顔に指し、口を軽く開けたまま固まっていた。


 背中に当たる石塀の冷たい感触が服越しにでも伝わってきており、この逃げ場のない状態で右手側を想汰、左手側を由依、そして正面を九華、の合計三人に囲まれるというのは、いくら知り合いでも相応の圧迫感を感じざるを得なかった。

 

「そう、だって実際あんただけがあのおじさんに顔を見られてないんだから。一度取材を拒否した人を、もう一回受け入れるなんて人は経験上稀だし。それに、私達三人はもうあそこの呼び鈴が押せないしね、まだ接触してないあんたになら出来るかもしれないけど」


「……呼び鈴が押せない? どういうこと?」


 睡方が訝しげな顔で聞くと、九華達は先ほど起きた雨宮風句二に関連した不可解な経験の一部始終をそれとなく話してくれた。

 怪しげな格好、謎の質問、不思議な力。もちろん聞いているだけじゃ全く想像はつかなかったのだが、話している彼女らもどこか辿々しい喋り方だったため、その内心を察した。


「というか、あの『神様はいると思うか?』って質問なんだったのよ。あれに上手く答えてたら、取材OKだったってわけ?」


 九華は回想の話題から連鎖して、腕を組みながらその時のことを思い出すようにして貧乏ゆすりを始める。口を尖らせるその隣で、小さく呟くように想汰は。


「だが、僕達は神様はいるという意見と、いないという意見の両方を言った。それでも、彼は『お前らは相応しくない』と言って僕達を退けた。もしかしたらただ単純に質問に答えるだけじゃ、だめなのかもしれない」


「でもさー、なんか想っちが喋ってた時はあのおじさんもちょっと興味ありげじゃなかった? 感覚だけど、私の話よりもうんうんって、よく聞いてた気がするし」


「僕は『正直に言え』と言われたから、自分の思っていたことを正直に言ったまでだ。まあ、ほんの少し言いそびれたことはあるが、大体はあれが本音のようなものだ」


 想汰が眼鏡を外し、レンズを自分の服の袖で拭きながら、そのまっすぐな瞳でこちらに語りかける。そんな由依と想汰の掛け合いを見て、九華は一つ思いついたような顔をして手を打つ。


「もしかして、『正直さ』が大事なのかな……。ほら、私、あの時はなんか良いこと言おうって考えすぎて、だから、態度もそっけなかったような気がするし」


「要するに、僕があそこで自分の意見を全て曝け出していれば、それが正解だったというわけか?」


「分かんない。でも、由依さんが言ったことと想汰が言ったことは結構重要な気がする。確信は持てないけど、意外と必要なのはそういう何でもかんでも言う、正直さ、というか……」


 三人が殊更に悩みを深め、頭を抱える。いくらか話し合いが難航し、結論が出ないまま時計の針は無常にも時を刻み続けていた。塀の上を猫が二、三匹通ったことに気づかないほどその場は議論と思考で埋め尽くされて。


 そんな中、睡方は彼女達の話を耳に入れながらも、まだ自分があの圧迫感のあるおじさんの元へ行くことの恐怖に取り憑かれていた。気が気ではない彼は三人が沈黙をしている中、ここぞとばかりに恐る恐る口を開いた。


「な、なあ。別にさ、俺一人が行く必要ってないんじゃない? 例えばさ、この近くでそのおじさんが出てくるのを待ち伏せして、その瞬間を四人で囲むってのはどう、かな?」


「……張り込みねぇ、時間がいくらでもあれば出来るんだけど。由依さんと想汰の門限っていつまでだっけ?」


「今日は五時かなー、今三時すぎぐらいだからあと二時間くらい?」


「僕も同じくらいだ」


 由依と想汰が自分のスマホをポケットから取り出し、時間を確認する。同じくスマホを取り出した九華は、突如画面を目一杯スクロールすると、首を捻りながら、眉を顰めていた。

 いつも彼女はぶっきらぼうな雰囲気なのに、時々他人のことを気にするその姿が睡方にとっては正直意外に感じる。もしくは、自分がそんな扱いをあまり受けたことがないからか。


「二時間……。うーん、普段からあんな格好してるってことはよく目立つはずだから外を歩いてたらSNSに投稿されているはずなんだけど、今調べた感じそういうのが無いってことは、多分あんまり外に出ないんでしょうね」


