今日の夫は、きっと帰りが遅くなる。

 特に連絡がなくともわかる。

 今日は「あの日」だから。


 毎年、こう。

 赤ら顔で帰宅しては「アイツとばったり会った」と上機嫌に話すのだ。


 私たちが最初の子をなくしてから、今年で20年になる。

 つまり、私が子供を産めなくなってから20年ということだ。妊娠13週にして胎児が無脳症と診断され、夫婦で決断をしたのは14週に差し掛かった頃のこと。陣痛促進剤を用いた中絶手術の折に子宮内膜が傷つき、その後癒着が起きてしまった。


 目を閉じれば、産声を知らない安らかな顔と、キレイな花々と共に空へと旅立つはかない煙がよみがえる。

 我が子が風に奪われていくようなどこまでも虚しい光景は、絶望に暮れる夫婦に勇気も決意もくれはしなかった。


 夫にとって、この月日はどんな時間だったのだろうか。

 彼は仕事や日常生活では元来の真面目さを貫き、「あの日」と変わらぬ日々を繰り返している。一度として問題は起こしていない。

 ただ、毎年見かける息子の影に、心を囚われるようになってしまった。


 毎年、この日に、

 経験したことのない子育てに思いをはせている。


 ただ、それだけ。

 彼にはどうしようもないまま、

 こうなってしまった。


 私たちは、どうすれば良かったのだろうか。

 今、どうすべきなのだろうか。


 私もまた、今の日々を変えられずにいる。

 「普通ではない」とわかっていても、何か矯正の手を加えた途端、何もかもが崩れてしまう気がした。

 誰にも迷惑を掛けずに済んでいる状況を、「まだマシ」と捉えて保つべきだ――

 それが、今の私の判断だった。


 ため息をつく。


 誰にでも起こり得る出来事を経て、

 こんな状態に転落して、

 思う。

 ありふれた言葉の意味を。


 親子。

 生まれた時に成立する、選ぶことのできない関係。

 時には、断ち切ることのできないわずらわしさ。

 時には、ふとした瞬間によみがえる思い出。


 思い描いただけで終わったそれらは、

 自身が子として経験した記憶によって補完されることで、

 いびつな幻覚となってしまった。


 かけがえのないつながり。

 キレイであるはずのそれは、どこにあるの。

 私たちが手にするはずだった幸福は、

 どこへ行ってしまったの。


 子育てに苦労する時間は?

 成長をよろこび涙する瞬間は?

 子が、私たちをなつかしむ未来は?


 行き先をなくした愛情に、帰る場所はあるのだろうか。


 私たちは、「今」との向き合い方を探し続けている。


 ――あら。

 私のところにも、来てくれたのね。


 待っていたんだから。

 大きくなったわね。

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親に会って口もきかぬとは何事か むささび @musasabi1000

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