第3話



 静かだった。


 樹々の揺れる音しかしない。

 時々フクロウの声が聞こえた。


 暑い……。


 山頂近くなって来たと思うが、山は深い。


 自分だけなのだろうかと思って側の甘寧かんねいを見ると、彼の蟀谷にも汗が浮かんでいた。

 後ろを振り返ると、ついて来る兵達の顔色も疲れて見えた。


「……甘寧将軍」


 甘寧の背に触れると、彼が振り返る。

 兵達の表情を見て、彼は頷く。


「……少し休むか」


 兵達はたちまちその場に座り込んだ。

 しばらくして、後続部隊から淩統りょうとうがやって来る。


「こんなこと、お前予想してたか?」


 淩統は坂道を上がって来ると、陸遜りくそんに一礼してから腕を組み、木の根に腰を下ろした甘寧を見下ろす。

「するかよ。俺は群がって来るしょく兵どもを斬りまくってやる気になってたっつうのに、これじゃあアテが外れるどころか気分も削がれらぁ」


「まさか奇襲も伏兵も罠も、一度もないなどと……」


 陸遜も額を押さえる。

「なんだ、鴉野郎。もう品切れか?」

 甘寧が舌打ちをした。

「本当は、この状況を喜ぶべきなのでしょうが……」

 中腹以前は、一瞬たりとも敵の攻撃や仕掛けに対して油断が出来ず、こんな風に道の途中に座って休むことなど出来なかったのだ。


 それが中腹を抜けてからは、一度も攻撃がなかった。


 そのことが何の前触れなのか、何を意味するのか誰も分からない。

 前は絶え間なく攻撃を受け、四方八方から攻撃を受けて、方向感覚を失うほどだった。

 今はその逆だ。

 行く道が静かすぎて、沈黙が押しかかってくるようで、無駄に奇襲を警戒しながら進んでいるから当然神経も疲れて来る。

 蟀谷が痛い。

 陸遜は手の腹で揉むようにして、その辺りを押さえた。


 圧迫感を感じ、灯かり一つない暗がりの中で、そのことでも方向感覚を失う。


 攻撃を受けている方が、まだマシだったと思うほどだ。

「しかし、解せません」

 甘寧が立っている陸遜の腕を掴んで側に座らせた。

「お前も少し休め。山頂を落とした後、籠城戦になるかも知れねえんだからな。

 ここから長期戦も覚悟しろ」

 しゃがみ込んだところにぼふ、と頭を押さえ込まれて、陸遜は顔を伏せたまま頷いた。


 そうだ。

 呂蒙りょもうが江陵軍を動かしてくれるまで、籠城戦になるかもしれないのだ。

 援軍が来るまで山頂の陣で敵を迎えに行かねばならない。


(山頂……山頂には龐統ほうとうがいる)


 このままでは山頂まで、辿り着けてしまう。


 何故だ。


 陸遜は目を閉じたまま、考えた。


 先の見えない戦闘が、こんなに辛いものだとは思わなかった。

 一瞬泣き言を考えたが赤壁せきへきの戦いで、曹魏の大軍を前にしてもその勝利が遠く、見えない所にあっても揺るぎなくそこに立ち見据えていた周瑜の後ろ姿を思い出した。


 周瑜だって全てに確信があり、見えていたわけではない。

 だが彼は得体の知れないものと、向き合い戦い続けた。


 あの時は、実際にいつ動き出すか分からない魏軍と対峙し続けたのだ。

 機を逃さず曹操そうそうが出陣して来ていたら、長江に浮かんでいた呉軍は成す術がなかった。


 射かけられない今の状況の方が、ずっとマシではないか。

 陸遜は言い聞かせる。


「……奇襲部隊が動いていないということは……それは全て敵の本陣に温存されているのでしょうか?」


 一瞬言葉が返らず、陸遜はゆっくりと顔をあげる。

 すると深い山の中に、ぽつりと自分の姿だけがあった。

 甘寧も、淩統りょうとうも、兵達の姿もない。



「……甘寧どの?」



 立ち上がり――ふと後ろに気配を感じて振り返った。


 斜面の上に、龐統の姿があった。

 あの黒い、星空のような衣を纏っている。

 昨日別れた時と、同じ姿だ。


「……龐統?」


 彼はじっとこちらを見ている。

 その感情は、窺い知ることは出来ない。

 それでも見上げていると、龐統の瞳に微かに光が灯った。



『お迎えする』



 龐統の口が動いた。

 声が聞こえたのではなかったが、何故か言った言葉が分かった。








  『お迎えする。【異能の星】よ』


        『天轍てんてつの終わりに、私の全てでこの地を整えて』



       ――――龐統?



   『これは伏龍ふくりゅうの城』


        『……行く道をお教えしよう』




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