 三人の顔色を伺ってスマホをしまうと、九華は指で空中に文字を書く。本当に字を書いているわけではない。手が寂しくて勝手に動いてしまっている、とかその辺だろうと思う。


「想太と由依さんは取材の際にどうしても必要だわ。だから、二人があと少しで抜けてしまうことを考慮すると、張り込みを選ぶメリットは薄い。仮にそれで遭遇出来たとしても、私達の顔を見ただけでまた突っぱねられてしまう確率は高い。つまり現実的に考えて、あんたが今この場であいつの家に直行するしか道は無いわね」


 冷徹な視線。でも、それは誰かを蔑んだりするためのものでなく、極めて論理的でただ事実を列挙するという現実主義の彼女ゆえの自然な状態だった。睡方にとっては、その人間離れした一連の口調が更に恐怖を煽るのだけど。三人の顔を見る。顔を見返される。道がそれしかない、と分かり出して急激に足が震え出した。

 何か因縁があるわけでもない。ただ直感で感じる恐怖、圧迫感。それは自分にとって全くの理論的説明が出来ないから、他者に共有出来ず、厄介だった。


 癖毛を手で何度も押さえたり、弾いたり、手が必死に現実から逃げようとしてくる。事実や、責任、といった堅牢で鋼鉄な壁が倒れてきているのにも気づかず必死に地面の草を弄り回す庭師のよう。

 そんな彼の肩を強く叩いたのは、ただひたすらに新聞部の部長である彼女だった。


「あんたに、託したい。やれる?」


 重い掌だった。左肩がズンと沈み、体の中にグッと力が入る。数秒後、肩に指が食い込んでいき、軽い捕縛の感触を感じる。九華のまっすぐ前を向く茶色の双眸そうぼう、それと自分の目線が重なった時。睡方はなんとなく察していた。こうなると、彼女は止まらない。ただ無言でこちらを見る、由依と想汰の方の視線も刺さり。


 その震えている足を両手で力強く掴み、無理やりそれらを鎮めると、彼は強がるようにして、でもそれが後から付いてくるような気がして、体を前傾にして歩き始める。由依の微かに笑う顔、想汰のまっすぐな目線、九華に託された思い、それら全てを通り過ぎて、彼はそのまま一度は逃げ出した風句二の家へと足を進める。


「ああ、分かった!やるよ!やりゃあいいんだろ!?もう」


 頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら、ため息をつく。そんな姿勢で進む彼の背中についていくのは、もちろん彼女達だった。再び黒い格子の扉を開き、階段を一歩ずつ登る。たった数歩の階段なのに、驚くほど足が重い。


 睡方自身の手でつるをどかし、家の呼び鈴を見つけ出す。試しに手を近づけてみると、やはり彼はボタンに触れることが出来た。その事実を徐々に受け入れると振り返り、他の三人の顔を見て、深呼吸をして準備を整える。

 その最中、今度は九華が軽く自分の肩をポンポンと叩く。囁くようにして。


「一応、あんたが押したら私達三人はこの庭の植物の群れに隠れるから」


 同じく、囁くようにして。


「……絶対、そこにいろよ。なんかあったら、マジですぐ来いよ。逃げたら、恨むからな」


「それ、君が言う?」


「やばくなったらもち、助けに行くし! それに、今の睡っち、すっごいかっこいいぞー!」


 想汰のいなしが耳を通り抜けた後、突然耳元で「かっこいい」なんて言葉を由依に言われた動揺で、睡方は思わず顔を赤くする。それを想汰は鼻で笑い、由依は「きゃー」と黄色い声を上げ、九華は冷めた目つきをしながら一番最初に足を動かした。


「はいはい。じゃ、そういうことで」


 最後に九華はそう言い放ち、三人はこの家の庭にある植物と植物の間にしゃがむようにして、体を隠れさせていた。

 よく見たら、確かに三人の視線を感じられる。ドアの前でそう思った睡方は、その事実に安心しながらも、火照った顔を沈ませて。


「……はぁ」


 首をゴキゴキと横に倒して鳴らし、呼び鈴に人差し指を添える。その指は限りなく震えていたが、そのままどうにでもなれという気持ちで指を押し込むと、その期待に応えるように扉の奥でピンポンと甲高い電子音が響くのが聞こえた。


 木の床を踏む足音がする。それを超えるほどの自分の心臓の鼓動音。額に汗を流しながら、太ももにめり込むほどの勢いで手をくっつけた気をつけの姿勢で、睡方が待っていると。


 ガラガラガラ。ドアが開き、無精髭で坊主頭の男性が顔を出す。濃い目の顔つきと太い眉毛、大きな体格が見え、思わず逃げ出してしまった数十分前の自分の気持ちがまだありありと分かるような圧迫感のある雰囲気。その顔から放たれるドスの効いた低音の声が直接自分に、刺してきて。


「……あんた、誰だ」


 九華とは違う、鋭くもどこか野生的な目つき。体が強張る中、睡方はズボンの生地を強く握りしめながらまるで敬礼のように声を張り上げる。


「え、えっと……! 芽留奈市立晴滝中学校二年新聞部、渓翠睡方と言います! あの! 今日は人類滅亡の予言についての取材をしたくてここに来ました!」


 睡方は初対面の人への挨拶にしては大きすぎると思われる声を浴びせ、勢いのまま言葉を紡いだ。必死で声を上げたせいか、喋り終わった後の静寂がより感じられ、自分の緊張もつゆ知らない鳥がホーホーと呑気に鳴いて頭上を通過していく。

 刹那。睡方は風句二に両肩を思い切り掴まれ。


「……今、何と名乗った……!?」


「え? あの、」


「名前だ! 正直に言え」


「え、渓翠……睡方です……けど」


 その時、睡方の心臓の鼓動は、触れている場所を通して風句二に聞こえてしまうのではないかというほど大きくなっていた。腕の力強さを肩に強く感じつつも、名前を再び言った瞬間、彼は小さくすまない、と言ってすぐにその手を離してくれた。

 そして、両手で自分の頬を叩くと、風句二は落ち着きを取り戻したような表情に戻って、首のしめ縄を手で握る。それから二度の深呼吸を挟み、彼はただ一つ、睡方に問いかけた。


「お前は、この世界が好きか?」


 瞳孔に、閃光が走る。質問を理解する前に、睡方の視界にはとある光景がサブリミナルのように映り込んだ。それは、遮るもののない真っ平な地形。

 地平線なんか簡単に見ることができ、家も、施設も、森すらも何もない、ただ白く凝固した石灰岩の地面が視界の限り広がる、まるで「無」を体現したような、そんな世界。


 本当に一瞬だけだったのに、睡方の脳裏にはその光景がよく刻み込まれた。目を擦って再び目を開いたら、そこには先ほどと同じように風句二が立っていて。


「正直に、言うんだ。お前は、この世界が好きか?」


 みんながされたのとは、また別の質問。授業中に先生に当てられた時や、ホームルームでの発表など、いつもだったら何を答えればいいか焦っていたはずだったが、その時の睡方はそんな自分をどこか客観視することが出来ていた。

 癖毛を触る暇も無く、先ほどの四人での話し合いを回顧する。


「もしかして、『正直さ』が大事なのかな……」


 回想上の九華の声が水面に落ちた雫のように、睡方の頭の中でさざなみを広げていく。そうだ。正直に。正直に。自分の思った言葉をただ話すだけ、それでいいんだ。

 彼はもうズボンの生地を手で握ることはしていなかった。ファーストインパクトの爆発的な声量とは裏腹に、今度は酷く落ち着いた口調で、ただ溢れるままに言葉を。


「分かん……ないです……」


「何?」


「俺、分からないんですよ。この世界って言われても、俺、ニュースとか見ないし、やることって言ったらいつもゲームだし……」


 風句二が眉を顰める。その顔は呆れるというよりも、失望したという感じで。でも、そんな怪訝な表情を浮かべても尚、彼は扉を閉めることをしていなかった。なんなら、睡方の次の言葉を待っているようだった。

 そんな空気感ばかりを敏感に感じ取ってしまうものだから、睡方は押し出されるようにして言葉を吐き出す。


「だから、その、知りたいんです。色んなこと。学校の奴らから『何も知らねぇんだな』って馬鹿にされるのも、もううんざりだし。それに、」


 睡方の足先から風が舞い起こり、植物達が大きくざわめき出す。突風が吹き、服が瞬く。顔にも風を受け、チャームポイントである癖毛の黒髪が悲鳴を上げるように揺れるも、彼から溢れ出すその言葉は一つずつ、だがでも確実に世界に届いていた。


「俺、もっと知れば、この世界を楽しめる気がするんです。この世界を、知りたいんです! だから、本当は乗り気じゃなかったけど新聞部入って……。だから、要するに……」


 言葉を聞く風句二の顔つきは、依然として険しかった。でも、それは決してマイナスな感情ではなく真剣に捉えてくれている故の物だと、勝手かもしれないが、睡方はそう感じられて。


「ちゃんと世界を知ってから、好きか嫌いか決めたいです。だから、今はまだ分からないっす……」


 言葉の余韻を遮るように、突然庭の草むらがガサガサと動いた。真剣に耳を傾けていた風句二が、思わず身構える。植物と植物の隙間から飛び出してきたのは、新聞部の三人だった。由依と想汰が押されるようにして出てきて、最後に九華が姿を表した。揃って、頭から敷地内の地面に飛び出し、九華はすぐさま立ち上がって二人を起こそうとする。


「うわぁー! ちょ、ほら服に虫ついてるー! まじ無理! 早く取って取って」


「ちょ、九っち……とりあえず、ウチを起こして」


「はぁ……。なんでこうなるんだか」


 呆れる想汰と思わず目が合った。睡方は、てんやわんやしている状態の三人を見ながら頭を抱える。風句二は驚いた様子で彼女達を見て。


「こいつらが……なぜここに……!」


「あー……。あいつらも、多分一緒なんすよ。同じ新聞部で、何かを知りたいっていう気持ちが人一倍強い奴ら。まあ、正直異常なくらいだとは思うんすけど」


 服についた虫を二人に見せながらパニックになる九華の、世話をするように虫を取ろうとしている由依。一方何もすることが出来ず、ひたすら頭を抱えて座ることしか出来ない想汰。睡方は突き放すように彼らを風句二に紹介した時、自分でも気づかず、鼻を高くしていた。

 それが風句二にとっては理解し難い光景だったようだが、彼は睡方の顔をじっと見ると、彼は短く強く息を吐いて何かを決意した。そして、睡方の肩を軽く叩き、ドアの奥の廊下に歩いて行くように自分の背中を見せた。

 

「中に来い、その三人も連れて」


 ドアの先に消えていく風句二の姿を見て、睡方は「え?」と漏らす。いいから、と言って遠ざかっていく彼の背中を呆然と追いながら、流れのまままだ虫で騒いでいる三人の方を振り返って、照れ臭そうに。


「なんか、入っていいってさ」



 新聞部の四人が座っているのは、風句二に案内された家の中のとある一室。床が全面畳で埋められていて、家具は無い。その代わりなのか、壁には大量のお札がびっしりと貼られており、一つ一つに違う寺の名前が習字で書かれている。

 壁に刺さった錆びた釘には多種多様のお守りが紐でかけられており、また、その部屋の四辺を埋めるように床には市松人形や、五月人形、雛人形といった和風の飾り物が置かれていた。

 かと思えば、開いたままの聖書が部屋の隅から見つかったり、人形の影に隠れて神殿の模型が羅列されていたりと、独特の異様な雰囲気を醸し出している場所だということは、睡方にすら手に取るように分かった。


 部屋はそのように物で溢れているからか、五人が十分に入れるスペースは無く、とりあえず、撮影をする想汰と対象者への質問・簡単なメモをこなす九華、そして雨宮風句二を部屋に入れ、睡方と由依は部屋の外から見守るような形で、そのインタビューの文字起こしをすることにした。


 全員が正座の状態で待機。部屋の壁一枚隔てて外の庭にあるであろう、ししおどしの音が規則的に響く中、用意の出来た新聞部達は遂に人類滅亡の予言の預言者、雨宮風句二への取材を開始した。彼に向かい合うように九華は座り、その少し引いたところからカメラを構え、想汰がもう既に何回かシャッターを切っていた。


「それでは、始めさせていただきます。今回の取材で私達が知りたいのは、人類滅亡の予言についての真実です。多数のメディアに出演されている雨宮さんだと思いますが、まずその動機というものはいかがなものなのでしょうか」


 九華が畳に置いた紙に、鉛筆を簡単に走らせる。恐らく質問の内容のメモだ。それと同時に部屋の外にいる由依も筆を走らせる。木製の床に置かれたルーズリーフに、九華と風句二のどちらが喋った言葉もなるべく忠実に書き記していく。


 音に集中しているからか、ペンを動かしている際の由依は目を瞑っており、手を止める余裕すらない。意識を一つに集中することで他のことは一切出来なくなるが、故に非常に精度の高いメモを完成させられる。


 そのため、睡方は文で埋まってしまったルーズリーフを新しいものに変えたり、紙からペンがはみ出ないように腕の位置を修正したりという役割を毎回担っている。


「……私は嘘をつかない。お前達に望んだように私も全て正直に言おう。だが、それを伝えたからと言って、お前達に何かをする義務なんて本当はない。信じるか否かは任せる。その前提を聞いた上で、私の話を聞いてほしい」


 まさに部屋着、というようなグレーの上下から着替え、メディア上でお馴染みとなる白装束に身を包んだ風句二はこれまでにない重々しい口調で話し始めた。


「まず、お前の質問の答えである、その動機とやらを話すには、一つ言わなければいけないことがある」


 九華の背中越しに見える風句二は言葉に詰まる様子を見せ、表情も少し穏やかではないようだった。それでも、彼は膝を拳で一つ打つようにして自身に鞭を打つと、覚悟を決めたであろう面構えになり、そのまま口を開いた。


「私には神の声が聞こえる。神の継承者として生まれ、その使命を全うしているのだ。この世界はじきに滅びる。私達がいる現実世界の更に上、天界に住む全能神の気まぐれによってな」


 いきなり突飛な話が舞い込んできた。信じられないような言葉の羅列。その情報に少しは狼狽える睡方だが、動揺することなく冷静にメモを続ける九華の姿を見て、ふと正気に戻る。

 九華はよく口酸っぱく言っていた。最初に得た情報を信じるのではなく、きちんと自分で見極めなければならない。そうだ。自分に言い聞かせる。こんな時に思い出すのは、ちょっと都合が良すぎるか、と思いながら。


 目の前で小さく唸り声を上げながら、必死で文字起こしを行う由依の姿、余さず記事に使う写真を撮る想汰の姿を見て、睡方も自分の仕事を全うするべきだと感じた。


「……全能神の気まぐれっていうのは何かの比喩ですか? そうじゃないとしたら、その気まぐれというのは一体何なのですか?」


「神話で語られてきたことと似たようなものだ。天界には神が増えすぎた。有象無象の神はもはや好き勝手に動き、天界を荒らすようになり、遂には快楽のために天界の全てを賭けた戦争まで行うようになった。その事態に看過出来なくなった全能神は、一つの決断を下した。それが、自身の生命エネルギーをすべて熱に変えて体から大いなる光を発し、自分諸共神を全員焼死させ、天界をまっさらな状態に戻すというものだ」


 想太からの耳打ちを受け、九華が質問を返す。


「それは、その熱がこちら側の世界にも届いて、人間も……世界も、滅びてしまうという事ですか?」


「ああ、そうだ。天界を更地にするというのは、そのような強大なエネルギーが必要になるのだ。だから、全能神からその旨を伝えられた時、それを広めるのが私の使命だと思った。それがメディアに出ることになった、動機だ」


「あ、あの。俺からも一個いいっすか」


 部屋の外で由依が文字を書き記すルーズリーフを押さえながら、睡方が一つ手を挙げる。風句二が頷いた反応を見て、九華は睡方に「どうぞ」と言いたげに、書いていたメモと一緒に部屋の端に少し身を寄せる。


「あの、そもそも継承者って何なんですか? 神様の声が聞こえるって一体どんな感じなんですか?」


「継承者は、この国で古来から受け継がれてきた血筋を持つ人間に与えられる特殊技能を備えた者のことを言うのだ。その継承者は世界に漂う神の気配を常に掴み続け、聞こえてくる声に導かれる。そして生涯を通して、その天界にいる神の意思を現実世界に伝える代弁者としての義務を与えられた。ただ、継承者の親から生まれてきただけでな」


 風句二が睡方を見る目は、いつもどこか遠かった。彼の目や顔、その実体を見ているのではなく、どこか果てしなく続く道を見ているような。


「人類も、この世界も、近いうちに滅亡する。私が告げられた期日は七月三十日だったが、それも未だ不確定だ。予定通りに行くのか、はたまた……。なんせ、一神様の気分次第なもんでな」


「滅亡を……止めることは……出来ないんですか……?」


「ああ。天界からの言葉を受けることが出来ても、こちらからコンタクトを取ることは継承者の私にすら出来ない。いずれにせよ、もう神が天界から降りてくることももう無いだろうしな」


 睡方は思わず顔を俯く。九華にその様子をじっと見られていることにも気づかないまま、情報の真偽も分からないのに、でも、その状況に立っている自分を想像して肩を落としてしまう。


「最初に言ったはずだが、信じるか否かは自由だ。だが、一つ確かなことを言おう。人も、神も、いつかは死ぬ。この世というのは、それが早いか、遅いかの違いだ」


 ししおどしの音が部屋に響く。窓から指すその陽光が部屋全体を照らし、その五人を照らした時。

 

 正直、やっぱり信じられなかった。風句二の風貌やら喋り方やらが、内容に反して妙に現実的なのが、可能性を少しでも高めようとしてくるような。でも、世界が滅亡するなんて、そんなのすぐには受け入れられなくて。


 そう思った時、こちらを向いている九華と一瞬目が合った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る